初めてのインド武術:クシュティ
前回の投稿はこちら ↓
ナットドワラはラジャスタン州南部、レイク・パレスで有名な観光地ウダイプルの北40㎞ほどに位置する。この町を何よりも有名にしているのが市街の中心に位置するシュリナート・ジー寺院だ。
ヒンドゥ教は多神教として知られる。中でも最高神として人々の信仰を集めているのが、世界の維持を司るヴィシュヌ神と破壊と再生を司るシヴァ神の二大神格で、これに創造神ブラフマーを加えた三神(トリムルティ)が、神々のパンテオンの頂点に君臨している。しかし、この三神は神の様々な機能を表わすに過ぎず、本来は三位一体の至高神が、ただひとりこの世界を統べるとも言われている。
ヴィシュヌ神の特徴はアヴァターラと呼ばれる様々な化身を持つことだろう。このシュリナート・ジー寺院は、中でも最も重要な化身クリシュナを祀っていた。クリシュナとは、紀元前千年前後、北インドのマトゥラー地方に実在したヤーダヴァ族の英雄が、やがてヴィシュヌ神と同一視されて最高神へと上り詰めたものだ。
伝説によれば、元々は生地マトゥラーに祀られていた御神体が、10世紀前後のムスリム勢力の侵略に伴ってナットドワラに疎開して来たのが、その発祥だと云う。以来現在まで、西北インドのクリシュナ寺院の中でも最も重要な聖地として、人々の信仰を集めていた(ちなみにこのアヴァターラは、ネット上で使われるユーザーの分身や、ジェームズ・キャメロンの映画「アヴァター」の語源になったものだ)。
ナットドワラは丘陵地の中腹に位置する小さな町だった。11月の末に当地に着いた私は、早速伝統レスリング、クシュティの師範である一人の男を探す事から始めた。手持ちの情報はラケッシュさんという名前と、牛乳屋という職業のみ。しかし、道行く人に片言のヒンディ語で問いかけると、トントン拍子で彼の元にたどり着く事ができた。どうやら地元でもかなり有名人だったようだ。
彼の名前を知ったのも、実はカラリパヤットと同じ「ウルルン滞在記」だった。やはり若手俳優の浦井健治さんが住み込みでクシュティの修行をするというものだったが、そのトレーニング方法や宗教思想など興味深いものがあり、ケララに行く前にどうしても立ち寄りたかったのだ。
町の人に案内されたラケッシュさんの店は、日本で言えば甘味処のような茶店だった。様々なスナック菓子と共にチャーイやホット・ミルクが味わえ、中でもジャレビーというスイーツが目玉だ。彼は牛乳の販売をする傍ら、兄弟と一緒にこの店も経営しているらしい。
私がテレビを見て日本からやってきたと言うと、彼は大喜びで歓迎してくれた。170センチと背は低いが体重は100キロを超える。さすがは元ラジャスタンのヘビー級チャンピオンだけの事はある押し出しだった。私は彼の案内で、始めて見るインド武術の世界に分け入って行った。
その後の取材で分かったのだが、クシュティ(Kushti)は北インドを中心に全土に普及している。インド亜大陸に古来より伝わる戦士の武術マラ・ユッダ(Malla Yuddha)に、中世以降ムスリム侵略王朝のもたらしたレスリングが融合して生まれたハイブリット格闘技だ。レスラー達はペルシャ語に由来するペヘルワーン(Pehlwan)と呼ばれる。
道場は通常アーカーラと呼ばれるが、正式名称はヴャヤム・シャラーと称する事も多い。稽古は道場の内部、四角く掘り込まれ川砂を敷き詰めたピットの中で、あるいは屋外で川砂を四角く盛った土俵の上で行われる。
そのほとんどはヒンドゥ教の信仰と深く結びついていて、どの道場にも必ず祠があり、主神である猿の神様ハヌマン・ジーが恭しく祭られている。
競技スタイルは基本的に西洋レスリングと良く似ていて、相手を仰向けにひっくり返し、両肩とお尻を同時に地面に付けたら勝ちとなる。技術的には相手の足を捉え自ら転がりながら投げたり柔道的な足技や関節技などもあって、スポーツ化されたレスリングよりも総合武術の原風景を保っていた。
クシュティの伝統的アリーナは地面を1メートルほど掘り下げた四角いピットだ。中には川砂が厚く敷き詰められて、この砂にはバターミルクとオイル、酸化鉄を主にしたレッド・オーカーが混ぜられ、選手の汗も加わって稽古中はしっとりとした湿り気を帯びている。
