戦争をしないということ
私たちの国は約80年前に大きな戦争を経験し、それ以来平和主義を掲げ、戦争をしない国を目指し、それを貫いてきました。
戦争をしないということは、どうあるべきことなのでしょうか。
「戦争をしないということ」=「戦力を持つことを断ち、戦争をできない状態にすること」というロジックを持たれる人がいます。ただこれは、私たちに戦争をする(武力を行使して他国を侵略する)意思がある時は、その手段がないわけですから有効でしょう。
問題なのは、私たちにその意思がなくても他国が武力を行使してきた時には、このロジックは成り立たなくなるということです。
日本は弱い国だから何もしないでいておこう、何もしてこないから要望も全部聞いてあげよう、話せば解決するんだ・・・。
残念ながら世界はそんなに甘くはありません。
つまり、「戦力を持つことを断ち、戦争をできない状態にすること」は、他国の立場を強め、侵攻を容易にし、最悪侵略されてしまう危険すらあります。
戦争をしないために大事なのは、日本の安全保障を含めた強い国力と日本人の平和を希求する強い意志です。
私事ですが、ボクシングをやっています。
そこで出会った小学生A君と中学生B君のお話です。
彼らに共通するのは、いじめにあって不登校気味だということ。最初の2人の印象は、正直頼りなさそうというか覇気がないとうか・・といったところでしたが、半年もすると目の色が変わり、強くなることで自信がつき、背筋も良くなったように感じました。
A君とB君と話してみると、2人ともすでに学校には普通に通っているようで、いじめていた子も彼らの話をよく聞いてくれるらしく、友達になった子もいるそうでした。
「喧嘩して勝ったの?」と問うと、A君「しないよ!みんなボクシングやってるって言ったら、色々聞いてくるようになったんだ」、B君「ボクサーは喧嘩しちゃいけないですからね(笑)」と。彼らは強くなったことで自信が芽生え、いじめっ子とのコミュニケーションも積極的にでき、そしていじめっ子も2人が強いと察し、いじめなくなったのでしょう。
彼らはボクシングで得た力を行使することなく、この状況に至りました。人間そんなものなのでしょう。
もう一度言いますが、日本の安全保障を含めた強い国力と日本人の平和を希求する強い意志で戦争を避けることが大事なのです。
いわゆる憲法9条を掲げた、平和に対する議論はよく行われていますが、その割に日本の教育は、戦争のことに触れなすぎると思います。事実、学校の授業で第二次世界大戦期の歴史なんかは、一瞬で終わってしまいます。戦争のことについて話すことはタブー視さえされていますよね。
戦力を持たず戦うことができないことで、戦争をしない、平和を維持するという議論をするよりも、戦争というものがいかに悲惨で残虐なものなのかを教え、どんなことがあっても「絶対に戦争は避けなければいけない」という意識を全国民がもてるようにすることが、平和に向けての最優先事項なのではないでしょうか。