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インド武術から見た相撲の起源1


実はとても良く似ている、相撲とインド武術

◆はじめに

私が2005年からインド武術探訪の旅を開始した際、そこで最初に訪れたのは、西インドのラジャスタン州にあるクシュティという伝統レスリングの道場だった。

その後、続けて南インドに移動した私はケララ州で伝統武術のカラリパヤットの道場に入門し、それがインド武術実践稽古の事始めとなったのだが、この最初期の段階から、私はある感触を抱かずにはいられなかった。

それは
「日本の国技である相撲の起源は、インドの伝統武術にあるのではないか?」
という強い印象だった。

今回投稿は、これら感触印象に過ぎなかった読み筋を、ある程度説得力のある『仮説』にまで持っていこうとする、ひとつの試みになる。

(私がクシュティやカラリパヤットなどインド武術と出会った経緯についてはこちらに詳しい)

◆土の上で、褌一丁の裸で、神前に奉納される武術

私が最初に出会ったインド武術、クシュティカラリパヤットの伝統的な様式には、明示的に相撲と重なり合ういくつかの共通点があった。上記の感触や印象を持った理由がまさにそこにあるので、以下にその共通点を列挙していこう。

まず最初は、両者とも土の床もしくは砂のアリーナ、つまり「大地の上で稽古や試合が行われる」という事で、相撲の土俵とも感覚的に重なり合うものだ。

クシュティ道場のアカーラは地面を掘り下げて川砂を敷き詰めたアリーナだ
カラリパヤットの道場内は地面を掘り下げ突き固めた「土間」になっている:CVN Easthill, Kozhikode, Kerala

次の共通点は、そこで行われる稽古や試合が、「褌一丁の裸で行われる」という事だった。

褌を締めたクシュティの道場生:Gaya, Bihar
アカーラ道場内に設置された砂のアリーナでのクシュティ稽古:Achutananda Guru Akhara, Ujjain, Madhya Pradesh

上2枚の写真は褌を締めたクシュティ道場生とその稽古風景だが、2枚目の写真を見れば分かるように、その全体的な雰囲気はレスリングというよりもむしろ相撲に近い。

カッチャを締め全身にオイルを擦り込むカラリ道場生:CVN Kerala Kalari, Thalassery, Kerala

クシュティで使われる褌はランゴットLangot、カラリパヤットの場合はカッチャKacchaと呼ばれ、両者はそれぞれ締め方が異なるのだが、特にカラリパヤットの伝統的なカッチャはいわゆる「巻き締め型」となっており、相撲のまわし褌と重なっている。

上の動画を見ると、カラリパヤットのカッチャは相撲のまわし褌とは微妙に巻き方が違うのだが、「幅の狭い帯状の長い布を巻き締める」という基本的なスタイルは一致している。私は、インドと日本以外には余りこの様な褌は見た記憶がないのだが、他にも類例はあるのだろうか。

カラリパヤットは、北インドのアーリア系武術であるダヌルヴェーダとケララ土着のドラヴィダ武術が融合したものだが、稽古の背景にはヨーガのクンダリニー思想が横たわっており、このカッチャをきつく締める事によって下腹部のチャクラが活性化すると言う。これは日本の褌や晒を下腹部に巻き締める営為が、臍下丹田の気を高める、という思想にも重なるものだろう。

三つ目の共通点として、これはインドの文化全般にそうなのだが、クシュティとカラリパヤットともに、その稽古や試合が神に捧げられる『宗教的な行』になっている点があげられる。これについても基本的に『神事』という性格を色濃く持つ日本の相撲と重なって来る。

カラリ道場は静謐の気に包まれた寺院だ:Vallabhatta Kalari, Guruvayur, Kerala

クシュティ道場にはレスラーの守護神であるハヌマン神が祀られ、カラリ道場にもシヴァ神とシャクティ女神が融合したカラリ・バイラヴァと呼ばれる主神をはじめ多くの神々が祀られており、稽古の始まりと終わりには敬虔な祈りが捧げられる。インドにおける道場とは、身体行を神々へと奉納する寺院なのだ。

もっともこれは、相撲限定というよりもむしろ、日本の武道全般とも本質的に共通する要素かも知れないが。

◆インド武術と相撲に共通する『腰の低さ』と『開脚』

四つ目の共通点は、稽古の基本エクササイズにおける『腰の低さ』が上げられる。すでに投稿した「インド武術から見た近代スクワットの起源」でも指摘した事だが、クシュティ、カラリパヤット、ヨーガ・アーサナでは、極端に重心を下げたスクワット的な『しゃがんだ姿勢』を重視する。これは相撲における四股蹲踞にも通じるものだろう。

