GPT2-chatbotによる散文詩の出力、とそれを添削するぼく。
突如として現れた「GPT2-chatbot」。その異常とも思える出力を実際に試してみたくて、chatbot arenaで使ってみました。
5月1日3時現在、chatbot arenaから「GPT2-chatbot」は消えています。
プロンプト
「人が生きる楽しさと寂しさを同時に表現する散文詩を作ってください」
プロンプト
「人が生きる楽しさと寂しさを同時に表現する散文詩を作ってください」
GPT2-chatbotが出力した散文詩
街の灯りが一つひとつ窓に灯る頃、
人々は家路を急ぐ。
靴音がこだまするアスファルト、その一歩一歩が、
僕の心の隅にも光を灯す。
雑踏の中、誰かの笑い声が空に消えていく。
その笑い声に混じりたくて、僕も口の端を持ち上げる。
しかし、笑い声は風に乗り、遠く離れていくばかり。
僕の笑みは、ぽつんと道端に落ちる。
アパートの狭い部屋に帰れば、
壁時計の針が静かにしかも確実に動く。
テレビの明るさだけが、夜の寂しさを照らす。
外の世界はそこかしこで生きる喜びにあふれ、
窓辺では、一人、寂しさと向き合う。
料理の味は自分で調整する。
コーヒーの苦味も、甘いクッキーも、
全部自分の好み通り。
だけど、この完璧さが時々、胸を締め付ける。
友達からのLINEが画面を明るくする。
短い言葉交わし、絵文字一つで心が温まる。
けれど、画面を閉じれば、戻るのは静寂。
笑い声は、もう届かない。
生きる楽しさとは、自由で、色とりどり。
寂しさとは、自由の裏返し、心の隙間に息づく。
この部屋の小さな窓から見える星空のように、
遠くて美しく、手が届かない何か。
明日もまた、人々の笑い声を聞きながら、
僕は笑う。そしてまた、一人、窓辺に立つ。
生きることの全部を、この胸に刻みながら。
初見の感想
素晴らしい。まず生成された散文詩が十分に長いうえに、全体として視点の一貫性が保たれているように感じます。トークンの設定どうなっているんだ?
読み上げたときのリズムが良いです。句読点もリズムよく打っています。
プロンプトに対して、適当な比喩が用いられています。
料理の味は自分で調整する。
コーヒーの苦味も、甘いクッキーも、
全部自分の好み通り。
だけど、この完璧さが時々、胸を締め付ける。
ここは正直舌を巻きました。前後の流れから唐突に思える料理の話題ですが、自分のために自分の好みで作る料理、というディテールが「人が生きる楽しさと寂しさを同時に表現する散文詩を作ってください」というテーマに完全に即しているため、話題の選択としては違和感がないどころか、テーマを際立たせています。高度です。
一回落ち着く
しかし、視点が若い男性だったので「女性の視点で」というプロンプトを打つ。散文詩は最初のものより解像度が低いものが出力されました。(興奮しすぎて保存忘れました、申し訳ありません)。続けて、過剰に華美ともいえる比喩の乱用が気になったので「比喩を減らして簡潔に」を追加します。すると、最初の出力の凡庸な散文(日記のような簡潔さで、中身はおなじことに言及)になりました。ここでようやく冷静になって最初の出力を見直してみます。おお、よく読むと表現が空虚なところが多く感じます。よし。
添削していく
街の灯りが一つひとつ窓に灯る頃、
人々は家路を急ぐ。
街の灯りがともり始める頃、
人々は家路を急ぐ。
※回りくどく感じたので簡潔に
靴音がこだまするアスファルト、その一歩一歩が、
僕の心の隅にも光を灯す。
靴音が響くアスファルト。
※アスファルトにこだまするはよくわかりません。こだまは空間と音に適用すべき。後半はよくわからないし文意が通っていないので削除します。
雑踏の中、誰かの笑い声が空に消えていく。
その笑い声に混じりたくて、僕も口の端を持ち上げる。
