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芥川賞受賞者と最終学歴⑤

⑤ 第63回~第82回(1970年~1979年)

 第63回(1970上) 『無明長夜』 吉田知子→名古屋市立女子短期大学経済科卒業

          『プレオー8の夜明け』 古山高麗雄→第三高等学校文科丙類入学。成績劣等と出席日数不足のため進級試験に落第し、同校退学。(Wikipedia)

 第64回(1970下) 『杳子』 吉井由吉→東京大学文科二類文学部独文科卒業、同大学院人文科学研究科独語独文学専攻修士課程修了

 第65回(1971上) 該当作なし

 第66回(1971下) 『砧をうつ女』 李恢成→早稲田大学第一文学部露文科卒業

          『オキナワの少年』 東峰夫→沖縄県立コザ高等学校中退

 第67回(1972上) 『いつか汽笛を鳴らして』 畑山博→日本大学第一高等学校中退

           『誰かが触った』 宮原昭夫→早稲田大学第一文学部露文科卒業

 第68回(1972下) 『ベティさんの庭』 山本道子→跡見学園短期大学(後・跡見学園女子大学短期大学部)国文科卒業(Wikipediaの冒頭に、「この存命人物の記事には、出典が全くありません。」と明記。)

           『れくいえむ』 郷静子→鶴見高等女学校(現鶴見大学附属鶴見女子中学校・高等学校)卒業。結核の療養生活中に、新日本文学会・日本文学学校に通う。

 第69回(1973上) 『鶸』 三木卓→早稲田大学第一文学部露文科卒業

 第70回(1973下) 『草のつるぎ』 野呂邦暢→諫早高校卒業(京都大学文学部を受験するが失敗。予備校に通うために京都市に下宿するが、父が事業に失敗し入院したため、進学を断念。)

           『月山』 森敦→旧制第一高等学校文科甲類退学

 第71回(1974上) 該当作なし

 第72回(1974下) 『あの夕陽』 日野啓三→東京大学文学部社会学科卒業

           『土の器』 阪田寛夫→東京帝国大学文学部国史学科卒

 第73回(1975上) 『祭りの場』 林京子→長崎医科大学附属厚生女学部専科(現長崎大学医学部)中退

 第74回(1975下) 『岬』 中上健次→和歌山県立新宮高等学校卒業

           『志賀島』 岡松和夫→東京大学文学部国文科卒業。大学院に入るがほどなく池田亀鑑が死去。(Wikipedia)

 第75回(1976上) 『限りなく透明に近いブルー』 村上龍→武蔵野美術大学造形学部中退

 第76回(1976下) 該当作なし

 第77回(1977上) 『僕って何』 三田誠広→早稲田大学第一文学部演劇専修卒業

           『エーゲ海に捧ぐ』 池田満寿夫→長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)卒業

 第78回(1977下) 『螢川』 宮本輝→追手門学院大学文学部卒業

           『榧の木祭り』 高城修三→京都大学文学部言語学科(Wikipediaの冒頭に、「この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。」と明記。)

 第79回(1978上) 『伸予』 高橋揆一郎→北海道第一師範学校(現・北海道教育大学札幌校)中退

           『九月の空』 高橋三千綱→、早稲田大学第一文学部英文科入学、学費未納により2年で除籍。(Wikipedia)

 第80回(1978下) 該当作なし

 第81回(1979上) 『やまあいの煙』 重兼芳子→福岡県立田川高等女学校(現・福岡県立西田川高等学校)卒業(Wikipediaの冒頭に、「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。」と明記。)

           『愚者の夜』 青野聰→早稲田大学第一文学部中退

 第82回(1979下) 『モッキングバードのいる町』 森禮子→福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)卒業

 早稲田×6人(除籍、中退含む)、東大×4人(大学院含む)。
 私は、中上健次の新聞連載小説(朝日新聞夕刊)「軽蔑」と文庫本を一冊、村上龍を数冊読んだくらいですが、よく知られた受賞者だと、中上健次、村上龍、三田誠広、池田満寿夫、宮本輝がいますね。
 同時受賞も多いですね。

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