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美術手帖10月号『AIと創造性』を読んで

 現在発売中の美術手帖9月『AIと創造性』には、今年コネクト通信でもご紹介した、たんぽぽの家プロジェクト・Art for Well-being『表現とケアとテクノロジーのこれから』にも関わる徳井直生さんが監修を務めています。この号は美術だけではなく音楽領域にも必読と感じてご紹介しました。
 まるでSF小説のような内容ですが、ここに書かれている内容は思考実験ではなく、既に始まっているリアルな問題です。特に作曲行為や著作権問題は、アカデミック/商業に関わらず現場にダイレクトに関係します。
 その中で、徳井さんが著作権問題を回避するためにGoohleのストリートビュー写真と〈環境音〉をデータベースに使用した『Imaginary Soundscape』、そして人間の手の内で能動的に関われるAI〈Neuton〉プロジェクトはとても興味深いと感じました。これは現代音楽/現代アートの境界に生まれた21世紀型の新しい領域なのだと思います。過去の歴史をみても、新しいアートは社会にも影響を与えていきます。例えば福祉領域では、病理的/社会的モデルの双方から”障害”を捉え直すための実験にも〈小さなAI〉が使用され始めています。絵を描いたり、音楽を作ってみたり、テクノロジーと双方向的な関係性を築いていくなかで、〈創造性〉が人生そのものを豊かにする〈新しい道具〉としての可能性が期待されています。ここから飛躍的な〈才能〉を発揮する人も当然出てくることでしょう。
 本書の中でも触れられているように、ここには生成AIを通して人間や関係性や芸術を〈問い直す〉態度が重要ですし、逆に言えば人間はそこまで賢く倫理的な生き物ではないという〈警告〉として読むこともできます。なぜならAIに学習させるデータベースそのものが人間の過去の歴史であり、そこには人種やジェンダー問題、現在に続く人間の不完全さも当然内在しているからです。だから好奇心に駆られてどんどん〈ディープラーニング/学習〉させていくと、気づいた時にはアートから大切な何かが消えてしまっている可能性もある。アートを受け止める人たちから、と言い換えた方がいいかもしれません。それはアートの価値観かもしれないし、何よりも人の〈ココロ〉そして知覚が変わってしまうのかもしれない。それはどこか怖いことでもあります。
 ブレーキを持たぬまま稼働させた原発の反省は、この領域にも十分に活かせると思いました。人間が〈創造主〉として振る舞うとき、そこには少なからず〈想定外〉の事態が起こることを忘れてはなりません。人間は全知全能では無いからです。何よりもアートや音楽に内包する〈創造性〉、すなわち〈芸術〉は人間が長い歴史の中で手放さなかった大事な〈生きる力〉。このささやかな力を、人間の本質を力づくで変容させたり、AIに支配されることなく双方向に穏やかな関係性を築いていくためには、当然〈倫理〉も忘れてはならないでしょう。今とても疑問に思うのは、生成AIの開発には倫理のガイドラインが厳しく存在しているのだろうかということです。その中で、徳井さんが示した人間の手の内にある〈小さなAIの可能性〉はひとつのキーワードになるはずです。そして本書の漫画で示された〈アナログの力〉を信じたいと思うのでした。

 余談ですが、一部の大企業では既に〈AIによる一次面接〉が取り入れられ、顔の表情や返答時間などで学生たちの合否を振り分けると知って頭を抱えました。ジェンダーバイアスも既に問題になりましたが、その合否を判断するAIを作ったのは一部の人間(おそらく男性)ですから、やはりすべての人間の正解とはなり得ない。その企業の過去の選択基準(人事担当者たちの判断)が反映されてしまうでしょう。その中には必ず〈偏見〉も内包されているはずなのです。良い笑顔=良い人なのか、即答=聡明なのか、そもそもAIに振り落とされまいと振る舞う人間は、既にAIに支配されてはいないか。。大企業に入ることを〈正解〉として、ゲームのように受験戦争を勝ち抜くことが本当に〈よく生きること〉なのか。その先には何が待っているのか。芸術もまた同じ道をたどるのか。。時代の転換期、誰にとっても無関係ではない、真剣に向き合いたい問題です。

2024年10月号『美術手帖』現在発売中


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