【コンサル物語】第一次世界大戦
アーサー・アンダーセンがシカゴのウェスト・モンロー・ストリートに会計事務所を開設したおよそ半年後、1914年7月、第一次世界大戦が始まりました。
この戦争は皮肉にもアメリカ社会でプライス・ウォーターハウスやアーサー・アンダーセンといった会計事務所の地位を向上させ、1920年代の発展へと繋がる足掛かりとなりました。今回はその歴史に迫りたいと思います。
アメリカが第一次世界大戦に関わっていく歴史はおよそ次のようなものです。
このようにアメリカが戦争に直接兵を送るのはかなり後になってからではありましたが、戦争の初期段階から支援という形で戦争に関わっていたわけです。そのため国内では様々な政策が取られましたが、このコンサル物語で注目したいのは当時の連邦税の政策についてです。
当時のアメリカの連邦税については『闘う公認会計士』に詳しく書かれています。
高率の税負担に加え、法律は複雑であり管轄する財務省の規則の難解さ等が手伝って、専門家としての会計事務所への需要は著しく増加しました。
アーサー・アンダーセン会計事務所は新しい連邦税が会計事務所の業務に大きな影響を与えることに早くから気づいていました。事務所設立時のアナウンスメントに「連邦所得税法に基づく報告書の作成」を掲げ、最初から税務サービスをメニューとしています。ちょうど1913年3月1日に最初の連邦所得税が発行されその年の12月に事務所を設立した、そんなタイミングでした。
歴史を振り返ると、アーサー・アンダーセンは第一次世界大戦のこの時期に税務サービスを中心に事業を進めていたことが分かります。
二度にわたる歳入法の改正が行われた1917年から18年にかけて、ノースウェスタン大学商学部は連邦税に関する6つの特別講座を開講し、アンダーセン氏は教授としてこの講座を企画・担当しました。この講座には、著名な裁判官、銀行家、会計士、弁護士、企業経営者などが大勢参加したと言われています。アンダーセン氏は連邦税が与える影響の大きさを予見してこのコースを発表していました。
アンダーセン氏の活躍により、アーサー・アンダーセン会計事務所は税務分野における評価をあげました。クライアントへの高品質な税務サービスの提供は、コンサルティングや会計監査といったアーサー・アンダーセンの他の業務での仕事に繋がり、シカゴでの事務所の存在感を一気に高める結果になったのです。
この時期税務サービスを拡大していたのはアーサー・アンダーセンだけではありませんでした。他の大手会計事務所も機会を捉えていましたが、その中でも当時業界リーダーにあったプライス・ウォーターハウス(後のPWC)の場合は、その地位にあったからこその仕事でアンダーセン氏を悔しがらせたことでしょう。
第一次世界大戦が始まるとプライス・ウォーターハウスのトップであるジョージ・O・メイと社内の複数人の会計士はワシントンで政府の役職に就いていました。特に1917年の超過利潤税に関しては税務顧問として法律の策定にも関わっていて、更にはジョージ・O・メイは財務省のコンサルティング業務にも従事するようになっていました。
このようにプライス・ウォーターハウスの場合は業界トップの地位というメリットから、連邦政府での税法の作成に関わりながら、一方では税を負担する側の会社と個人への税務サービスの提供という両面で事業を展開し、アーサー・アンダーセンには決して真似のできない仕事をしていました。
プライス・ウォーターハウスの社史にも戦争中の税務サービスの拡大が記載されています。
第一次世界大戦により会計事務所はビジネス界における存在感を増しました。特にシカゴではアーサー・アンダーセンが設立後数年で急成長し、この後1920年代にシカゴに見られるコンサルティング発展の土台を作っていました。
(参考資料)
『THE FIRST SIXTY YEARS』(ARTHUR ANDERSEN & CO.)