平安を保つとは?その秘訣を聖書から読み解く~新約聖書・ヨハネの福音書から
これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」ヨハネの福音書 16章33節
これはイエス・キリストの言葉です。「この世は滅びる」とイエス様は以前に述べました。この滅びゆく世界において、救われたクリスチャンたちは、迫害に遭うなどの苦難を頻繁に経験すると言われています。
この世はクリスチャンにとって生きづらい場所です。
クリスチャンとノンクリスチャンでは、人生における勝利の概念が全く異なるからです。この世での勝利とは、富を築くこと、名声を獲得すること、社会的地位を向上させることとされています。このようなものを手にした人は、世間から称賛されているに違いありません。しかし、聖書はこれらを得ることを勝利とは述べず、それらを空しいものとしています。私たちの人生がこの世で有限であるため、多くの人々は生命機能の停止を死と考え、それが自己の消滅を意味すると捉えています。しかし、聖書は2つの異なる永遠の存在を教えています。一つは永遠の死であり、これは罪に対するさばきとして、火と硫黄の燃えさかる池で永遠に苦しむことを意味します。もう一つは永遠の命であり、これは私たちの創造者と共に、死や涙や悲しみがない、永遠にやすらぐ天国を意味します。イエス・キリストは、私たちが天国に入るために、罪を取り除く救いの道を備えてくださいました。
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ローマ6:23
と書かれている通りです。イエス・キリストはカルバリの丘で十字架にかけられ、死後三日目に墓からよみがえられました。これは神が私たちを愛しておられるため、私たちの背負いきれない罪の罰を、代わりに受けてくださる救いの御業です。
世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。Ⅰヨハネ5:5
もし永遠の命を得ることができたら、この世の人生は永遠の安息への単なる通過点に過ぎず、私たちが経験するすべての良いことや悪いことも、一瞬の出来事にすぎないということになるでしょう。永遠の命を得ることは、この世と、この世を支配する罪と死に対する勝利を意味します。イエス様は、十字架での死と復活を示されました。「私は世に勝ちました」と述べられたのは、この十字架の御業のゆえです。
そして、イエス様を信じる者は、信じた瞬間から永遠のいのちの内に生きるようになっています。この有限の世界において、有限の肉体を持つ限り、無限や永遠を実感することはありませんが、
肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。(ローマ8:6)
永遠については、見えない、感じられないとしても、聖書の御言葉にある約束を信じることは私たちにとって大きな励みとなります。私たちの希望は天にあり、現在も永遠のいのちの中で生きているのです。
平安とは、心の状態を指す言葉です。目に見えないからこそ、それは永遠の価値を持っています。私たちが神に愛され、永遠のいのちが与えられているという信仰が、真の平安をもたらすと言えるでしょう。心より、この神の恵みを受け入れることをお勧めします。