終章 コスミック・ダンス:人類普遍のチャクラ
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この物語のメインテーマに関して、およそこれまで明らかになった事実関係とそれに基づく『仮説』については、前回投稿に至る流れの中でほぼ書き尽くしたかと思う。
ここから先は、その間個人的に思い巡らせてきたチャクラ存在にまつわる様々なトピックスについて書き綴りながら、エンディングへ向かって着地していきたい。
それは、インド棒術の回転技やチャクラ思想と直接関係が有るような、あるいは無いような、そんな微妙なラインを交錯する『とめどない連想イメージの流れ』であり、この探求の過程でいつしか完璧な『チャクラ・フリーク』に仕上がっていた私が、チャクラ存在に寄せるひとつの熱い思いでもある。
まぁ余り構えずに、気楽に楽しんで読んでもらえれば嬉しい。
インドにおいてその背景思想と共に高度に発達し愛されて来た『チャクラ・デザイン』。以前の投稿でもチラッと触れたことだが、円輪をベースにその中心から放射状に展開するこのモチーフは、西欧キリスト教文化や中近東のアラブ・イスラム文化においても、極めて宗教色の強いシンボリックなイメージとして重用されている。
上のバラ窓など、蓮華輪の光背としてブッダが背負っていても全く違和感がない車輪デザインだろう。
これらのチャクラ・デザイン(彼らはこう呼んではいないが…)は基本的に堂廟のドーム屋根と親和性が高く、多くの場合その内部天井に描かれている。これはそもそも円輪のドームというものが、俯瞰して見ればその骨組みも併せてスポーク式車輪と全く重なる意匠なので、この組み合わせにさほど不思議はないのかも知れない。
実はこの欧州や中東における宗教的なドーム建築、およびその内部に描かれたチャクラ・デザインというものについては、インドとの歴史的相関も色々考えられる。
南インドの港湾都市の遺跡から発掘された古代のローマ・コインなど遺物によって、既に西暦紀元以前からインドと地中海・ペルシャ湾岸世界が交易していた事実が明らかになっている。それを担ったのが西欧人かアラブ人かはともかく、地中海世界と古代インドとの間で文物の交流があり、それが長期に渡って継続していた事は間違いない(例えば、紀元前後にローマ帝国領内で行われたコロシアムの建設記録に、インド人名の労働者がいたりもする)。
紀元前後の数百年間と言えば、汎インド的に仏教のストゥーパ文化が最も栄えた時代であり、たとえその内部が中空ではなかったとしても、ストゥーパが持つその特徴的なドームの姿かたちは、おそらく人類文化史においても最古級のドーム建築その元祖とも言えるものだ。
このストゥーパ・ドームにインスパイアされて、ローマ・カトリック教会のドーム建築やその後のイスラム・モスクのドーム建築が生まれた、という仮説も、かなりいい線をいっているのではないだろうか。
また中国西域から中央アジアにかけてのシルクロード上には多くの仏教窟が残されており、そこでは西暦のかなり早い段階から、仏像の円輪光背、天井の蓮華輪やドーム絵が描き継がれていた。
どちらがどちらに影響を与えたかは即断できないが、インド世界と地中海周辺世界の東西文化において、主に仏教を通じて早くからチャクラ・デザインの伝播と交錯があった事は間違いないだろう。
以前にも書いたが、インドを含めたユーラシア大陸の西半分には、普遍的に『世界の中心軸』という思想があった。それはラテン語で『アクシス・ムンディ』と呼ばれ、その原義は『世界の車軸』に他ならない。
このアクシス・ムンディという世界観は、おそらくインド世界のチャクラ思想と同様、回転する車輪とそれを中心で支える車軸にその原像が求められ、そもそもの大本は、史上初めてスポーク式車輪を開発しその車輪を履いたチャリオットの威力によって周辺世界を席巻していった、アーリア人の『チャクラ意識』に由来しているのではないかと私は思う。
アーリア起源のラタ戦車に席巻された古代エジプトやアッシリアのチャリオットについてはこれまで何回も取り上げてきたが、その後のギリシア・ローマ時代のヨーロッパでもチャリオットは武威や神威の象徴であり、王や神々の偉大さを讃えるために彼らをチャリオットに乗車する姿で描く事が普遍的に行われて来た。
そしておそらく、ヨーロッパと中東の人々は、いつしかその車輪の中心車軸に彼らが崇める唯一神の姿を投影していったのだろう。これはインドにおいて至高の一者なる神=ブラフマンが、宇宙万有世界の車軸柱に見立てられた必然性と全く重なるものだった。
