昨日の夢
夢って見るときは毎日のように見るんだけど、見ないときは見たくてもずぅっと見られない。
ここ何日かは「夢を見る」期間に入っているらしく、毎日のように夢を見ている。
夢はほぼ意味が分からないものが多く、過去に知り合ってきた人たちが脈略もなく出てくるか知らない人がさも知っている人のように出てくる。
夢の中では何の不思議もなく自分も対応しているものである。
そして時空も超えていて、いろんな時代が錯誤していることもある。
きっと大体の人がそんなものなのかなと思う。
昨夜は亡くなった父の戸棚の中身を整理するという夢だった。現実には実家に夢に出てきたような戸棚はなかった。
不思議な戸棚で下のほうは冷蔵庫になっていた。(夢あるあるな謎)
上のほうは木製の戸棚で引き出しもいくつかついているんだけど、その中からは父がしまっておいた(とされる)ものがわんさか出てきた。
中からものを出すのが私、横にいるのは今よりも少し若い母、そしてまだ小さかった頃の息子。
父が亡くなったのは6年前だから実際には息子もそんなに小さくはないし、母も若すぎる感じがした。(これも夢ならではの時空越え)
まず、引き出しから出てきたのが小さな木の箱。箱の上には「さんづのかわ」とひらがなで書かれていて、手書きでサザエさんが着物を着て笑っている絵があった。
どうやら私が書いたものらしく、母が笑っている。
その木箱を開けるとキラキラしたパーツのネックレスのようなブレスレットのようなものが出てきた。きれいなものだった。
なぜ、「さんづのかわ」なのだろうか・・・(これも夢のなせるわざ)
その次に出てきたのが、入れ歯のミニチュアのおもちゃ。プラスチックでできていて、なぜか細長い棒がついている。小さな息子の手にガブガブと噛みつくようなしぐさをして笑わせていた。
それからきれいな布が貼ってある表紙のついたノートや、入れ歯同様、何かのミニチュアのおもちゃなど。
父が持っているわけのないものばかりなのに、
「わあ、お父さんの遺品がこんなに!」とか家族で言っている状況。
このあたりでぼんやり頭が覚めてきて、「ああ、あの戸棚、かたさなくちゃいけないんだなあ」などと思ったところで、そんなものはない事に気づきだす。
父が亡くなってから母の認知症が急に進み、3年前に実家をたたんで施設に入居することになった。
自分が育った家を解体することになり片付ける時はとても心が痛んだ。
おそらくその時は母も自宅にいたかったのだと思う。だけど現実的にいろんな危険が伴い、一人で暮らすのが難しい状況になったため仕方がなかった。
認知症のおかげで、今では母もそのころの生活や家のことはもう思い出せなくなっている。
忘却とは神様がくれたプレゼントだということをどこかで聞いたことがあるが、本当にそうなと思った。
とはいえ、今でも実家のことを考えると胸が痛い。
この夢を見てふと思い出した。
そういえば、実家を引き渡したのがまさに3年前の11月の今ぐらいの時期だった。
もしかしたら父が、実家への感謝をもう一度思い出しなさいというメッセージをくれたのかもしれないなと、キンと冷えた朝の空気の中でそんなことを考えた。
今日も読んでくれてありがとうございます。