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有限の中で生きる。

こんばんは。
神傳ーカミツタエーの由香です。


今日は、終戦の日ですね。

今日、我が家は
パパがお休みだったので
夏休み!ならではで、
家族でプールへ行ったのですが
そこで、野鳥を保護する出来事もあったり
自然の中で生きる命のことを想う時間ができたり

それから、家に帰ってのんびりしていたら
コロナ禍でなかなか実家に帰ってこれなかった義弟が帰ってきて、子どもたちは大喜びで、
(しかも本当は13日に帰るはずが大雨で帰路の途中が浸水していて帰れなくて)
1年ぶりにみんな揃って食卓を囲めて、
夜も、やっと雨が上がったから花火をして
子どもたちも、すやすやと眠りについて。

そんなこんなで
あぁ、今日も
当たり前のように、みんな元氣に過ごせて
倖せな日だったなぁと思いながら
家事をしていたら

有限の中で生きる


と、いう言葉が胸に響きました。

昼間に見つけた野鳥は幼鳥だったようで
そのきょうだいの一羽は、すでに
虫の餌になっていました。

飛べない鳥は、長く生きられず
次の命の血肉に変わる。
それが、自然の中での
ごく当たり前の事実で。

けど、そうと分かってても
やっぱり、目の前にまだ生きている幼鳥がいて。
たどたどしくしか飛べないその鳥は
きっと、同じように
明日にはもう、誰か別の生き物の
血肉になっているんだろう。
そう思うと
今手が届く命を、見過ごすことはできなくて。

例え、それが
自然の中でのルールだとしても。

甘いんだと分かってても
ルールを破ることなんだとしても

限られている命だからこそ
やっぱり、少しでも
ほんの少しでも
この世界を味わってほしい

そう、思ってしまった。

この判断が
正しいとか、正しくないとかは
私の中で答えは出せないけれど

私は、きっとこれからも
こういう選択をしていくんだろうなぁ、と思います。

…考えが、甘いんですよね、きっと。
基本的に、そんなに物事を
深く問い詰められない質なので^^;

だからこそ
その命にとって、それが最善なのか
ということは、常に問わないといけないのかもしれないけれど。


終戦の日。
みなさまは、どんなことを想いましたか?

ごく当たり前の
ごくいつも通りの日々が
横たわっていたなら、いいなぁ
と思います。

いろんな過去の事実やお話を聞くことも
大切で
知って、考えることも
大切で。

けど、私は
今、今日この倖せを、
しっかりと感じていたいと
届く手なら、迷わず掴みたいと
強く思う一日でした。


今日も
ここまで読んでいただき
ありがとうございます(^^)

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