プロローグ
その日、仕事を終えて帰宅したのはいつもの様に5時半を回っていた。シャワーを浴びて食事を済ませると、私はテレビの前のソファーに身体を寛がせた。
最後の旅から日本に帰国して、もう6年が過ぎていた。あの、インドやアジア諸国での経験は何だったのだろうか。そう思わずにはいられないほど平凡な、しかし充実した日々が続いていた。
だが心のどこかで、インドへの思いをあたため続けていたのもまた事実だった。日本とは全てにおいて異なった別世界。けれど何故かたまらなく懐かしい人間存在の原風景。またインドに帰りたい。平穏な日常に満たされつつも、常にその思いを抱えていた。
そんな私の心に、まるで楔を打ち込むように、その番組は突然やって来たのだ。
それは若手のタレントが海外に行って現地の様々な伝統文化のスペシャリストの家に住み込んで一緒に生活しつつ修行する様子を映し出す、「ウルルン滞在記」という人気のある長寿番組だった。
結構気に入って毎週見ていた私は、習慣的に番組表を確認し、その瞬間目線が釘付けになった。ヨーガ武術?カラリパヤット?紙面に踊るそれらの文字が、私の心を鷲づかみにしていた。ヨーガ武術と言うからには、それはインドの武術に違いなかった。
1995年から足掛け3年、私はインドを中心に広く南アジアの国々を旅して回った。ありきたりな話だがヒンディ語やヨーガ、仏教の瞑想について学び、修行と放浪の日々を過ごしたものだ。
しかし、ヨーガや瞑想は私にはおとなしすぎた。元々アウトドアで身体を動かすのが好きで、それが嵩じて大学卒業後は林業の現場に飛び込んだ人間だ。静かに坐り、ひたすらに自分の内面を見つめるという瞑想修行には、魅了される面と飽き足らない面が半々だったのだ。
やがて3年を潮に日本に落ち着いた私は、縁あって合気道を始める事になった。それは、偶然インド旅行中に知り合った日本人から聞いた、『動的な禅』という表現に強く惹かれたのがきっかけだった。知り合いのつてで合気道の奥の院と呼ばれる茨城の道場に入門した私は、そこで見事に『動的な禅』にはまってしまい、ほぼ3年間、毎日朝晩、稽古三昧の日々を送る事になった。
その後、和歌山で林業に復帰するために茨城を離れて稽古も中断してしまい、手近に適当な道場もないことからひそかに欲求不満が溜まっていた。そのタイミングで偶然目にした「インド武術」という言葉は、大いに私の食指をそそるものだったのだ。
あのインドの、しかも武術だって?
足掛け3年、延べ20ヶ月以上をインドで過ごした私にとって、インド人と武術修行ほどミス・マッチな物はない気がした。あの暑熱の中で、一体どうやって激しい運動などできるのだろうか? 一見、日本人の目には怠惰に見えるインド人の生活も、実は気候に対する適応なのだ。あの土地で日本と同じようにシャカリキに働いたら、たちまちオーバーヒートしてしまう。あんなところで激しい武術の稽古などありえるのだろうか。私が所属した合気道の道場は厳しい稽古で有名だったため、そのイメージと、あのインドのイメージとが、私の中では容易に結びつかなかった。
頭の中に様々な?マークを躍らせながら、私は録画の準備をし、番組の始まりを待った。
若手俳優が訪ねたのはケララ州のコーチンだった。インドの最南端に位置するこの州はアラビア海と西ガーツ山脈に挟まれ、水と緑があふれる風光明媚な美しさで知られていた。隣のタミルナードゥ州と並んで私にとって最もお気に入りの土地で、数週間に渡ってくまなく旅した記憶がある。しかし、あそこに武術などあったのだろうか。
司会者の説明によるとカラリパヤットはケララの伝統武術で、昔CMの中で高く吊り下げたボールを軽々と蹴り上げる姿が放映されたという。それを聞いたとたんに私の記憶も疼きだした。確か「いやはや鳥人だ!」というキャッチ・コピーの鮮烈なCMを見た記憶がある。あれは何のCMだっただろうか。
私の疑問をよそに番組は進行していった。
そして突然、道場で上半身裸の男達が棒術をやり始めたのだ。
私が学んだ合気道の道場では、剣と棒(杖)と体術の三位一体で稽古が行われていた。元々武道をたしなんだ事などなかった私は、この時初めて棒術というものに出会い、そして魅了された。剣も体術もそれぞれに味わいがある。けれど最も私の魂をつかんだのが、この棒術だった。
そして今、画面の中で繰り広げられるインドの棒術。それはとても不思議なものだった。背丈ほどの棒の真ん中をつかんで、片手でひたすら回していく。回しながらその回転を止めることなく、右手から左手、左手から右手へと持ち替えていき、とにかく身体の周り、あらゆる方向でひたすら回していく。
その動きは、一見したところどうやっているのかわからない。若手俳優も、とにかく棒を持たされて兄弟子達の真似をするのだが中々うまくいかず、自分で自分の頭を打ってはさかんに首を傾げている。
けれど褐色の肌の男達が見せるその回転技の軌跡はとても美しく、あたかも巨大な車輪が身体の周りを回転しながら翔け巡っている様に見えた。
その瞬間、天啓のように私は直観していたのだ。
『これは、「転法輪」の棒術に違いない』と。
それは全く根拠のない、しかし確信に満ちた直観だった。
それが、とてつもなく遠く長い旅の始まりになる事など、その時の私は知る由もなかった。ただ、回転する棒が生み出す美しい車輪の姿を、繰り返し頭の中で反芻し続けていた。
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