創作楽器の世界、その可能性。Kajii&ストリングラフィ『ふしぎな楽器展』から。
日用品に新たな命を吹き込むユニークな手作り楽器たち。その中でもSNS動画や全国各地で人気のKajiiさんの創作楽器は、そのアイデアはもちろん、かたちの楽しさ、身近なモノから生まれる「音の意外性」が魅力だと感じています。今回『ふしぎな創作楽器展』が東京で開催されましたので、6月11日午後の回に足を運びました。会場となったのはコネクトとも縁の深いストリングラフィの拠点Studio Eveさんです。何より、糸電話から生まれたストリングラフィも作曲家・水嶋一江さんが発案した創作楽器です。この日の会場の様子はKajiiさんのブログや来場者のYoutube等で紹介されていますので、ぜひ映像付きでご覧ください。
ここではコネクトの視点を交え、Kajii手作り楽器とストリングラフィ、ふたつの「創作楽器」がもつ可能性を軸に、少し視野を広げた「モノと音の関係性」についても思いを馳せてみました。そこから見えて/きこえてくるのは、音楽と美術の境界、音楽教育や音楽療法、コミュニティ・ミュージック、音楽の内と外を柔らかにつなぐ音楽の在り方そのものでした。
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モノが楽器になるとき
たとえば目の前にあるモノを指先で叩いたり擦ったりすると、そこにはかならず音が生まれます。モノの素材やカタチ、その手触りから音が変化することもわかります。モノとモノがぶつかっても音がする。それらの相性の良し悪し、関係性は音からもわかります。思いがけないモノが思いがけない音を出したとき、そこには小さな驚きや喜びも生まれます。すると「より良い音」を求めて、いつしか目に入るモノをすべて叩いてみたくなる。日常のなかに存在していた音風景、新しい世界の発見です。
日常に存在するモノたちは音でもある。モノの風景とは音の風景なのです。それは全身の知覚で発見した「鳴り響く森羅万象 Sonic Universe!」とも言えるでしょう。ちなみにKajiiさんという不思議な名前には「日常生活の中から(家事)、工夫して楽器を作り(鍛冶)、新しい風を生む(風)」という3つの意味が込められているそうです。彼らもまた音を通して日常のなかに潜む新しい世界を探求しています。
この日に展示されたのは、150種類以上あるという楽器の一部でしたが、彼らが目指す世界観はよくわかりました。ペットボトルや空き缶、折れたスティックや文房具、創作楽器の素材は日用品や「ゴミ」です。そこに新しい命が吹き込まれている。一見すると美術作品のようなモノもありますが、Kajiiさんの説明とデモ演奏を聞いて、これらのモノたちは確かに「楽器」なのだと解ります。つまり「音」や「音楽」や「音風景」を生むために創られたモノだということです。
創作楽器とは何か。それは音楽と美術の境界に生まれるモノだと思います。美術家が創る手作り楽器もあります。視覚(美術)と聴覚(音楽)どちらの世界から生まれたのか、実は同じペットボトルの楽器でも佇まいが違うと感じています。ちなみにもともとドラマーだったというKajii創さんは、食器を「演奏」したことをきっかけに創作楽器の面白さに目覚めたそうです。食器という日用品に潜む音を発見する驚きや喜びがある。これはマリー・シェーファーが「音さがしの本」の中で提示した世界の発見にも通じます。
さらにKajiiさんの楽器には「ゴミ」が使われていることにも注目したいと思います。ゴミとは何か。使われなくなったモノ、壊れてしまったモノ、使い古したモノ、ペットボトルのキャップなどはじめからゴミとなる運命にあったモノなどです。これらに意外性のあるアイデアが加わってオリジナルな楽器として生まれ変わっている。これは美術の世界の「クリエイティブ・リユース」という考え方にも通じます。単なるゴミの再利用ではなく、創作性(クリエイティビティ)に富む『リユース』なのです。ファッション等で使われる「アップサイクル」の方が伝わるでしょうか。「より良い音」を目指した結果、「より良いモノ」へと生まれ変わる。モノから楽器への再生です。
