猫の介護と倫理的な葛藤
今日は私の家で飼っている猫と、それを介護を通して感じたことについて話したいと思う。この猫、この子は15年くらい前にうちの家に来た。保健所で殺処分寸前の猫だった。正直に言えば、見た目が“かわいい”とは言えない子だった。目に見えてわかる障害もある。それが理由で捨てられ、譲渡されることなく、死の寸前に追い込まれていたのだと感じた。そんな猫をいろいろな経緯があったのち、うちの家の子として引き取った。
いきなりだが、高齢猫の死因として一番多くあげられるもの、と聞かれて答えられる人はいるだろうか。猫を長く飼っている人はわかるかもしれないが、死因として一番多いのは腎臓病である。
この病気は完治することはない。腎臓病というのは猫を飼っている人からしたら本当に嫌なワードだと思う。
しかし、実はそれ以外にもある。
それは口内炎。それに伴う食欲不振、衰弱である。え、口内炎?大したことないじゃん。と思う人がいるかもしれないが、これが厄介極まりない。猫の口内炎は口内の広範囲にわたって炎症が起こり、それが続いてしまう。そのため痛くてエサ、ひどい時は水すら飲めないことが続いてしまう。そこから衰弱し、死に至ってしまうという具合だ。
余談が長くなってしまったが、前述した見た目の良くない、かわいくないうちの猫は口内炎になってしまった。(いや、かわいいはかわいいのである。甘えてくるし。ただ見た目が世間一般ではかわいくないと言われる)
最初は軽度なもので、エサもだましだまし食べれていたようだが、だんだんと食事の量も減っていき、とうとう食べることができなくなってしまった。結果かなり衰弱してしまう。お腹は浮き出た骨が目立ち、歩きもふらふらしてままならない。はっきりってこの子はもうすぐ死ぬし、年を越すことなんて無理だろうと思った。
ただここで、獣医さんの手助けもあり、猫の口内炎には様々な対策があると知る。エサの強制給餌というものだ。
↑これ、ちなみにすごく難しいです。スムーズにやられる紹介させていただいた獣医さんを尊敬します。まじで。
これはシリンジを使い、猫の口内へエサを流しこんで食べさせるやり方だ。もうこの子にはこれくらいしかやってあげられることはないだろう。そんな思いからエサの強制給餌をすることになった。
やってみると意外と難しい。エサの量を間違えると誤嚥の可能性もあるし、勢い余ってエサを吐き出すこともある。シリンジを噛んでしまい、ダメにすることもしょっちゅうだ。口内炎があるところにエサが触れてしまえば痛みを感じて暴れるため、それに対する注意も必要だ。エサの種類なども大切である。食べさせているものがシリンジと相性が良ければいいが、悪ければ水を入れて粘度を調整する必要がある。
今の私はお金はないが時間は大量にあるため、強制給餌をやり続けた。するとどうだろう、1か月続けただけで体重は8%増え、目に見えて体調がよくなった。歩いて虫にじゃれたり、爪とぎをしたり、高いところにジャンプして登ったり…と。調子が悪くなってからやらなかったことをたくさんやり始めた。私たちの試みは大成功だと言ってもよいだろう。1日に20分から30分を一匹の猫のためだけに使うというデメリット?はあるが、たかがそれくらいの時間だし、今は無駄に時間は余っている。それくらいの時間なら1発抜くのを我慢すればどうってことなく確保できる時間。だったら猫一匹にもその時間を使ってやっていいだろう。
ありがたいことに猫の体調は良くなり、突然の不幸さえなければ年を越すことは確実となるだろう。それはとても嬉しい。しかし、私の心の中には濃いモヤモヤが出てきて、払いきれない大きなものとなった。
元々私は、人間の老人で、食事もできず、胃ろうなどで生命を無理やり続けさせるくらいなら楽にいかしてやればいいのに、と思っていた人間だ。私は考える。私が猫にやってきたことは、私が否定してきたことそのものではないだろうかと。言い訳ならある。食べる意思が多少なりともある動物を生かすことはエゴであり、同じようにそもそも動物を飼おうとすること自体エゴでしかないのだから問題ないだろうという考えだ。しかしながら、これにも簡単に批判が出てくる。人間より動物を優先的に考えるのか?これはまさにX(旧ツイッター)的な議論だが、いわゆるかわいそうランキングを作っているのではないか?大体高齢者を生かすこと自体エゴだったとしても問題ないだろう… まぁまだいっぱい出てきそうだが、といった感じ。
ここまでだらだら書いてきたが、結局何が正解なのか全くわからない。そもそも高齢者の胃ろう問題と、猫の強制給餌の問題を比較すること自体がナンセンスなのかもしれない。しかしながら、この原因がいまいちはっきりしない心のモヤモヤはずっと続いている。それこそ猫に強制給餌をしているときだって。それで私はこれを、強制給餌をやり続けると思う。それに対しては全く後悔はない。今日だってさっきやってきたばかりだ。何が正解かわからず、それでも疑問を持ちつつなんとなく納得しながら私はやるんだろうなぁ…
そんな感じ。
最後に、同じような状況にあったが、亡くなってしまった猫と飼い主さんたちにお疲れさまと言いたいです。
それでは。