車輪という実存が彼らの深層意識に深く刻印した、そんな『神威』の現われではないかと思える事実がある。
ヴァチカンにあるカトリックの総本山サンピエトロ大聖堂は、イスラムのメッカと並び称されるキリスト教最大の聖地だが、大聖堂前に広がり、大きなミサの時には信者で埋め尽くされるサンピエトロ広場が、やや変形した楕円形だが美しいチャクラ・デザインをしているのだ。
その中央にはこれも車軸=スカンバ柱を思わせるオベリスクという石柱が屹立し、ヴァチカンがアクシス・ムンディであることを誇示している。これを設計したベルニーニにはたして車輪のイメージがあったかは不明だが、それは見事に、中心から神の力が世界に放射し展開する『チャクラ』を表していた(それが仏教と同じ八本スポークであるのは何かの符合だろうか…)。
実はこのようなチャクラ紋様のフローリング装飾もまた、天井のそれと合わせてキリスト教聖堂では広く普及しており、そこでも八放デザインは中心的なモチーフとなっている。サンピエトロ広場はそれを巨大化し外部化したものなのかも知れない。
オベリスクというシンボリックな石柱は、そもそもエジプトなど海外植民地からローマ帝国が奪ってきたもので、本来は西欧のものではない。エジプトも古代においてチャリオットの武威によって席巻された歴史があるので、本来的にもこれは『世界の車軸柱』だったのかも知れない。
円輪チャクラの中心軸に関しては、キリスト教にもうひとつ実例がある。本投稿の冒頭にフランス、ノートルダム大聖堂バラ窓のステンドグラスを掲載したが、あの構図の中心部分にキリストを配したものが多数確認できるのだ。
下に同じフランスはシャルトル大聖堂のバラ窓ステンドグラスを取り上げるが、そこでは聖母マリアに抱かれる幼子キリストが、チャクラ・デザインの中心に据えられている。
上の記述を見ると、このバラ窓のデザインが本来的には『車輪』であり、キリストはその車軸に位置付けられていたことが推定できる。シャルトル大聖堂には他にもいくつか同様のバラ窓があるが、そこにおいて中心車軸に置かれているのもまた、神のひとり子キリストだった。
(聖母マリアが円輪のバラ窓と重ねられていたという事実は、インドにおいて蓮華輪が女神たちと重ねられていた事実とも符合し、偶然だろうがとても面白い)
実はドーム天井のチャクラ絵にしても、同じようにその中心に神やキリストを描いたものが多々見られる。これらドームは、インド思想と同様おそらく天球の最高処としての天国を暗喩している事が予想されるが、同時に『世界の車軸=唯一神』という思想や感性がキリスト教圏の根底にも存在した、確かな証ではないだろうか。
別のパターンでは、円輪チャクラ装飾の中心をなにも描かれていない天窓として、そこからスポットライトの様に太陽光線が差し込む演出も見られる。これは『神の光』が天国から届くイメージだろうか。もしその光の柱が真上から垂直に床に届いていたとしたら、それはあたかも車輪のハブ穴を車軸が通っている様にも見えるだろう。
またこれは宗教からは離れるが、中世以降、近・現代に至るまで、欧州で造られた計画都市の多くが車輪様の形をそのグランド・デザインとしている。これは彼らがこのモチーフに大いに魅せられていた事のひとつの大きな現れだろう。
興味深い事に、ドーム天井やチャクラ絵を共有しているイスラム教のメッカ巡礼においても、同じような『チャクラ現象』が確認できる。神域であるマスジット・ハラームの中央に建てられたカーバ神殿それ自体は立方体だが、それを中心に百万とも言われる信者たちが集団で礼拝する姿は、見事に巨大な円輪を描き出しているのだ。
そして着座の礼拝が終わると、人々は一斉に立ち上がり神殿の周りを反時計回りに巡回し始める。その様子を空から見下ろせば、それはあたかも転変する現象世界が、不動の車軸なる神の周りを回っているかの様に、見えるのだった。
下の動画を見ると、このカーバ神殿はその原初の姿において既に完全に円輪の中心というイメージを持っており、現在の姿は、未来においてその原イメージを完全に復興させる、その途上にある事が分かるだろう。
2030年のメッカ予想図に見られる多重に円輪なすカーバ神域の上に、もしモスクで常用される巨大なドーム天井をすっぽりと被せたら、それはそのまま仏教ストゥーパの形・構造にならないだろうか(そこには8本スポーク様の構造すらある!)。