稽古が終わるとこの砂は徐々に乾燥しその過程で固まってしまう。それを常にサラサラな状態に保つために稽古の前に重い鍬でこの砂が耕されて、それが重要なトレーニングにもなっている。
稽古の前後にはハヌマンジーをはじめとした神々に敬虔な祈りが捧げられ、道場で行われる全ての行為が、神への奉納としての意味合いを持つ。弟子たちにはグルジーと呼ばれる師範に対する絶対忠誠と厳しい規律が求められ、中でも性的な禁欲を求めるブラフマチャリと言う戒律は、道場が本来的には修道の場であり、稽古が宗教的な行でもあることをよく物語っている。
稽古や試合は日本の褌とよく似たランゴールを締めて裸で行われて、全体の雰囲気は何やら日本の相撲を思わせて興味深い。けれど昨今の若者はその姿を恥ずかしがってか、トランクスなどで代用される事も多いと聞いた
ラケッシュさんの案内で訪ねたアカーラには20人ほどの練習生が所属していた。ほとんどが10代後半から20代半ばの男子で、基本的に女子は参加しないという。デリーなどの都会の道場では例外もあるようだが、インドでは一般に女性が人前で躍動する肢体をさらすのははしたない事とされ、特に伝統武術であるクシュティにおいては、女子の姿はほとんど見る事ができない。
全体に土俗の匂いに満ち満ちた舞台装置に比べ、実際の競技自体はオリンピックのレスリングとさほど違いは無く、私の興味を引くものは少なかった。一通り稽古を見渡して私が一番注目したのは、やはりその特徴的なエクササイズだった。
高い木の枝から10メートルほどの長さで吊るされたロープを、手の力だけで上り下りするラッサ。ビール瓶の胴体を長大にしたような木製の重いバットを握ってぐるぐると回すムクダル(別名ジョリー)。木や竹の棒の先に直径30cmもある丸い石やコンクリを付けた棍棒を、肩越しに背中で回すガダー。全身を曲げ伸ばすダイナミックな腕立て伏せダンダ。スクワットの元になったリズミカルなベイタック。それらは私達が日常に見知っているトレーニングとはかなり異質なものだった。
一般にアメリカ的なウエイト・トレーニングでは、バーベルやダンベルを横に握って、不安定な要素を一切排除した上で単純な上下動に専念する。文字通り機械的な動作だ。けれどもクシュティで行われる基礎体錬のほとんどはその真逆を行くのだ。
ロープ登りのラッサでは、垂直に垂れたロープを縦に握ってランダムに揺れる不安定な状態で運動が行われる。またムクダルやガダーでは、重心が不安定な形をした棍棒を、あえて不安定なままでグルグルと回し、遠心力と慣性と重力の大きな揺らぎの中でそれを乗りこなすようにして運動が行われる。
不安定な中で、いかに安定を実現するか。常に変動するバランスに対して、臨機応変に即応する反射能力。単なる筋力トレーニングだけではないこの点が、三者に共通する特徴かも知れない。
一方ダンダと棍棒回しに共通する点は、ストレッチの概念を盛り込んである、という事だろうか。アメリカ的なプッシュ・アップ(腕立て)は、大胸筋や上腕二頭筋にピンポイント的に効かせる為に、腕による単純なピストン運動をひたすら機械的に繰り返していく。
けれどもインド式腕立てのダンダは、ヨーガにおけるスリヤ・ナマスカルというエクササイズにも似て、特に背筋の曲げ伸ばしを中心としたダイナミックな動きの中に、全体の一部として腕立ての要素が含まれている。
棍棒回しの場合も、バットの重みとその回転運動によって肩の可動域が自然に広がり、筋力だけではなく柔軟性に根ざした身体操作と全体のバランスやリズムが重視されている。
一般に、現代的なトレーニングではパワー系、エアロビ系、ストレッチ系をそれぞれ目的合理的に分けてしまうが、インド式はその三者が混然一体化しているように見えた。
何かトータルな身体観、あるいは運動科学が根本的に違うのではないか。そんな第一印象を抱きつつ、私はナットドワラを後にした。それは一言で言うならば、常に全身体的な連関の中で有機的に運動する、という事だろうか。
その『異質な身体観』は、この後に経験するカラリパヤットによって、より鮮明にその姿を現すのだった。
次の投稿 ↓