月子と太一4
太一と付き合う前に、月子は痛い失恋をした。
誰にでも一生に一度はあるような、平凡な失恋に過ぎなかったが、月子にとっては、それはそれは痛い失恋だった。
月子より2つ年下のその男は、無邪気を身に纏い、いとも簡単に月子の心に棲みついてきた。
中性的な顔立ちをし、時々年上の月子に男らしさを振り撒き、そうかと思えば捨て犬みたいに月子の胸の中で甘えた。
正社員として働いていた月子の会社に、短期アルバイトとして入社してきたその男は、契約期間の3ヶ月で、見事に月子を虜にした。
恋に狂うってこういうことだ。
頭の中では冷静な自分がそう思っていたが、月子はもう止められなかった。
実家暮らしの月子がボーナスを注ぎ込んで一人暮らし始めたのも、男友達と軒並み縁を切ったのも、ヤキモチ焼きで風来坊なその男のためだった。
一人暮らしを始めて1週間もすると、月子の思惑通り、その男は月子の新生活に転がり込んだ。
時間を気にすることなく男の腕で眠る時、月子は人間を独占する事の幸福に身震いした。
世界は2人のために。
そんな言葉がピッタリと当てはまる程、月子はその恋に心酔していた。
仕事をしていても、友人と会っていても、片時も男の事を考えていない時間は無かったし、実際にどこまでが自分で、どこからがその男なのか、分別して考えることが困難な程だった。
無論、そう思っているのは月子の方だけで、その男が同じように月子と恋をしていたかどうかは知る術もなかった。
それでも月子は全く気にしなかった。甘い生活は実質半年くらい続いた程度で、後の2年は殆ど惰性でしかなかった。
幾度となく浮気され、金をせびられ、挙句、中絶まで経験させられた。
なのに月子はその恋をやめられなかった。
愛してるという感情なのかどうかさえあやふやなまま、取り憑かれるかのように執着した。
失ったらもう何も無い。
根拠のないそんな想いは、月子をどこまでも支配し続けていた。
「月ちゃんったらこんなところにいたの」
2本目の電子タバコに手をかけたところで、母が喫煙室の扉を勢いよく開けた。
「太一さんも仕事で忙しいんだから、私達で早く準備を進めちゃわなきゃ。まったく花嫁さんらしくないのね、月ちゃんは。」
諦めた口調で捲し立てると、ハンカチを取り出しながら、母は月子の隣で額から首までぐるりと汗を拭った。
「だから、ドレスは最初に着たのでいいってば。」
もう吸いたくもないタバコの煙を吐きながら、投げやりに月子が言うと、
「そんなことばっかり言って。太一さんだってきっとあのドレスがいいって言うわよ。」
と、尚も額の汗をせわしなく拭いながら、母は自信満々に言い放った。