理念的には、ストゥーパの内部中心の地中には仏舎利が奉安埋蔵され、そしてそのようなストゥーパの周囲を、信者たちは右繞して回っていく。回って行く方向は逆だが、それはカーバ神殿すなわちアッラーの位置づけや信者との関係性と全く同じだった。
イスラム聖地における輪軸様のグランド・デザインは、他にもイマーム・レザ廟などで確認できており、おそらくそこには確かな背景思想が存在している可能性が高い。
円輪形をベースにその中心車軸から放射状もしくは同心円状に展開する聖チャクラ・デザイン。そして車輪によって生み出される回転するイメージ。それはインドにおいて聖なるチャクラの思想と結びついて特異的に発達したのだが、けれどそれは決して、インド教だけの専売特許ではなかったのだ。
こうして見てくると、ヨーロッパ・地中海周辺からインドにかけてのユーラシア大陸西半分において、インド・アーリア人がラタと呼んだ古代戦車とそのスポーク式車輪が、如何に重要な意味を持ち、それによって人々の心象世界がどれほど大きな影響を受けて来たか、という事が、よく分かると思う。
ただキリスト教やイスラム教では、インドほど深く輻輳した形で、そのチャクラ思想を発達させることはついぞなかったようだ(このあたりは『専門外』なので踏み込まないが面白いテーマだと思う)。その点が『チャクラの国インド』との、やはり決定的な違いだった。
けれど考えてみれば、古代戦車の車輪やその宗教的な展開という文脈を離れても、蓮華輪や日輪あるいはバラ窓と同様の幾何学的な円輪放射デザインは、世界中で最も愛されているモチーフのひとつかも知れない。
そのキャッチーでインパクトのあるヴィジュアルは、古代戦車の洗礼をさほど受けていない日本人の心をも容易につかむ。例えば、以前にも提示した皇室の菊の御紋などは典型的なチャクラ・デザインだと言えるだろう。
また中国から日本に至る東アジア全体には、銅鏡と呼ばれる円輪形の鋳造彫刻があり、これは何らかの祭祀に用いられていたとも言われている。
更に世界に目を向ければ、中米の古代アステカ文明には、その名も『太陽の石』という巨大なチャクラ・デザインの彫刻が存在し、ブッダの八正道やヨーガのアシュタンガを思わせる八つの尖がりデザインによって、八つの方向つまり全世界を表しているという。
同じアステカ文化にはティソクの石やモクテスマの石と呼ばれるやはりチャクラ・デザインの石像彫刻がある。どちらも中央に車軸を通すような穴を持ち、これは人身御供の心臓を供える場所だとされているが、輸送手段としての車輪文化を持たなかった彼らが、何故この様な車輪様・真円放射イメージを獲得しえたのだろうか。
その他にも、中南米のエスニック・デザインにはこの様な円輪放射パターンが溢れており、「Aztec Circle Pattern」などで検索するとぞろぞろ出てくる。
それでは、かつてインディアン(!)と呼ばれていた北米ネイティヴたちのエスニック・アートはどうだろうか。検索してみるとそこでもまた、チャクラ様円輪デザインが極めて印象的な存在感を放っていた。
北アメリカ大陸北部の少数民族オジブワが伝統的に用いて、その後60年代から70年代にかけての汎インディアン運動の中で各部族にも広まった、蜘蛛の巣を模したという魔よけの護符『ドリーム・キャッチャー』。
民芸品の器やプレートなどに描かれたシックなチャクラ・デザイン。
カリフォルニア州中央海岸一帯に一万年以上前から居住しているチュマシュ族が、おそらくは紀元前後から描き続けて来た洞窟壁画のホイール・シンボル。
中でも私が強い印象を覚えたのは、メディシン・ホイールと呼ばれる大地に構築された祭場聖地だった。上の岩絵もそうだが、中南米と同様、車輪の文化を持たなかった彼らが、何故この様な車輪様モチーフを想起しえたのだろうか。
この車輪様に構築された祭場は、太陽など天文学的な観測に用いられていたとも言われるが、調べを進めると、どうやら先のチュマシュ族の岩絵ホイールと共に、その幾何学的な円輪モチーフはヴィジョン・クエストと呼ばれる先住民独特のスピリチュアリティと深く結びついていた様だ。
断食や極度に集中した祈り(瞑想)に加え極端な苦行、幻覚剤の使用、そしてトランス的な歌と踊りなど、汎インド教的な行道にも重なるこのクエストのさ中に、もし『チャクラ・ヴィジョン』が感得されるとしたら、これはとても興味深い事実だろう。
特にサン・ダンサーの記述にある『中央のポール』という言葉に魅かれて調べてみると、以下の説明を発見した。
