私がワーホリを決意したワケ
「オーストラリアに行くので、会社辞めます!!!」
2018年の夏、面談で上司にこう断言したとき、
「ええええええええ〜〜〜!!!」
と、見事にのけぞっていた姿は、今でも脳裏に焼き付いています。
いやぁ、良いリアクションだったなぁ(笑)
私は新卒で入ったIT企業を2年で辞めてオーストラリアへワーキングホリデーに行ったのですが、ここではそこに至った経緯をお話ししたいなと思います。(需要があるかは謎ですが)
※先に言います。この話、長いです(笑)
初めてのカナダ留学
私が海外生活に憧れを抱き始めたのは、高校1年生の時でした。
学校行事のひとつであった「海外語学研修」という、費用を出せば誰でも参加できる留学プログラムに参加し、2週間カナダに行ったことがきっかけでした。
留学前は海外などそれほど興味もなかったため、説明会に参加した母親に「行きたいなら行ってもええよ」と軽く背中を押されたことで、「まあ、せっかくだし行ってみるか」と参加を決めたのでした。
初めて行ったカナダは自然豊かで街並みが美しく、一瞬でカナダという国に惚れ込みました。
すれ違う人々はみなシンプルな服装ながら美男美女ばかりで、
「顔が派手なら無地のタンクトップにジーパンという格好でもオッケーなんだ!」
「日本人の服装がおしゃれなのは、顔が地味だからなんだ!!」
と、女子高生にはそこそこショッキングな事実を学びました。
(ちなみに私もカナダではTシャツにジーパンという軽装で生活していたのですが、ある朝洗面所の鏡を見て自分の顔の薄さにびっくりした記憶があります笑)
また、カナダ人はみんなフレンドリーで話しやすく、駐車場で知らんおっちゃんが挨拶してくれたり、店員さんがレジで雑談をしてくれたりと、知らない人でも友達のような感覚で話せる国民性に感動しました。
何より印象に残ったのが、ホストマザーがご近所さんや友達だけでなく、家電量販店の店員さんにすら私のことを紹介してくれたことです。
私は未だに日本で電気屋さんに名乗ったことなんか一度もありません(笑)
そうしてカナダを大好きになってしまった私は、ホームステイ先のパソコンから母親に「日本に帰りたくない」と英語でメールを送ったほどでした。(生意気な娘だな笑)
カナダから帰国し、日本人と湿気だらけの成田空港にショックを受けた記憶は、今でも忘れません。
帰国後はこれまで興味もなかった洋楽にハマり始め、主にジャスティン・ビーバー、アヴリル・ラヴィーン、ハイスクール・ミュージカルなどを聴いていました。
その頃は必死で英語の歌詞を覚えて友達と行ったカラオケでよく歌っていましたが、全く盛り上がらなかったです。(そりゃそうだ)
こうして、ノリで行ったカナダでの生活を機に、私の価値観や趣味が一気に日本から世界へと飛び出してしまったのでした。
現状維持の生活
しかし、それから大学卒業までの約6年間は他に留学する機会もなく、「海外に行きたい」と思いつつも金銭的な面でなんやかんや諦め、平凡に日本での生活を送っていました。
そして、漸く次に海外に行ったのは、大学の卒業旅行として友達と行ったバリ島と、社会人2年目のGWに同期と行ったドイツとベルギーだけでした。
そのどちらもが短期の旅行であり、なんなら行き先すら自分で決めていない受け身なものだったため、憧れた海外生活に繋がるものとは到底言えないものでした。
その頃はただ漠然と、「将来海外に住みたいな〜、国際結婚したいな〜」と思っているだけでした。
転機
そんな受け身な態度が一転したのは、社会人2年目を少し過ぎた7月、同期に突然呼び出されたことでした。
新人研修が同じ班で配属後も時折連絡を取り合っていた女の子から、突然「相談したいことがある」とスケジュールを入れられたのです。
「仕事の相談かな〜、答えられるかな〜」とドキドキしていた私の予想を裏切り、久しぶりに会った彼女は開口一番、
「私、会社を辞めることにしたの。」
と、笑顔で言い放ちました。
「え!????もう??ちょ、早くない???まだ入社して1年ちょいしか経ってないよ!!???」
と、動揺を隠せずジタバタ暴れる私の前で、彼女はただただ微笑んでいたことを覚えています。
そして、「転職先は決まったの?」と当たり前のように聞いた私に対して彼女は、
「転職はしないの。私、世界一周するの。」
と、しれっと2つ目の衝撃発言を放ちました。
世界一周を決めた同期
聞けば、彼女はなんと入社する前から世界一周することを決めており、入社理由も「初任給が高くて資金を早く貯められると思ったから」とのことでした。
給料が高ければ、業界とか職種とかはなんでも良かったんだそうです(笑)
彼女は、「計算したら、もう世界一周できる額のお金が貯まってたから、辞めることにしたの」と、今までに見たことのないほどキラキラした笑顔で話していました。