しかし、笑い声は風に乗り、遠く離れていくばかり。
僕の笑みは、ぽつんと道端に落ちる。
雑踏の中の笑い声。僕も口の端を持ち上げる。
笑い声は風に乗り、遠く離れていく。
僕の笑みだけ、ぽつんと道端に落ちる。
※全体にディテールの設定がすごく良いです。「混じりたくて」は落とすのが惜しい気がします。意味が重複するところをそぎ落としますが、元のもそんなに悪くありません。「ぽつんと」はとくに素晴らしいです。
アパートの狭い部屋に帰れば、
壁時計の針が静かにしかも確実に動く。
テレビの明るさだけが、夜の寂しさを照らす。
狭い部屋の壁時計は、静かに、確実に時間を刻む。
スマホのライトが夜に洩れる。
※やはり表現が回りくどい気がします。テレビは見ない人が多いでしょう。
外の世界はそこかしこで生きる喜びにあふれ、
窓辺では、一人、寂しさと向き合う。
※良いです。そのまま。偶然かもしれませんが、窓(テレビ・スマホのウィンドウ)のダブルミーニング素晴らしいです。
料理の味は自分で調整する。
コーヒーの苦味も、甘いクッキーも、
全部自分の好み通り。
だけど、この完璧さが時々、胸を締め付ける。
食べ物の味は自分で調整できる。
甘く、辛く、自分の好み通りに。
だけど、その完璧さが時々、胸を締め付ける。
※良い、がコーヒーを淹れる・クッキーを作るは「料理」なのでしょうか?
指示語「この」は目の前に実物があるときに適しています。想像上の料理であれば、「その」がよいでしょう。
友達からのLINEが画面を明るくする。
短い言葉交わし、絵文字一つで心が温まる。
けれど、画面を閉じれば、戻るのは静寂。
笑い声は、もう届かない。
窓から洩れる、笑い声とライト。
※このセンテンスそのものがくどい気がします。スマホ画面を前半部分テレビと統合し簡潔に。
生きる楽しさとは、自由で、色とりどり。
寂しさとは、自由の裏返し、心の隙間に息づく。
この部屋の小さな窓から見える星空のように、
遠くて美しく、手が届かない何か。
※比喩が空虚。それぞれは正しく思えますが、これまでの文脈に寄り添っていなません。削除。
明日もまた、人々の笑い声を聞きながら、
僕は笑う。そしてまた、一人、窓辺に立つ。
生きることの全部を、この胸に刻みながら。
窓辺にひとり。
明日もまた、人々の笑い声をききながら、僕は笑うだろう。
生きることの全部を、この胸に刻みながら。
※最後の一文は良くありませんが、GPT2-chatbotに敬意を示しました。
添削版
「人が生きる楽しさと寂しさを同時に表現する散文詩」
街の灯りがともり始める頃、
人々は家路を急ぐ。
靴音が響くアスファルト。
雑踏の中の笑い声。僕も口の端を持ち上げる。
笑い声は風に乗り、遠く離れていく。
僕の笑みだけ、ぽつんと道端に落ちる。
狭い部屋の壁時計は、静かに、確実に時間を刻む。
スマホのライトが夜に洩れる。
外の世界はそこかしこで生きる喜びにあふれ、
窓辺では、一人、寂しさと向き合う。
食べ物の味は自分で調整できる。
甘く、辛く、自分の好み通りに。
だけど、その完璧さが時々、胸を締め付ける。
窓から洩れる、笑い声とライト。
窓辺にひとり。
明日もまた、人々の笑い声をききながら、僕は笑うだろう。
生きることの全部を、この胸に刻みながら。
まとめ
同じプロンプトで別のLLMが出力した散文詩もいくつか読みましたが、全体的な整合性や、リズムの良さはGPT2-chatbotが一番良かったです。
しかし、目先のテクニックや、華美ともいえる比喩・回りくどく冗長な表現はヒトより優れた表現かといわれるとそうではない気がします。
なかにはGPT2の出力が好みの方もいらっしゃるかもしれません。
また、今回の散文詩とLLMの出力の相性は比較的よいと思います。
みなさんはどう感じましたか?