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信仰者として名を遺した英雄ダビデの醜い罪から、天国といのちの謎の1つに終止符を打つ
多機能ペンに惚れこんで仕事、生活、ライフワークに役立てようと
ノート術研究にいそしむ@こんとです。
タスクコントロール、時間管理、健康チェックのために、
書いて、ノートに記す派です。
よろしくお願いします。
さて、私は人生の羅針盤、聖書を、
朝活の一環として1章ずつ味わっている。
ヘブライ語を英語、日本語に翻訳しているので、文学としては少々とっつきにくい書物だが、
聖書は章、節に分かれているので
輪切りにして、その世界をのぞいてみるのも良いだろう。
さて、今朝はサムエル記Ⅱ 12章を読んだ。
ちなみに11章には、ダビデが、戦士ウリヤの妻であるバテ・シェバに目を留め、不倫関係を結び、さらに子を身ごもらせるという
非常にふしだらな罪を犯したことが記されている。
12章では
神様の言葉を取り次ぐ預言者ナタンが、ダビデ王の罪を暴いている。
そこでダビデ王は、
隠蔽や弁解に走ったのではなく
潔く罪を認めた。
ダビデ王の前に王であったサウルとは違っていた。
そして、「あなたに生まれる息子は必ず死ぬ。」と、預言者から告げられる。これは、神様によるダビデ王への戒めであった。
罪に対して、主は容赦がない。
だからこそ、神である。
冷酷無比と評するのは、人間の評価だ。
人間が神を評価するなどおこがましい話である。
そしてダビデ王は、断食をして祈り求める。
神があわれんでくださるかもしれない、と祈り続けた。
しかし、神はダビデ王に告げたとおり、バテ・シェバとの間にもうけられた
子のいのちを奪った。
注目すべきは、子の回復を祈り求め続けたダビデ王の、
子が死んだ、と家来から聞かされた際の応答だ。
しかし今、あの子は死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるだろうか。私があの子のところに行くことはあっても、あの子は私のところに戻っては来ない。」
サムエル記 第二 12章23節
である。
ここに、嬰児のいのちに関する答えがある。
ダビデ王は、自らが永遠の天に凱旋することを信じ、望みとしている。
「私があの子のところに行く」
と、ダビデ王は自ら述べ、その後に身ぎれいにし、王としての職務に戻っている。
この変わり身の早さに、周囲の人々は怪訝に思う。
さっきまで、死なないように、と願っていたのに
本来は悲しみ、打ちひしがれるのではないのか。
そう思ったのだ。
だが、ダビデ王は違った。
天で再会できることに確信を持っていた。
なので、悲しむことはなかった。
神がいのちを握っていること。
ここに信仰を置いていた。
救い主を信じることが、そもそもできない
罪も犯すことがない状態の嬰児
まさに、神によって創造された
生まれたままの者は、天国で安らいでいるいう確信
永遠のいのちについて、
正しい理解を持とう。