【コンサル物語】コンサルティング部門の切り離し~20世紀末アメリカ~
1990年代アメリカの大手会計事務所Big6(ビッグ・シックス)※は、本業の会計監査を凌ぐ売上をコンサルティング等から上げるようになりました。その背景には、システムコンサルティング分野への積極的な進出や様々なコンサルティング専門会社との提携等がありました。
ところが21世紀に入るとBig6からコンサルティング部門は切り離され、以前のように会計監査を中心とした会計事務所に姿を変えていました。今回はBig6がコンサルティングを切り離した20世紀末から21世紀初めの歴史を見ていきたいと思います。
1社目はKPMGですが、1995年の同社の売上全体に占める監査/税務/コンサルの割合は、監査45%、税務19%、コンサルティング36%でした。2000年にコンサルティング部門はKPMGコンサルティングに分社化されますが、それまでにも段階を踏んだ切り離しの動きがあったようです。その一例をご紹介したいと思います。
最後に挙げた、2000年設立のKPMGコンサルティングは後にべリングポイント(BearingPoint)という社名にブランド変更され、2002年に解散したアーサー・アンダーセンのコンサルティング部門の受け皿になる会社でもあります。残念ながら2009年にべリングポイント自体が破産しビジネスコンサルティング部門はプライス・ウォーターハウス・クーパース社に吸収されていきます。
KPMGに続いてもう1社はアーサー・アンダーセンですが、組織としては1989年に会計部門とコンサルティング部門が分離し、コンサルティング部門はアンダーセン・コンサルティングとなっています。1995年の売上全体に占める監査/税務/コンサルの割合は、監査32%、税務16%、コンサルティング52%でした。
Big6においてコンサルティング部門を切り離す理由には、①会計監査の独立性の問題、②コンサルティング部門からの圧力、③売却による資金の獲得等があったと言われています。ところがアーサー・アンダーセンの場合は少し違っていたようです。それは双方が裁判所に告訴するという争いの形になり喧嘩別れしてしまったのです。
アーサー・アンダーセンからコンサルティング部門がアンダーセン・コンサルティングとして独立してすぐ、アーサー・アンダーセンの内部に新たにコンサルティング部門が設置されました。両社はクライアントの売上規模ですみ分けの約束をしていました。
ところが、ほどなくして両社のクライアントが重複する事態が起こり、互いが相手側に否があるとし1997年国際仲裁裁判所に告訴したということです。両社が最終的な合意に至ったのは2000年頃ですのでなかなか長期間の泥沼状態だったようです。「アンダーセン」名称の帰属とお金に関する問題は次のように解決されました。
KPMGとアーサー・アンダーセンでのコンサルティング部門の切り離しは上記の通りですが、残りのBig6各社も2002年までにコンサルティングの処分を行いました。
アーンスト・アンド・ヤングは2000年に110億ドル(当時のレートで約1兆2000億円)でキャップジェミ二に売却され、プライス・ウォーターハウス・クーパースは2002年に35億ドル(約4,200憶円)でIBMに売却されているようです。
1990年代にBig6各社はコンサルティングを成長させましたが、常に会計監査とコンサルティングの利益相反について監督官庁のSEC(証券取引委員会)が目を光らせていました。そのような中でも監査部門とコンサルティング部門は両者の距離をうまく保とうと努めていたのでしょうが、2002年に成立したサーベンス・オクスリー法(SOX法)が切り離しにとどめを刺したと言えるかもしれません。
(参考資料)
『名門アーサーアンダーセン消滅の軌跡』(S・E・スクワイヤ/C・J・スミス/L・マクドゥーガル/W・R・イーク 平野皓正 訳)
『The World’s Newest Profession』(Christopher・Mckenna)
『company-histories.com』