だからと言って(表現が少し難しいですが)、音楽家の手仕事は職人の「匠」とは違うのです。音楽にとっての「より良いモノ」とは、あくまでも「より良い音」のことだからです。モノに内在する音を引き出す工夫もあれば、素材を組み合わせること、奏法を開発することで発見された音の秩序もある。いずれにしてもその音が「楽器」として、ノイズも含めて美しいという特徴があります。
だからKajiiさんの楽器には美術作品ならば消すような継ぎ目、仕上げのプロセス、試行錯誤の時間の跡も残されている。その跡は音や演奏、つまりKajiiさんの目指す「音楽」には影響がないことがわかります。「これは美術作品ではなく楽器です。どうぞ気軽に触れてみて」と、モノが自ら語りかけてくるような素朴な佇まいがあります。この飾り気のなさがKajii楽器の個性、親しみやすさ、楽しさでもある。会場で初めて楽器を目にする子どもたちも臆することなく自然に音世界へと入っていく姿が印象的でした。そして夢中になって楽器を鳴らしていきます。
楽器のはじまり
もともと楽器のはじまりは、2万年前のラスコーの壁画よりもさらに数万年前に遡ると考えられています。マンモスの骨の笛、石や木片、身近にあるモノたちに工夫が施された楽器が各国の洞窟から発見されています。洞窟の中ではきっと楽器だけでなく、声や身体を使ってさまざまに音の実験がなされたはずです。その音風景を想像すると音楽家の自分はとてもワクワクします。それは遺伝子に刷り込まれた記憶なのかもしれません。もちろん音風景だけでなく、手のひらでペタペタと壁画を描く音や、火の灯りに揺れる影、音や絵や影を目的に身体を動かしているうちに「踊り」も発見したことでしょう。洞窟の奥からは木霊も返ってきたはずです。全身の感覚がひらかれていくような音世界が生まれていく。楽器のはじまりは驚きや喜び、わくわくするような「新しい世界の発見」です。
楽器には初めから儀式や芸術への使用目的があったのではなく、「遊び」だったという説があります。面白かったから、楽しかったから、少し怖かったから、つまり心がわくわくするのです。楽器はそのわくわくを音から体験するための不思議なモノ、魔法の杖のようなものだったかもしれません。洞窟のなかで楽器を手に遊ぶ人たちと、この日の会場で無心になって楽器を鳴らしていた子どもたちの行為は、長い時間のなかで脈々と受け継がれてきた「遊び」なのだと思いました。
確かに、音をだすためだけに存在している「楽器」は、とても不思議なモノです。しかしそのモノたちは「生産性がない」と人間の歴史から消え去ることはなかった。それはシンプルに面白いモノだからだと思うのです。楽器の在り方はひとつではなく、実は正解もあるようで無い。演奏法を中心に分類したKajiiさんの創作楽器図鑑も興味深いですが、この日に展示された楽器たちは2種類の「生い立ち」に分けられると思いました。音によって新しい価値が与えられたモノ、目指す音のためにカタチが与えられたモノです。いずれの楽器からも、見た目や手触りの印象、想像とは違う音が生まれる場合がある。その意外性や「驚き」こそが創作楽器の面白さなのです。楽器を創る人にも、それを聴く人にも同様の体験がある。
ちなみに美術の世界から生まれる「モノの音」は少し目的が違います。ちょうど現在六本木ヒルズの森美術館で開催中の「ワールド・クラスルーム」で展示されている、大量の鈴を使ったヤン・ヘギュ作「ソニック・ハイブリッド」シリーズを例に考えます。この作品には大量の鈴が使われていますが、普段は鑑賞者が自由に触れることや音を出すことは叶いません。モノから音を想像するしかない。むしろ楽器としてモノを捉えてしまうと、実際にこの作品を鳴らした映像の音には「驚き」がありません。これだけの鈴を使うならもっと別の鳴らし方、新しい世界があるはずだと、音楽家はつい考えてしまいます。しかしこれは楽器ではなく美術作品、観て想像するモノなのです。そもそも「鈴」が使われている目的が音ではない。それは、お寺の本堂にある「鳴らない鈴」の装飾と同義かもしれない。「鈴の意味」が優先されているのでした。
美術と音楽をつなぐ糸電話の魔法・ストリングラフィ
