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40歳になって空飛ぶクルマを作った!壮絶な創業物語と中国人起業家の「愚直さ」
前書き:2025年大阪万博の公開予定を報道されたことにつれ、日本でも注目度の高い空飛ぶクルマ(eVTOL)は、実は中国では急ピッチに技術開発と実用化が進んでいます。民生用の有人航空機と無人運転航空機を輸送手段として、人や物の輸送など複数のシーンにおける低空域飛行活動によって、物流・防災・農業林業など関連分野の融合的発展は中国では「低空経済」と名付けました。この分野は、今後100万人の雇用機会を創出するとも言われており、各地方政府は優先順位を上げて発展に注力しています。
しかし、この分野の中国の先駆的な起業家達は、最初に歩んだのは茨の道でした。そこで見せられた企業家精神(アントレプレナーシップ)は、普通人の我々にも、大変勇気づけられたものです。
以下は、最近読んできた中国語の記事を日本語に編集した内容です。皆さんに紹介します。
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40歳になると、彼は空を飛ぶことを決意しました。
小鵬匯天社の広州本社の1階ロビーには、3台のスタイリッシュな空飛ぶクルマが展示されており、見学に来る客は立ち止まって観たり、中に入って体験したりします。これらはすべて、同社が開発しました。
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階段の近くには、一台の飛行バイクも展示されています。これは特別に保護されており、ガラス越しにしか見ることができません。4つのローターはすでにペイントの光沢がなくなり、白いシートには汚れが見えます。
創業者の趙徳力氏の物語は、この飛行バイクから始まりました。
1500回以上の繰り返し試験を行い、五十回以上も墜落した後、2018年6月、趙徳力氏はこの飛行バイクに乗って、初めて空に飛び上がりました。
テスト飛行に成功した瞬間は、趙徳力氏は自信が湧き、大きいな喜びを味わいました。「この日までは、今までの人生を疑っていました。自分は失敗者で、ルーザーだと思っていました。もしいつまでも飛べなかったら、私は反面教師となり、余生は嘲笑や罵声を浴びるでしょう。」、と趙徳力氏はメディアの《中国企業家雑誌》のインタビューに対してこう語りました。
趙徳力氏が空飛ぶクルマの分野に参入して会社を創立したとき、中国で有人飛行機を製造する企業はたったの2社ですが、もう1社は2019年にナスダックに上場し、現在の時価総額は約65億元人民元(約1.4兆円)です。
小鵬匯天社は、2020年9月に正式に設立されました。XiaoPeng汽車の創業者の何小鵬氏は大株主で会長を務め、趙徳力氏は社長を務めます。
今は、世界中に300~400社の超低空有人飛行機を研究開発する会社があり、その中で中国国内には20社以上の企業があります。低空経済は、政策面でも「送り風」を迎えました。中国の戦略的新興産業に指定されるだけでなく、「新たな成長エンジン」として今年の《政府活動報告》に書き込まれました。
低空経済の中で最も注目される分野として、空飛ぶクルマは兆元規模の産業まで発展すると見込まれます。モルガン・スタンレーの予測によると、2040年までに、世界のeVTOL(電動垂直離着陸飛行機)市場規模は1兆ドルを超え、その内中国は約25%の市場シェアを占め、世界最大の都市空中交通マーケットになると言われています。
「私たちは低空経済の発展にはすごい期待を持っており、将来、より多くの可能性があると見ています。」趙徳力氏はこう語りました。
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空飛ぶクルマの分野で長年に摸索してきた同社は、いまになって累計5モデルを自力で開発しました。2台のプロトタイプ機、旅航者T1、旅航者X1、旅航者X2、および開発中の一体型空飛ぶクルマと、分体式空飛ぶクルマ「陸地空母」が含まれており、アジア最大規模の空飛ぶクルマ会社に成長し、その評価額は10億ドルを超えています。
たったの4年間で、同社は国内の空飛ぶクルマ分野で無視できない「ダックホース(穴馬)」になりました。どのように道を切り開いたのでしょうか。
趙徳力氏の早期の経歴は、ハイテクとはまったく無縁でした。高学歴も海外留学経験もなく、素人として一気念発してこの最先端分野に参入しました。
高校を中退した後、趙徳力氏は広東省東莞市に行って働きました。肉体労働者、警備員、不動産仲介業者、保険営業員、果物屋、レストラン経営者、プラモデル販社の経営者などの職業を経験し、その間に一定の資金を稼ぐことが出来ました。その頃、飛行に夢中になっていた彼は、2013年には、プラモデルを売って得た2000万元余り(約4億円)を持って、東莞で会社を設立し、低空有人飛行機の研究開発に励みました。
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当然、開発は思ったほど順調ではありませんでした。趙徳力氏はまずモーターの製造から始め、その後飛行制御の開発を行い、2016年にフレーム機を組み立ててテスト飛行を始めました。