生涯無敵の伝説を持つクシュティ・レスラー、グレート・ガマのスクワット姿勢:Wikipediaより
若隆景の蹲踞姿勢、令和4年1月場所7日目にて:Wikimediaより

上の画像はクシュティの伝統的なバイタック・エクササイズ(ヒンドゥ・スクワット)の画像で、次が相撲の蹲踞だが、どちらも踵を上げたつま先立ちの姿勢でスクワットしており、背筋を伸ばしている点も含めよく似ている。

カラリパヤット基礎体錬、ライオンのポーズ:MKG Kalari, Thalassery, Kerala
千代の富士の土俵入り:Twitterより

上ではカラリパヤットの基本姿勢である動物のポーズと相撲の仕切りを引用したが、一般的なスクワットから更に極端に上体を落とした姿はとてもよく似ている。

カラリ独特の片ひざ立ての礼拝座り:CVN Easthill, Kozhikode, Kerala

上はカラリパヤットに特徴的な礼拝姿勢の座法だが、左右非対称になってはいるが、基本的なイメージは相撲の四股の腰割りに通じるものがあるだろう。

横綱千代の富士の土俵入り、1985年:NHK Sportsより

上の画像は千代の富士の横綱土俵入りだが、これはおそらく神への礼拝祈願の儀礼ニュアンスを最も濃厚に持ったもので、カラリの礼拝座法とも重なって来る。

またカラリパヤットの基礎体錬では、重心の低いスクワット姿勢と同時に身体の柔軟性、中でも股関節の柔軟性を最も重視し、スーヂ・ギルテ針のポーズと呼ばれる180度開脚を重用している。

彼らがメイパヤットと呼ばれるエクササイズ・シリーズの中でキックを多用するのも、攻撃技というよりは、むしろこの股関節の柔軟性を開発する意味合いが強い。それはスージギルテの開脚を立てた・・・を完成形とする下のネールカル・キックによく表れているだろう。

蹴り脚と軸脚がほぼ一直線に立つネールカル・キック:VKM Kalari, Kunamkulam, Kerala

これらカラリパヤットの特性も、股関節の柔軟性を重視して入門当初から徹底的に股割りを仕込み、高々と蹴り脚を上げて四股を踏む、相撲の体錬思想と重なってくる。

両足が天地を指す阿炎の美しい四股:Nikkan Gendai Twitterより
相撲の股割り:日本相撲協会より

以上は単なる類似する事実関係の提示であって、だからこうである、という仮説の提出ではないが、「土の上で、褌一丁の裸で、神前に奉納する武術」、そして「腰の低い所作を重視する」「180度開脚を重視する」という特徴において、インド武術相撲は大いに重なり合っており、それをもって私が「前者は後者の起源ではないか?」という感触を得た流れについては、おおよそ納得いただけたかと思う。

◆古代インド、マラ・ユッダの戦士

ここから先は、いよいよ仮説の提示・論述に入っていくが、実は化粧まわしを着けた相撲の横綱土俵入りに非常に酷似した姿形の彫刻が、古代インドの仏跡に残されているので、まずは最初にそれを紹介しよう。

スクワッテイングする力士の様な男:BC100前後、Bharhut仏跡出土, Indian Museum, Kolkata

上の画像はバルフートで発掘された仏舎利塔ストゥーパの周りを囲う欄楯の彫刻で、紀元前後のインド仏教に特徴的なメダリオンと呼ばれる装飾だが、中央の女神(ラクシュミの原像)と思しき女性像の周りを唐草様にデザイン化された蓮の茎・花・葉が飾り、その下に力士様の男が蓮の茎(あるいは根茎?)を両手に握ってしゃがんでいる姿を描いており、これはインドの精霊神ヤクシャだと言われている。

バールフト、サーンチー、アマラーヴァティーなどの初期仏教美術においては、蓮の精として、蓮華蔓草を口や臍から吐き出したり、あるいは蓮華蔓草を担いだりする興味深い表現が見られ、これもヤクシャの系譜に属する。

仏教美術のイコノロジー P100、宮地昭著より

相撲の『化粧まわし』は比較的新しい習慣らしいので、このヤクシャが腰に着ける前垂れと直接関係はないかも知れない。ただ、私もインドは長いが、上の写真の様な腰で締めるエプロン様の衣装というのはあまり見た事が無く(類似の腰衣はモンゴロイド系のチベットやブータン女性の伝統衣装に見受けられるが…)、その霊異ヤクシャ的な仮面もしくは化粧を思わせる顔貌と合わせて、おそらく何か特殊な古代の祭祀儀礼をデザイン化したものではないか、と推測している。