その顔には、安定した生活を離れることや発展途上国を含めた外国を巡ることへの不安は感じられず、ただ期待と喜びで満ち溢れていました。
私は彼女の話を聞きながら、「海外に住みたい」と言いつつ全く行動に起こして来なかったそれまでの自分が、急に恥ずかしくなりました。
私はそのために何かしてきたんだっけ??と。
そして、今からでも遅くないから、私も海外生活に向けて何かやりたい、何か動かなきゃ、と思うようになりました。
しかし、私には彼女のように世界一周という不安定でぶっ飛んだことをやる程の勇気はなかったため、「ワーキングホリデー」という、そこそこ安全が確保されてそうな道を選びました。(実際そこまで安全ではなかったですが)
そして、彼女にワーホリに行こうか悩んでいる話をすると、「いいんじゃない?」と、相変わらずの笑顔で背中を押してくれました。
私の決意は、漸くそこで固まりました。
ワーホリ計画を立てる
さて、ワーホリに行くことは決めたので、まずどこの国に行こうか考え始めました。
グーグル先生に聞いてみたところ、日本からワーホリに行ける国はたくさんあったので、その中から
①英語圏であること
②治安が良いこと
③自力で稼ぎながら生活できること(時給が良い・外国人でも働きやすい)
という3つの条件を満たす国を探した結果、オーストラリアとカナダに絞られました。
そして、「カナダは行ったことあるけどオーストラリアはまだ行ったことないから」という割とざっくりとした理由で、行き先をオーストラリアに決めました。
次に、ワーホリに向けて何が必要か調べたところビザや海外保険など色々あったのですが、結論はとにかくまとまったお金が必要ということでした。むしろ、お金さえあればなんとかなりそうでした。
どれくらいのお金が必要か色んなサイトを見て調べたのですが、「100万円はかかる」という記事が多かったように思います。
ぶっちゃけ準備を始めて1、2カ月後には旅立てると思っていたため、この金額には出鼻を挫かれた思いでした。
え!?ワーホリってもっと気軽に行けるもんちゃうん!!!???
そんなにお金かけんでも行ける方法あるやろ???
とググりまくり、初期費用10万円でワーホリに行ったツワモノの記事を探し出して読んだりもしましたが、
行ってすぐ仕事が見つからないと路頭に迷う可能性があるし、何より海外保険に加入しないというリスクを冒す無謀さは私にはなく、、
この100万円という事実を、受け入れるしかありませんでした。
ということで、
どうやったらお金が早く貯められるか考えた結果、このまま東京で高い家賃を払い続ける生活をするよりは、
多少収入が落ちても転職して大阪の祖母の家に引っ越し、家賃を浮かしながら稼いだ方が得策だ、という結論に至りました。(かわいくない孫だな)
で、冒頭の上司への退職宣言へと繋がるわけです。
家族への報告
ここまで自分の決断だけで進めてきましたが、さすがに会社を辞めて海外へ行くとなると(しかもおばあちゃんちに転がり込む予定なわけだし)、家族に報告がいるよなぁと考えました。
が、うちの家族は、親戚含めて頭が固いというか、安定志向が強いというか、世間体気にしすぎでめんどくさいというか・・・
これまで高校も大学も就職先も、私が選んだ学校(会社)に関してはことごとく両親に反対されてきたため、相談なんてしたら何て言いくるめられるかわかったもんじゃない、、、
だから、例え反対されても後戻りできない状態にするため、相談ではなく報告という形を取ろう、と決めました。
(ちなみにこれまでも両親の反対を受け入れたことはないです笑)
ワーホリ行きを決意したのが7月、上司に退職宣言をしたのが8月頃だったのですが、そこからプロジェクトの進行具合の都合でなんやかんや辞めるタイミングを先延ばし、最終的に年明けの1月末に辞めることを決めました。
そして、うちの家族は例年、年末年始に親戚含めて関西にある両親の実家(祖父母の家)に集まることになっているので、その時に「報告」できるよう、年内に退職届を提出しました。
さすがに退職届を先に出しちゃえば、引っくり返せんやろ、ってね。
で、そうやって年始に家族親戚一同に報告したのですが、案の定、両親どころかいとこや叔父叔母に至るまで、その場にいた全員に反対されたわけですよ。
「なんで会社辞めるんだ」とか「なんで海外なんか行くんだ」とか「なんでオーストラリアなんだ」とか。
まあ入社して2年弱で会社を辞めるわけですから、キャリアとかも全くなかったですし、反対する気持ちはわからんでもないのですが、正直言って
「私が今の会社選んだときも反対してたよね??入社も反対したくせに退職も反対すんのかよ??」
って思ってましたね(口には出してない)
それにワーホリには30歳までっていう上限があるからのんびり先延ばしにはできないし、何より行きたい気持ちが強い今じゃないと嫌だったんですよね。