その間、チームは解散寸前になりました。発足当初は20人ほどいましたが、2016年には2人だけ残りました。さらに、初期資金の2000万元も使い果たし、「あの時は借金だらけで、クレジットカードや、消費者金融サービスが全部限度額を超えていました。毎月は返済しろと催促の電話ばかりかかってきて、友達もいませんでした。」当時のことを思い出すと、趙徳力氏は「とても悲惨だった!」と述べます。
しかし、彼は悔しく、間もなく 40 歳になる自分に対して、何かを残したいと強く思いました。「この年齢になっても夢を追う勇気があるのは、とても貴重なことです。おそらくこれが一度きりのチャンスです。」、と趙徳力氏は、起業の最悪の結果は破産ですが、それを受け入れられるかと、できる!と当時には自問自答したそうです。「なぜなら、私にはまだやり直すチャンスがあるからですよ。」、その気持ちは、千回以上に経験した失敗のトン底から彼をすぐい上げました。
そして、2018年に飛行バイクのテストが成功した後、趙徳力氏は商品化を考え始めました。資金を集めるため、趙徳力氏は様々なテレビのバラエティ番組に出演し、繰り返して自分の研究成果を披露し、いろんな人に見せました。「たまには出演料を頂いたこともあって、チームを養うことができました」。
しかし、資金集めは難航しました。「アマチュア科学者」と見られている彼は、情熱の塊以外何も持っていません。これは投資家にとって、大きなリスクを意味します。「しかし、私のような起業家は、果敢に戦うことができ、死ぬことも、困難も、失敗も恐れません。」、と自分の愚直さに託した趙徳力氏は、一人一人の投資家に対して何度も実演を見せました。「彼らが見に来てくれない時は、私が飛行バイクを連れて、彼らの場所まで行って飛んで見せました。」との話も。挫折の後も行動は止まっていません。
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徐々に、メディアの報道が奏功し、社会から関心が集まりました。2019年、趙徳力氏はようやくエンジェル融資を獲得しました。このお金を使って、彼はすぐに二人乗りの飛行バイクの開発に乗り出しました。これは乗客を運べることが出来ることを意味します。
決定的な転機は、XiaoPeng自動車のCEOの何小鵬氏が2020年夏に彼を訪ねに来たときでした。何小鵬氏はすぐに決断を下し、必要な資金とリソースを提供しました。以降は、事業発展は順調に進み始めました。趙徳力氏は、「それまでは資金が底をつき、毎日不安の中で過ごしており、開発に全く気が向きませんでした。」と回顧しました。
いま、趙徳力氏のチームは1000人近くの規模まで拡大し、研究開発セッションの割合は85%で、修士号や博士号の持つ人材は半分以上に占め、航空業界出身者の割合は25%以上です。
趙徳力氏は、空中タクシーの時代が必ずやってくると確信しています。しかし、その道のりは長く、直面するチャレンジも多いと考えています。「まずは動力、次は法規制です。一体型の空飛ぶクルマは車なのか飛行機なのか。二重の規則を持たねばならないのか。軽量化も問題で、現在は遠くまで長く飛ぶことができません。」。従って、まず短期間で納品できる製品、例えばホビー目的での野外飛行や、緊急救助、物流、観光などの特定のシーンに応用出来るものを作ると考えているそうです。
2023年10月、同社は初めて分体式空飛ぶクルマ「陸地空母」の開発進捗を公開し、来年の第四半期に量産と納品を開始する予定で、価格は100万元(約2000万円)前後とされています。
趙徳力氏によると、一部の企業や公的機関はすぐに発注し、「待ちきれない」ようで調達意向書にも署名しています。一方、個人ユーザーは第四半期に予約を開始できます。
そして、「究極の目標」と見なしている一体型の空飛ぶクルマも、去年10月に登場し、今年1月にCESで公開されました。計画通り、最速で2028~2030年に量産される予定です。
しかし、空飛ぶクルマは日常的な運営に至るまでには、まだ多くのチャレンジがあります。
それでも、将来、趙徳力氏は誰もが自分の空飛ぶクルマを運転して、都市の上空を自由に行き来できるようになることを願っています。氏は、あと40年、即ち86歳まで働くつもりです。「今は方向性がすでに固まったので、学びを継続し、健康を保つことが大切です。」と、自分の愚直さは成果に結びつくと確信している趙氏です。
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以上です。いかがでしょうか?経営学者のドラッカーが書いた本『イノベーションと企業家』には、企業家は「「リスク志向」ではなく「機会志向」」という説があります。趙徳力氏が度重なる失敗と困難を乗り越え、迷わずに前進できたのは、こういう「機会志向」を持ったうえ愚直に行動したからではないでしょうか。勉強すべきものがいっぱいありました。
参考:《40岁,他决定上天》ー中国企业家雑誌(2024年7月15日)
写真:中国企業家雑誌
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