冒頭でご紹介しましたが、今回の会場となったStudio Eveさんは作曲家・水嶋一江さんが1992年に発案した糸電話の創作楽器ストリングラフィの本拠地です。ここでは全国各地でのコンサートの合間に、地域にもひらかれた「糸の森の音楽会」やワークショップが展開されています。2016年にコネクトが主催した『音楽×哲学カフェ きこえない音は存在するか?花のひらく音をきく』でも全面的にご協力を頂きました。Kajiiさんも10年ほど前にこのスタジオを訪れ、ストリングラフィに感動して今回の展示に至ったそうです。この日のアンサンブル・メンバー美音さんは現役の大学生として、ストリングラフィの音楽的・社会的な活用法を研究中だそうです。即興カフェでお世話になった鈴木モモさんもストリングラフィの魅力を伝えています。
絹糸と紙コップ。身近なモノで出来た糸電話の楽器ストリングラフィは奏法も含めて世界でも非常にめずらしい楽器です。もともとこの糸電話は17世紀中ごろのイギリスの博物学者ロバート・フックによって、針金を使ったコミュニケーションツールとして実験されたのがはじまりと言われています。声という音をワイヤーを震わせることで遠くへ届けるためのモノ、それは楽器ではなく科学的な道具です。ワイヤーの長さによって声が届く距離に限界が生まれます。
しかし楽器であるストリングラフィは糸そのものを鳴らす、つまり空間の空気を振動させることで、糸の限界から音を解放しています。しかも音楽と美術、両方の要素をもって境界に存在している稀な楽器です。現代アートの空間インスタレーションのように、体育館やホールから小さな部屋、空間サイズを選ばずに糸の張り方で楽器サイズを柔軟に調整できます。しかも糸の行方が美術作品のように目にも美しい。古代の洞窟で演奏したら、さぞや不思議な音世界が生まれただろうと夢想します。
筆者が初めてこの楽器に出会ったのがまさに30年前、赤坂小学校の閉校に伴い開催された現代アートの展覧会でした。ライトに光る絹糸に触れることは叶わず、音を想像しながら観た美術作品としての佇まいの美しさが記憶に残っています。ストリングラフィは奏でる現代アートとして世に出ましたが、水嶋さんの楽器に対する創意工夫は、サウンドスケープ的な音響装置であるだけでなく、平均律や三要素、音楽の秩序を取り入れた「楽器」としての成熟に心血が注がれていきます。舞台上に置かれた大きなひとつの楽器をアンサンブルで(音楽をシェアして)演奏する発想は、実は楽器の世界ではありそうで無かったスタイルだと思います。演奏する身体性はパフォーマンスの要素もあり、華やかな衣装も含めたエンタテイメント性を加えていきました。現代アートや現代音楽、つまり「ハイ・アート」の世界に閉じることもできた創作楽器を社会にひらいていったのです。もちろんこの楽器は今でも現代アートへと変容することもできる、コミュニティをつなぐ音響装置に変容することもできるでしょう。シンプルな素材と原理だからこそ、その可能性は柔軟にひろがります。それは思い思いの場所でくつろぎながら鑑賞できる、コロナ禍でも演奏会が実現していた楽器の「ひらかれた佇まい」が作り出す世界かもしれません。赤ちゃんから高齢者はもちろん、もしかしたら音のない世界に生きるろう者の皆さんも「目できく」聴者の音楽を楽しめるだろうと直観しました。
創作楽器がつくる未来 この日の展示会では、Kajiiさんと水嶋さん&美音さんのコラボ演奏も披露されました。Kajiiさんが会場に配ったのはピザの箱や封筒で作られた波の音の楽器(シードラム)です。誰もが簡単に音を出すことができ、会場には一瞬にして心地よい海の音風景が立ち現れました。後半では1本の糸電話を演奏する体験コーナーが設けられ、子どもたちが「音と手」に導かれるように、音世界にどんどん夢中になっていく姿が印象的でした。 古来の哲学者ピタゴラスは弦を張って音を出し、そこから数学的に音階をつくったと言われています。世界の根源を「数」と考え、楽器の音から宇宙の法則にも思いを馳せました。その「天球の音楽」を一弦琴の絵で表現したのが中世の天文学者ロバート・フラッドです。古代からつづく糸の音楽は数学や科学にもつながっていく。星空に見えない糸をはりめぐらせ星座を描くように、古代の哲学者たちは星空の音楽も楽器をつかってきいていました。 音楽とは何か。そこに声を含む音の存在は重要な要素です(すべてではありませんが)。音を生むモノを創るという行為、楽器を通して人の手の仕事が生み出す創意工夫に出会うとき、そこには壮大な時間の循環を感じます。この先どんなにテクノロジーが進化しても、人間は「楽器」というモノを手放すことはないだろうと思うのです。 なぜなら楽器もまた人間の知恵の歴史であり、何よりも音楽の原初だからです。