オリンピックみてひとりごと
今年の夏はオリンピックはじめ、今も高校野球、パラリンピックなどを、コロナもあり外出も少ないので、テレビでスポーツ観戦することが多くなりますね。今や、頑張っている選手の母の気持ちに勝手になりきってついみてしまいますが…笑ドキドキするし、すぐ泣きます。それみて、我が子が笑っています。そんなこんな観戦ですが、いろんな競技でたくさんの感動と気づきをもらっています。
特に新競技として加わったスケートボードなどを観ていて感じた、世界の大舞台で緊張感の中にも感じる心地よさと、そこで繰り出されるベストパフォーマンスには、大変感動しました。国関係なくお互いを称え合う姿は、他の競技では見たことのない光景でした。勝つことが一番のようで一番でない。自分が自分らしくチャレンジしての結果の先に勝ちがある。冷静に見れば、チャレンジせず、成功率の高い技でまとめていけばメダルが取れたであろう場面でも、それを選択せずチャレンジしていく選手の姿は美談とかではなく、スポーツの本質を感じさせてもらった。何よりそのチャレンジをする選手は楽しそうだったし、勝ち負けを争っているはずの他国の選手達も、その瞬間その技の成功を心から応援しているように感じられた。そこにチャレンジする為に集ったみんなが、ベストパフォーマンスすることを願うような大舞台。私は、オリンピックを見ていてはじめてそんな感覚を感じさせてもらった気がします。ストリート文化から生まれた競技だからかもしれないけど、本来スポーツとは、ただ勝つことだけが目的ではない魅力があるんだったと、改めて感じました。その競技をする人の、ピラミッドの頂点に立つことは凄いことだし競技によっても、相手のミスがポイントになるものもあるし、ひと口に言えることではないけれど、私が知っているスポーツの世界との違いに驚き、昔のことも思い出した。
私自身も、その昔ザ体育会系のソフトテニスをしていたのですが、その頃は365日のうち休みは、1週間もなく、毎日毎日朝から晩までヘトヘトになるまで。水分補給も休憩を与えられた時だけ。今考えると、よくやれていたなと思う。だけどそれが当たり前だったし、表だって文句も言えなかった。勝つ為に練習する。勝つ為に試してみたことでさえ、負けたら怒られる。怒鳴られる。とにかく勝つことが、目的。勝てなかかったら…とプレッシャーを常に感じていました。試合が開催される場所までの移動時間なんかは、嫌で嫌でしょうがなかった。 逃げ出す勇気もないし、楽しむこともできない。今でも、その地を通ると蘇ります。私の場合、中学でもソフトテニス部でしたが、高校に入ってから飛躍的に上達しました。だから短期間での自分の成長が自分自身嬉しくて、努力も楽しかった部分があったから頑張れた気がします。ピークは、高2の秋くらいだったなぁ。高3の頃自分の成長に頭打ちする頃には、ソフトテニスが好きかどうかもわからなくなっていました。最後試合では、目標としていたことは達成できず、心身共にボロボロの最後でした。今思えばその時期もあって今があると言えますが、また一方で、今の時代のように科学的に練習メニューがくめ、メンタル面でも根性論ではなくその人にあった多角的な見方をし、相手に対してもリスペクトできるような指導を受けられていたら、また違ったのだろうか?とも思う。
今回のオリンピックで先記に書いたように新しい価値観を選手達から感じた一方、メディアではまだ「金メダルがいくつだ、」とメダルの数や、結果をあげた競技や選手ばかりをとりあげるのは変わらない。その感じには、違和感と不快感を感じた。今までもやっていた、取り上げ方ではあるが、自分の知っていたスポーツの世界の価値観とは違う、新しい感覚を知った後だからか、妙に目についたし、不快だった。
賛否両論あったオリンピック開催だったけど、個人的には、そんな気づきがあったことに感謝している。スポーツとなるとつい勝ちにこだわることが当たり前と知らぬまに染み付いていた自分の体育会系なところを見直す程の衝撃だったし、今後自分の子ども達やまわりの子が何かスポーツをやる時は、応援のしかた、声かけは変わるだろうと思う。
また、開催前からジェンダー問題やいじめに対する問題など、沢山時代錯誤な問題も浮かびあがりましたよね。(情けないことですが。)時代は変わっているのに、変わったことに気がつかない、更新できない大人にはなりたくないとも思います。
そんなことなどなど…
オリンピックみてひとりごと
長々と子育てと関係ないことばかり書いてしまいました。
(池永)
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