そう思ってよく見ると、この構図、蓮華の茎蔓が中央の女神の周りを完全に囲って、それがヤクシャ力士の両手で繋がれる事によって、ある種『結界』が閉じて結ばれたような形になっている事に気づくだろう。

稀勢の里の横綱推挙式、奉納土俵入り:Wikipediaより

この古代インドの『力士』のようなヤクシャと、横綱の土俵入り姿を比べると、化粧まわしを捨象して太い横綱とそこから垂らされる紙垂しでだけ見てもよく似ている。この横綱という名称自体が本来的には神社の注連縄しめなわから来ており、上の画像に見られる様に、その太綱から紙垂が垂れ下がっている形になる。

そして実は、インドの宗教文化にも日本の注連縄や紙垂に相当する習慣が存在している。バルフートのヤクシャ力士が締める『前垂れ』が同じ意味合いを持っていたと即断はできないが、その両手につかむロープ状の蓮茎と合わせて、ある種『結界の縄張り』の様な、非日常的な儀軌における特殊な装束・意匠だった可能性は十分に考えられるだろう。

注連縄や紙垂によく似たヒンドゥ寺院の結界:Chidambaram, Tamil Nadu

本稿の冒頭に紹介したクシュティは、16世紀に外来のムスリム王朝であるムガル帝国が成立してからその名前と諸様式が確立したもので、カラリパヤットについてはおよそ12世紀に生まれ16世紀にかけて大成したと言う。どちらもインドの長い歴史を考えれば比較的新しい・・・・・・ものだ。

これら武術が確立する以前のインドには、レスリング(相撲)から関節技から打撃技に至るまでの総合武術が全ての祖型として存在していたと言われ、それは一般にマラ・ユッダMalla Yuddhaと呼ばれている。

このマラ・ユッダについては、叙事詩などでも多く言及されている事からおそらくアーリア系の文化に起源し、武の聖典『ダヌル・ヴェーダ』とも連携しながら発達したものと思われる。

しかし(これは他のインド文化も同様なのだが…)、古代においてインド文化の基礎を形作った紀元前のマウリヤ朝三代から紀元後のグプタ朝期にかけて、インド文化の中心を担っていたのはパータリプトラを首都としたマガダ地方周辺であり、この地域はアーリア・ヴェーダ文化の影響を受けながらも基盤となるのは土着のドラヴィダ・モンゴロイド系文化だった事から、マラ・ユッダもアーリア系と先住民系、両者の伝統が融合したものだった可能性は否定できない。

マガダ地方は仏教の開祖ゴータマ・ブッダが活躍したエリアとも重なるのだが、戦士を意味するマラMallaという語は、このマガダに隣接する国やその民族名『マッラ』としても歴史に登場しており、ブッダが入滅したクシナガラはこのマッラ国の首都であった。

中央にマッラ国、その右下にマガダ国、左上にはブッダのサキャ国がある:Wikimediaより

仏伝によれば、ブッダは若かりし王子の頃に相撲の力くらべ競技に勝ってヤショダラ姫を娶ったとされており、この競技をマラ・ユッダと比定すれば、その歴史は少なくとも紀元前500年以上には遡る事になる。

先のバルフート遺跡のスクワッティングする男は、そんなマラ・ユッダの戦士をヤクシャに見立てた祭祀儀礼をデザイン化したものではないか、と私は考えている。マラ・ユッダには四つの部門があるとされるが、その一番基本となるのはやはりレスリング(相撲)なので、力士の様な男の姿とも重なり合う。

マラ・ユッダ(サンスクリット語: मल्लयुद्ध、mallayuddha)は、インド発祥の伝統的な格闘技です。ナバンなどの東南アジアのレスリング・スタイルと密接に関連しており、クシュティの 2 つの祖先のうちの 1 つです。インドのレスリングは13世紀の『マラ・プラーナ』に記載されています。
マラ・ユッダには、レスリング、関節破壊、パンチ、噛みつき、絞め、ツボ押しなどが組み込まれています。試合は伝統的に 4 つのタイプに体系化されており、純粋にスポーツ的な力比べから、ユッダとして知られる実際のフルコンタクトの戦いまで発展しました。
サンスクリット語で、マラ・ユッダは文字通り「レスリング戦闘」を意味します。厳密に言えば、この用語はレスリングのスタイルや流派ではなく、単一の徒手格闘試合や賞品の戦いを指します。これは、マラ(レスラー、ボクサー、アスリート)とユッダまたはジュッドー(戦い、戦闘、対立)を組み合わせた複合語です。

