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素敵なものは既に備わっている。それに気づけるかどうか。

こんにちは、紫陽花です。
限りなく50才に近い40代後半、気づいたら、「自分の指針となる、憧れの女性」のような方々が、自分の中からいなくなっていました。

もちろん、人に感動することは多いし、自分という個体でもできそうなところは、参考にしたり、取り入れたりしたいと願っています。

だからこそ、この“個体差”を無視しないことって、意外と重要なんですよね。

どこを見渡しても、語られるのは、成功者と言われる方々の言葉。
私たちは、自分という個体を通して、彼らの経験を想像するので、そこにはとてつもない努力があったのだろうと考えます。
もし、自分がそれをするなら、計り知れない、果てしない努力を伴うのだろうと。

でも、実際、ご本人にとってはどうなのだろう。
このことを思うと、「わからない、私という個体から、かけ離れているから」というところに落ち着くんですよね。

語られるのは、成功者たちのサクセスストーリーだし、また、よく好まれるのは、「苦労があったからこそ、こんなに素晴らしいものを手に入れることができた」というストーリーですよね。
私たちは、繰り返し繰り返し、こういう起伏の多い物語を、延々と聞き続けてきました。
そりゃあ、刷り込まれてしまいますよね、「素敵なものを手に入れるのは、苦労や努力と引き換えだ」と。

また、その手に入れたい素敵なものや素晴らしいものって、何ですかね。
世間で評価されやすい物事にこだわらず、自分という個体に即した、もっと身近な“得意なこと”を追究できたら、グッと楽しくなるんじゃないかと思います。
自分が当たり前にできていると、得意だと認識しにくいですが、周りの人たちを鏡に、気づけるといいんじゃないかと思います。

ということは、自分にとっての素晴らしいものや素敵なものは、努力どうこうでもなく、既に備わっているということになりますね。あとは、気づいて、受け入れて、楽しんで追究するだけです!


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