目の前にいない人のことを思う
この夏はコロナや雨の影響で、友だちと会うことさえできなかった。けれど?だから?この夏はたくさん手紙をいただいた。暑中見舞い、残暑見舞い、誕生日カード。
今は会えなくても、SNSでなんとなく様子は伺えるが、手紙はわたし向けに発してくれた言葉。それがやっぱり嬉しい。自宅のポストに、どこかの会社からでもなく、ビラやチラシでもなく、色のついている手書きの宛名の手紙が入っていると、鼓動が高鳴る。
文章はもちろん、手書きの文字から、挿絵から、いろんな思いが想像できる。そして、目の前にはいないわたしのことを思って書いてくれたことが、何より嬉しい。
昔、バックパッカーをやっていた頃、その大きなリュックを何度か人に貸したことがあった。その時「なにかお土産を買ってきますね。」と言われると、わたしは「土産はいらないから、現地から手紙を送ってほしい。」とよく頼んだ。現地の絵葉書や切手、そして綴られる言葉から、現地の空気が感じられて、そんな手紙が大好きだった。
今はメールで思いをすぐに届けて、すぐに返事ができて、インターネットですぐに調べることができて、すぐに答えが見つかって、、、とても便利だが、不確かなことがなさすぎて、要らない想像力を膨らませる余白がない。
目の前にいない人のことを思って書かれた手紙。その手紙を受け取って、書いてくれた人のことを思う手紙。そこには時間のラグがあり、明確な答えはないが、自由に想像できる楽しさがあるような気がする。そして、そんな想像力は現代社会で最も求められているコミュニケーション力を養う大切な力だと思う。
来週の敬老の日、なかなか会えていないおじいちゃん、おばあちゃんに、子どもと一緒に手紙を書いてみようか。
(芹川)