【往復書簡 エッセイNo.20】後期高齢者の両親との旅「家族ときどき他人」(2)
うららちゃん、こんにちは!
気がつけばもう8月も半ばとなりました。台風が心配なシーズンに突入ですね。
さて、前回の記事で「リアルだとお母さんに寛容になれる」とありましたが、実は私はオンライン("リアル"の反対が"オンライン"でいいのか定義に悩みますが)の方が、いやもっと言うと、文字のみの方が母とはうまくいくようです。
6月のことがはるか昔に思えてしまいますが、旅の苦い記憶を思い出してみますね。(笑)
後期高齢者の両親との旅「家族ときどき他人」(2)
新幹線の乗車ですでに泡を吹きそうになったが、その後、山形の親戚の家に無事到着し、1泊の滞在を経て、青森に向けて電車で移動した。両親は旅行に少し慣れたのか、車窓から見る景色に喜び、母は耳の遠い父にあれこれと話しかけて感動を分かち合っていた。
私は少し安心して、これなら最後まで何とかなるかなと思い始めていた。
そして父の生まれ故郷である青森に入って旅も3日目が終わろうとした時のこと。
この日は、お墓参りや父が希望した観光スポットにも行き、割とタイトなスケジュールだった。夜はゆっくりどこかのお店で食べるのもいいかなと思い、ホテルの両親の部屋に向かうと、母が「お父さんと話して、夕食は近くのコンビニで買ってきたものでいいってことになったの。」と言う。
え?なにそれ。久しぶりに訪れた青森でコンビニめし?!
そう、私の心の黒板に「せっかく〇〇したのに△△ではない。」の構文が最大級のフォントで書かれたのだ!
・両親ともに疲れた。
・母はコインランドリーで父の下着を洗濯しなければならない。
・自宅に送る荷物を整理し始めなければならない。(ちなみにあと2泊残っていたけれど)
・ホテル最上階の天然温泉にも行きたい。
以上の理由から、「コンビニめしでよい」との結論が出ているという。
私はゆっくり旅を味わいたいんだ!が本心だけど、両親にとってこの先いつ来ることができるか分からない旅だから、何か美味しいものを食べて思い出に残そう!という「正義」にどこかですり替わって、「なんで勝手に決めちゃうの?」とブチ切れてしまったのだ。
思えば、この日はなぜか母のひとことにイラッとすることが多く、加えてレンタカーを私が運転して、父の義姉の家で長居したために返却時間に遅れたりして、気持ちの余裕がなくなっていた。
しかし、スイッチが切れた両親に無理を強いるわけにもいかず、コンビニに向かい、夕食や飲みもの、自分用のやけ酒などを買い込んだ。
今回、トリプルルームの設定がないホテルだったため、必然的に両親と私は部屋が別になったが、もし一緒になっていたら持たなかったかもしれない。(両親もきっとそう思ったことだろう。)
旅も中盤にさしかかり、ましてや後期高齢者の両親にとっては、夕食よりも休息を選択するのは仕方ないこと。
今は冷静にそう思えるが、旅の最中の「家族ときどき他人」の距離の保ち方は案外難しい。
旅だから日常と違った空間があった方がいい、と思っても、高齢の両親にとっては、日常の延長線上にある「Each Place(それぞれの場所)」はできれば維持したいのだと思う。
旅を楽しむ以前に、薬を服用するための水が必要であり、部屋のエアコンが慣れない場合は体温調節が必要になり、目の前のできごとに対応するだけで精一杯なわけで、ともに行動する私自身も、適度にひとりの時間を持ち、計画通りにいかないことも仕方ないさ、と思うくらいがよさそうだ。
力(りき)まず、旅の正義を求めず。
まだまだです、ワタシ。
<もう1回だけ、つづく。>
◆後期高齢者の両親との旅「家族ときどき他人」(1)はこちらをどうぞ。
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