「戦って強くなる」とか、「慣れて平気になる」とはならなかった
30代のころ、
もっと「まともな大人」だった。
身だしなみはいつも整っていて、
正義のために時には戦った。
苦手を克服しようと色んな環境に飛び込んで行ったし、
責任を自ら取りに行く気概があった。
憧れている視線も感じていた。
自分自身を磨くことも忘れなかった。
目標もあった。
友人も多かった。
でも、
上に登ろうとすればするほど、
自分の心に亀裂が生まれた。
理由は分かっていた。
全ての行動の動機は、
「“たいしたことない自分”をひた隠しにするため」
だったのだ。
なにかオプションがなければ自分は無価値だと心底思っていたのだ。
そして、
ある時
全てが嫌になった。
「私はただ静かに暮らしたい」
という紛れもない本心に気づいてしまった。
その時点で、
”いい大人の自分”は消えた。
「臆病で、いい加減で、無責任」な自分でしか
生きられなくなった。
それでも以前より
「自分を肯定する気持ち」は数段高くなっている。
どんなに取り繕っても、
どんなに磨き上げても
結局は核心的な部分が変わることはない。
瞬間的に感覚をマヒさせることはできても、
このビクビクした弱いアンテナが消えることはない。
むしろそれを大事に、無視せずに生きていくのが
大事なのだ。
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