Malla Yuddha, Wikipediaより

このマラ・ユッダ闘技の試合らしき彫刻が、北西インドのガンダーラ(現パキスタン領)でやはり仏教遺跡から発掘されている。バルフートの紀元前100年からさほど遠からぬ、紀元後に作られたものだ。

2nd century CE, Jamalgarhi, Gandhara Gallery, Indian Museum, Kolkata:Wikimediaより

ペシャワール渓谷を中心としたガンダーラ地方は、紀元前6世紀にはアケメネス朝の支配下にあった事が確認されておりペルシャの支配がしばらく続いたが、紀元前327年にはギリシャのアレクサンドロス大王によって征服され、その支配は属将のセレウコスに引き継がれた。

その後マウリヤ朝の初代チャンドラグプタから孫のアショカ大王にかけての時代(紀元前305~前185年頃)はインド世界の一部だったが、この彫刻が作られた当時は中央アジア出自のクシャーナ朝の支配下にあって、タキシラと共にストゥーパ仏舎利塔を中核とした仏教センターとして栄えていた。

文明の十字路としてインド文化ペルシャギリシャ系文化が交差し混淆する状況で、上の彫像もそれらしい非常にリアリスティックな表現になっているが、中央で褌を締めて組み合う二人の男の姿は、日本の関取りだと言われても頷いてしまうほどに相撲の力士によく似ている。

この構図、ちょうど中央の損壊部分と重なって見にくいが、右の力士が相手のまわしに左手を差して、それを左の力士が右手で阻止しようとしているようにも見受けられるだろう。

下の画像は同じガンダーラでほぼ同時期に作られたもので、前述した仏伝のゴータマ・シッダールタ王子が相撲を取っている図だとされているが、今度は「下手と上手で互いにまわしをつかんで組合っている」様な描写が、はっきりと確認できる。

『相撲』を取るシッダールタ王子:Heritage Lab.Inより

当時に至るガンダーラの状況を考えると、この格闘技が果たしてインド文化に由来するのか、あるいはペルシャやギリシャ文化に由来するのか、議論の余地はあるかも知れない。

しかしこの地が百数十年にわたってインドのマウリア朝に統治されていた事、クシャーナ朝がインド中原のマトゥラーまで支配領域としていた事、背景に刻まれた人物が明らかに右肩を露出偏袒右肩したローブを着ている事、そして何よりアショカ王の時代から続く仏教センターの遺物である事、などから、これはインド伝統のマラ・ユッダを表していた可能性が高い、と私は判断している。

だとすると、だが、取り合えず学術的な考証云々は置いておいても、一見してインド武術の原像であるマラ・ユッダ日本の相撲非常に良く似ている、というのが私の率直な印象であり、この点については多くの方に頷いていただけるのではないかと思う。

(注:本稿で登場した「バルフート」という地名については、日本の学界では現状「バールフト」と表記するのが通例になっている様だが、私自身のインド現地での聞き取りや現在進行形でのYoutube等でのインド人自身による発音は、どう考えても「バルフート」もしくは「バルート」としか聞こえなかったので、本稿を通して引用文以外は「バルフート」で統一している)


この「インド武術から見た相撲の起源」原稿は、7月20日発売の雑誌Tarzan No861号にダイジェスト掲載された投稿「インド武術から見た近代スクワットの起源」に触発・牽引される形で、7月の下旬から本格的にリサーチを開始して10月の初旬まで2か月以上にわたって延々と書き連ね、最終的に4万文字を超えてしまった為に適当な所で分割して投稿する事にした。

(※現在もリサーチは継続中で、その内容は随時、加筆・修正される可能性があります)

今回投稿では「日本の相撲とインド武術は、総じて奇妙なほど親近性が高い」という点について、私のインドでの実体験をベースに、クシュティカラリパヤットそしてそれらの大本の起源であるマラ・ユッダと絡めて、色々具体的に例示紹介した。

これらの事実を目の当たりにした結果、私はつい「過去のどこかで両者が交錯していたのではないか」と考えてしまった訳だが、果たして、現代に至るインド武術その原像であるマラ・ユッダは、実際に日本の相撲と歴史的な関係があったのだろうか?

という事で、次からはいよいよ本丸である日本相撲の起源について、定説とされる野見宿禰埴輪力士に始まり、それがいかにインド武術のマラ・ユッダにつながって行くのか、という流れで深掘りしていきたい。

~次回の投稿に続く~


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