車輪の文化を持たなかった彼らだが、しかしこのクエストの中で、円輪なる被造世界とその中心なる『創造神』というヴィジョンを直観していた。壁絵やメディシン・ホイールのあの車輪形は、霊的なコードによって被造物たちが中心なる『神』とつながり広がる、円輪世界観を表していたのだ。
それは極めてシンプルではあったが、かのインド思想が複雑精緻に構築した壮大な『チャクラ世界観』とも、魂の深淵そのどこかで、通底しているものなのかも知れない。
次いでアフリカ大陸に目を向けてみると、そこでもエスニック・デザインの中心には、チャクラ様円輪デザインがこれでもかと花開いていた。もういかにもアフリカらしい余りにヴィヴィッドなチャクラの洪水に、目がクラクラしそうだ。
この流れで考えるとごく自然な話だが、アフリカの多くの国では、インドと同様、特に女性のローカル・ファッションとしてチャクラ・デザインのドレスがすこぶる愛されているようだ。
ヴィヴィッドな原色地に大柄なチャクラ・デザインを配したこの様な服飾センスは、ざっとネット上を巡回しても、インド、アフリカを中心に世界中の熱帯・亜熱帯地域で人気を博している様に見える。
最後にオーストラリア先住民のアボリジナル・アートを取り上げよう。これは非常に原初的な感性を感じさせる鮮烈な色使いのドット絵だが、トーテムを表す様々な動物モチーフなどもある中、やはり印象的な存在感を放つのは円輪チャクラだった。
そこでは同心円の重なりが強調され、その外側にコード状の放射イメージが展開するパターンが多い。
このいかにも非日常的なバイブスを発するイメージは、興味深いことに伝統的な『ドリーミング(あるいはドリームタイム)』と呼ばれる神話的ヴィジョンに由来するという。
それは南北アメリカの先住民によって継承されて来た、あのヴィジョン・クエストとも重なる、魂の原郷を求めるインナー・トリップだった。
英語のドリーミングは現地語のアルトジラを意訳した通称で、この語には各部族あるいは西洋人の学者によって、「夢の時間」「始まりのない永遠の存在」「世界の夜明け」「神を見る」「世界と人類の永遠の創造者」「最高の存在」など様々な解釈が付与されている。
アボリジニーの特に男子には独特な成人儀礼の慣習があり、そこでは伝統的にドリーミング・ストーリーが、歌や踊りを伴うディジュリドゥの忘れられない音や象徴的な絵などの媒体を通じて語られるという。
このドリーミング、現代文明人には中々に理解しがたい部分もあるが、ひょっとするとそれは、かつて私がタイ・チェンマイのテーラワーダ寺院で瞑想中に幻視した、あの鮮烈なチャクラの刻印に近接するものなのかも知れない。
それは同時に、古代インドの詩聖達が(おそらくはソーマ酒でトランスしながら)その口からあふれ出るヴェーダの賛歌の言葉を、「神から与えられた天啓」と受け止めていた事実を、私に思い出させていた。
その様にして感得されたドリーミング・ヴィジョンがアウトプットされたものが、このアボリジナル・アートだったのだ。下のビデオはそのシミュレーションとして格好のサンプルだが、これは是非じっくりと観て、味わってみて欲しいと思う。
思い起こせばあの日、テレビ画面に映し出されたインド棒術の回転技を初めて目にした私は、その瞬間あたかも天啓のように、『回転する車輪』を直観していた。
それ以来チャクラ思想の淵源を求めて、何かに憑りつかれたようにインドの大地を彷徨し続け、太古のヴェーダ聖典を読み漁り、インターネットの仮想空間に沈潜し続けたのだから、さしずめ私は先住民たちの世界線から見れば、ドリーミングする『チャクラ種族』だったのかも知れない。
ここまでインド亜大陸を起点に、欧州キリスト教世界、中東アラブ・イスラム教世界、日本・東アジア、南北アメリカの先住民、アフリカ大陸、オーストラリア先住民と、駆け足で世界中の基層文化の中にあるチャクラの表象を確認してきた。
ラタ戦車と共にあった歴史の有無に関わらず、実は全人類規模のある種『原意識レベル』とも言える感性に駆り立てられるように、私たちは中心から円輪放射状に展開するチャクラ・デザインに魅了され、それを愛好してきた事実がそこにはあった。
私は前に「インドは神聖チャクラ帝国だ」とぶち上げたが、こうなるともはや、80 億の人類・文化が多彩な形で華開くこの地球こそが、本然的な『チャクラの惑星』にも思えてくる。それぐらいチャクラ・デザインはこの人の世に満ち溢れるグローバル・モチーフだった。
そしてそれはもちろん、人間世界だけの話では、なかったのだ。
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