【妊娠23w5d】手術当日の午後
23w5d
13:00 PM頃
朝に受けた子宮頸管縫縮術(マクドナルド法)のあとのアナフィラキシーショックから少し落ち着いたため、酸素マスクが外される。
このとき初めて尿道カテーテルが入っていることに気づく。術後1日以上経過しないと外せないため、少なくとも明日までは自力でトイレに行く必要はない。(お通じの方がもしあれば病室でポータブルトイレでする、ということだったが頑固な便秘だったので必要な時はなかった)
14:00 -15:00 PM頃
面会可能時間になったため、夫と実母が私が手術前にリクエストしておいた荷物を準備して来てくれた。
ふたりがいるタイミングで、病室で主治医から今日の経緯について説明があった。
主治医も私を見てだいぶ落ち着いたと言ってくれたのでそこは安心したが、ショック中にお腹の子も一時危険な状態になっていたことを知り、このとき初めて母子共に本当に危険な状態だったことを思い知った。
MFICUという常に医療従事者の目が届く場所で適切な処置をされたからこそ今があるのだと、この環境に心から感謝した。
なお、主治医によると、私の子宮頸管の長さは絶望的というほど短くはなかったが、子宮頸管が柔らかめだったため、手術はしてよかったとの趣旨の説明も受けた。
アレルゲンとなった抗生剤は一般的な薬剤で、医療機関で広く使用されているものらしい。いままで抗生剤でアレルギー症状が出たことが全くなかったので実母もびっくりしていた。大人になってから急にアレルギー症状が出ることもあるらしい。(大事な命がお腹にあるのに、今じゃなくていい、とつくづく思った)
その後も何回か看護師さんが様子を見にきてくれた。ショック後最初の飲食は、1人だと危ないということで、看護師さんが飲み水を水差しに入れて持ってきてくれた。少しずつならむせずに飲めた。そして自分が徐々に声を出せるようになっていると気づく。
18:00 PM以降
たしかこの夜からがっつり病院食が出たが、何かを飲む気にも食べる気にもならなかった。
今日は術後からずっと心拍数のモニターをつけていた。張り止めの点滴(リトドリン)の副作用の一つに動悸があり、その動悸のせいで少し動くだけで心拍数が上がってしまい、夜中の間もモニターの危険アラームがなってしまっていた。完全個室ではないため、MFICU中に響いてしまい申し訳ない気持ちもありほとんど寝れなかった。
夜間も何度か助産師さんが病床まで様子を見に来てくれて、お小水の回収やナプキンの取替をしてくれた。仕事とはいえ、こんなこともやっていただくのは恐縮だった。