【コンサル物語】誇り高きエリートの1980’s プライス・ウォーターハウス(前編)
1980年代アメリカ。大手会計事務所8社(通称ビッグ・エイト)は、顧客であるアメリカ企業同士の合併・買収の波により大きな影響を受けていました。企業の再編は会計事務所が顧客と収入を失うことに繋がる場合があったからです。
今回は1980年代のプライス・ウォーターハウス社の歴史を紐解き、大合併時代を生き抜いた大手会計事務所の一例を見ていきたいと思います。
1890年、ロンドンに拠点を置くプライス・ウォーターハウス会計事務所がニューヨークに支店を設立したのが、アメリカでのビジネスのスタートでした。20世紀前半は他社を寄せ付けない圧倒的な存在感であり、同社からはアーサー・E・アンダーセン氏のような巨人も排出しました(アンダーセン氏は会計士のキャリアをプライス・ウォーターハウスでスタートしました)。プライス・ウォーターハウスは、1960年にピート・マーウィック・ミッチェル(後のKPMG)やアーサー・アンダーセン(後のアクセンチュア)等に抜かれるまで、アメリカ会計士業界で名実共にリーダーであり続けました。
規模では他社に追い抜かれたものの、1960年代以降もプライス・ウォーターハウスは歴史に誇りを持ち、いたずらに規模拡大を追いかけず伝統的な会計事務所であり続けました。それはコンサルティング分野への進出が他のビッグ・エイトと比べると抑え気味であったことにも表れています。
ところが、アーサー・アンダーセンのコンサルティング重視やピート・マーウィック・ミッチェルの合併・買収による規模拡大等の戦略とは違い、プライス・ウォーターハウスの誇りというものは明確な戦略と呼べるものではなく、プライス・ウォーターハウス自身が危機感を持ち始めました。そして、1979年には経営コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに会社の戦略評価を依頼しました。
マッキンゼー社へのコンサルティングの依頼は非常に興味深いものです。この事実は、コンサルティング会社がコンサルティング会社をコンサルティングするという意味を持っており、互いに相手へのリスペクトが伴ってこそ成り立つものだったと思われます。
少し話はそれますが、この頃マッキンゼーにコンサルティングを依頼したビッグ・エイト会計事務所はプライス・ウォーターハウスだけではなく、デロイト・ハスキンズ・アンド・セルズ(後のDeloitte)もその一つでした。
さて、マッキンゼーの助言後に最初の大きな動きが見られたのは1984年でした。プライス・ウォーターハウスとデロイト・ハスキンズ・アンド・セルズは、過去に例のないビッグ・エイト事務所同士の合併という話を極秘に進めていました。
合併議論が公になってからは、巨大会計事務所の誕生のプラス面を協調する声と共に、独占的な地位に対する脅威を警戒する声が同業者から出ることもありました。
最終的にこの合併話は、両社ともアメリカのパートナー(経営陣)には支持されましたが、プライス・ウォーターハウス側がグローバルで強い発言力をもつイギリスのパートナーに反対され、立ち消えとなりました。
プライス・ウォーターハウスにとって劇的な成長が期待できたデロイト・ハスキンズ・アンド・セルズとの合併話は、消滅してしまいました。1890年にロンドンからニューヨークに進出し、90年以上経ってもなおイギリスの影響力は大きく、それがイギリスを本家とする会計事務所の一面でした。
同社の新たな競争戦略は1980年代の後半へと続いていきます。
(参考資料)
『ビッグ・シックス』(マーク・スティーブンス著 明日山俊秀・長沢彰彦 訳)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN、KATHLEEN MCDERMOTT)
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