「何でも知ってる古株」から、「何も知らない新人さん」になった母
私が生まれ育ったのは、
人口約10万人(私が子供だった当時)の、
中くらいな街だ。
その中でも
私の実家があった場所は、
山裾にある、
ド田舎だ。
両親が家を建てた当時、
周りには家が一軒しかなく、
電気も水道も通っていなかったとか。
現代日本において本当にそんなことが
あるのかと思うほどだが、
昔の写真を見せてもらうと、
たしかにどこまでも
ススキ林が広がっているだけの、
場所だ。
半世紀以上まえに、
両親はそこに根を下ろして暮らすことを決め、
何もないところから
人間らしい生活を築き上げたパイオニアとして
生きてきた。
そこから着々と家が増え、
今では
3つの大きな団地から成る、
住宅地になった。
両親は
そこに2番目に来た古株として、
周りから頼りにされていた。
苦楽を共にした、
昔からいるご近所さんとは
非常に絆が深く、
「何にもなかったけど、
あの頃が一番楽しかったなあ」
と、
いつまでも懐かしい話に花を咲かせていた。
一から何かを築き上げて、
半世紀以上も付き合いのある人たちに囲まれていた日常。
そんな人たちも段々と歳を取り、
人数も減ってきて、
「ここも年寄りばっかりになってしもたなあ」
と寂しさが色濃くなる団地。
そしていつしか母も歳を取り、
髪も真っ白になって、
認知症にもなった。
青春時代が詰まった懐かしい場所から
呼び寄せて、
まったく馴染みのない場所へ
引っ越すことになったのは
つい先日の事。
私が移住した先にある介護施設に
入居してもらうことにしたのだ。
「ここら辺の事は何でも知っている、
二番目に古い奥さん」
から
「遠く離れたところからやってきた
新人さん」
に、180度変えてしまった。
慣れない土地で
一生懸命馴染もうとしてくれている母。
あの歳からそんな思いをさせて申し訳ない気持ちが
拭いきれない。
少しでも、
「ここに来てよかった」
と思わせてあげたい。
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