ハッピーニューイヤーなのに、全然ハッピーな雰囲気じゃなかったです。(私のせいだけど)
幸運にも、そんな家族の中でも私が居候したいと思っていた家のおばあちゃんだけは許してくれた(というか黙認状態だった)ので、その後は無事に会社を退職し、運よく先輩の紹介で前職の経験を活かした高時給のバイトをすることができ、なんやかんやでお金を貯めてオーストラリアへと旅立つことができました。
海外生活にこだわった理由
ここまで海外生活に興味を持ったきっかけやワーホリを決意した理由について書いてきたのですが、改めて、なぜ私が海外「旅行」ではなく海外「生活」にこだわってきたかをお話ししたいなと思います。
まず1つ目の理由として、将来海外に住みたかったから。そして国際結婚をしたかったから(笑)
カナダに行った際にその自由な文化に触れ、日本の堅苦しい文化を生きづらいと感じるようになってしまったんですよね。
日本は常に他人の目を気にして発言や行動をしなければならないし、属しているコミュニティからはみ出したら生きていけないし。。
みんなやりたいことをやればいいのに、周りの目を気にしてやりたいと言えないのが効率悪いというか、勿体ないというか、胸くそ悪いというか・・・(口悪っ)
※私もやりたいと言えない方でした。
だから、人の目を気にせず自由に生きられる国に住みたい、イケメンな外国人と結婚して、かわいい子どもを持ちたい、と思ってました。(当時は)
で、そのためにどう行動したら良いのかわからないけれど、とりあえず海外に長期で行ったらそのきっかけとか掴めるかな~と考えたわけです。我ながら安直な発想ですね。
2つ目に、これまでの人生で英語が話せずもどかしい思いをしたことが何度かあり、その悔しさを克服したいと思ったからです。
例えば、大学生の時に京都のお土産屋さんで働いていたのですが、外国人のお客さんに英語で接客する際、イレギュラーな英語がまあ理解できないという・・・。
英語の相槌はマスターしてたので、わかったフリは得意だったのですが、相槌しながら聞いていたお客さんの話が結局質問だったりすると、最後に「?????」ってなるわけです。お客さんもびっくりだわ(笑)
言葉が理解できないことで「Sorry(ごめんなさい)」と謝ることしかできなかった時は、いつもすごく申し訳ない気持ちになっていました。
他にも、高校の友人と社会人になってからごはんに行ったとき、レストランの隣のテーブルにいた台湾人のおばちゃんたちから急に話しかけられたことがありました。
その時、全く理解できず戸惑う私の横で、長期留学経験のある友人が楽しそうに会話を繰り広げていたんですよね。
ちょいちょい友人が私に通訳してくれたのですが、いかんせんタイムラグにより会話の中には入れず、しかも同級生に通訳してもらってる情けなさもあり、なんかすっごく悔しかったのを覚えています。
日本で生活をしていると、英語を話せないことでそこまで人生に大きな不自由はないけれど、それでも話せないことで悔しい思いをするタイミングは、確実に存在すると思います。
そのときに私はもう情けなさ、悔しさを感じたくなかったため、英語を話せるようになりたいと思いました。
そして自分の性格上、日本にいながらにして使う機会のない英語を自力で学ぶことは不可能と考え、いっそのこと英語を話せないと死ぬ環境(海外)に身を置こう、と考えました。
帰国した今思うこと
私は当初2年いるつもりだったオーストラリアをコロナの影響で1年弱で離れ、現在再び祖母の家に居候しながらアルバイト生活をしている身です。
そんな私は、決して「ワーホリ成功者」とは言い難いんじゃないかなとは思います。
まだこの先何の仕事をしようか決められてないし、ワーホリ経験を何かに活かせているわけでもないし、オーストラリアにはいつ戻れるかわからないし。。
それでも、会社を辞めてワーホリという道を選んだこと、オーストラリアに行ったことは、全く後悔していません。
まじでよくやったぜ自分、って思います。
オーストラリアで「外国人」として生活し、
トラブルに巻き込まれつつ自力で生き延び、
これまで出会わなかった色んな価値観の人たちと出会い、
様々な視点から自分の人生を考え直せた経験は、
何ものにも代えがたい、貴重なものだったように思います。
もし私の周りで、日本での生活に生き辛さを感じている人や、英語を話せるようになりたい、自分の人生や価値観を変えたいと思っている人がいたら、今後の選択肢の一つとして、ワーキングホリデーという道をおすすめしたいなと思います。
また気が向いたときに、ワーホリ中に経験した出来事についても書けたらいいなと思います。
(ちなみに、将来海外に住むとか国際結婚するとかいった目標は、ワーホリ中に色々考えた結果諦めました。その辺についてはまた機会があったら書きます笑)
ではでは。