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毎年恒例のフィリピンへ行ってきました。

まだ学生だった2000年に、機会あって、社会勉強として訪問したフィリピンのとある児童養護施設。当時は200人近い子どもたちがいて、子どもたちも最初こそ「Give me money!」と声をかけてきたものの、一緒に歌って踊って走り回っているうちに、別れ際には号泣せずにいられないほどに仲良くなっていました。

そうして、このままで良いのかな? もう一回会いに行ってみる? 今年も行ってみよう! と続けているうちに、ただの体験学習旅行だった訪問が、その後、24年も続く支援活動の初回となったのでした。

気づけば今年は24年目。私自身はすっかりOBOGとなって、現役メンバーを陰ながら見守るのみの立場ですが、今年もこうして現地に足を運びたくなるのです。

現地に行けば、これまで積み重ねてきたたくさんの時間の痕跡があり、長年のスタッフがいて、私たちに会うために帰省(?)してくれる卒業生の子どもたち(今や大人)がいて、毎年1才ずつ大きくなる子どもたちがいて、言葉にしきれない感慨深さがそこにはあります。

そして同時に、新しく入ったスタッフ、新しく家族になった子どもたちもいて、私たちの団体からも新しいメンバーが訪れていて、これから積み重ねていくであろう時間のはじまりも、そこにはあります。

長い間、関わっていると、無事に卒業していった子ももちろんいるけれど、今どうしているのか分からない子、亡くなってしまった子、脱走してしまった子、施設のルールを破り退園を余儀なくされた子、などなど、一緒に過ごした時間は確かにあったけれども、人生の中ではもうおそらく二度と会えないであろう子も、少なからずいます。

でも、というべきか、だからこそ、というべきか、「会えた!」ただそのことだけで胸がいっぱいになるのです。

生きて会えた。
元気に会えた。
笑顔で会えた。

たったそれだけのことで、本当に十分なんだ、と心から思う。

決して安泰ではない、厳しい経営の中、施設を運営し、子どもたちのケアをして、命を支えるだけでも十分に大変なのに、より良い教育を受けて卒業できるようサポートするために、やるべきこと、やりたいことが、とめどなく、とめどなく、出てきてしまうスタッフの想いと日々の努力に、涙が溢れるのです。

支援活動の初期の頃、施設スタッフに言われて、忘れられない言葉があります。それは、「この施設にいたときが一番幸せ、と言われるような人生を、子どもたちには送ってほしくない。」

当時の子どもたちの中には、十分な教育レベルに達せず、定職に就く見込みのないままに施設を退園せざるを得ない子もいて、そうすると、施設にいる間は、最低限の衣食住が保証されていたけれど、そのあとは、物乞い、売春、犯罪に手を染めてしまう、といったことが現実味帯びてしまう人生がそこにはあり、施設にいる頃よりよほど、辛い時間を過ごしてしまうケースがあるのだという。我が子のように愛し育てた子どもたちが、そのような辛い人生を送ることは、スタッフとしても、本当に苦しく悲しいことなのだと。

だからこそ、教育が何よりも大事。教育こそが貧困のスパイラルから抜け出す、唯一のツテ。 それはわかっているけれど、最低限の衣食住の環境を整えるだけでも大変なのに、その上で、高い教育が受けられるようサポートするのは、本当に本当に至難の業。

ノートや筆記用具も十分にない、学校の教科書でさえ1人1冊あるわけではない、集団生活だから、一人静かに集中するスペースなんてない、毎日の身の回りの洗濯や掃除も全て自分たちでやるから、勉強時間も十分に確保できない。そんな中で、いわゆる「普通に」通学している子たちと「同じ」レベルで学力を高めていくためには、本人はもちろん、それを支えるスタッフも、想像をはるかに超える、努力と強い想いが必要になってくる。

私たちは、主に学費の支援をしているけれど、そしてそれは、彼らが負のスパイラルから抜け出す上での根幹を成すとても重要な支援だと信じているけれど、私たちが彼らに与えている影響は、多分きっとそれだけではない、そんなふうに感じるのです。

疲れたな、サボっちゃおうかな、諦めちゃおうかな、どうせ頑張っても結果は出ないかも・・・そんな思いが子どもたちの頭をよぎった時、もしかしたら私たちのことを思い出して、もうちょっとだけ頑張ってみよう、もうちょっとだけチャレンジしてみよう、と思えているかもしれない。私たちの「存在」が、ささやかにではあっても、がんばる上での、チカラの一つになっていることもきっとある、そんな風に思うのです。

そしてそれは翻って、私自身にも、同じことが起きている。現地のスタッフや子どもたち、日本の仲間の存在が、自分の人生を大切に生きよう、もうちょっと頑張ってみよう、諦めないでチャレンジしてみよう、と思えるきっかけになっている。辛いことがあったり、悔しいことがあったり、困難があった時、彼らの顔が頭に浮かぶと、もうちょっとできることがあるかもしれない、と、考えるきっかけになっているのです。

そんな、ささやかで、でも同時にとてもパワフルで、一つ一つ全てを捉えたり明確に認識することはしきれないような無数の無数の「影響」たちに、あえて名前をつけるとしたら、私は「名もなき貢献」とでも呼んでみたいと思う。

例えば、私自身、フルコミットで、ほぼ毎日と言えるような頻度と濃さで、この活動を頑張っていた時期もあった。当然そのときには、〇〇リーダー、〇〇担当、〇〇係、などタイトルのついた分かりやすい役割や担当を担っていたわけで。でも一方で、ライフスタイルや仕事の変化で、ほとんど関われていない時期もあったし、今もまさにそう。

もちろん、いま、リーダーやなんらかの担当となって、コミットして活動してくれているメンバーがいるからこそ、組織は回っていて、彼らがいなければ、組織は立ち行かない。そんな彼らには心からの敬意と感謝の気持ちを感じている。

でも、と敢えて言ってしまうけれど、きっと、それだけではない、とも思う。1つ1つ挙げ出したらキリがないけれど、そこには、あらゆる形で関わったり、思いを馳せたりする人たちの、無数の「名もなき貢献」がある、と思うのです。

あの人が頑張っているから、私も頑張れる。
この人がいるから、居心地がいい。
あの子の笑顔に、救われた。
あの子のあの一言が、今も私を支えている。
きっとあの人が応援してくれていると信じられるから、がんばれる・・・

それは、タイトルの付いた、わかりやすい活躍や役割では無いかもしれないけれど、そこには確かに、誰かに、力を与え、癒し、支え、影響を与えている、何かがある。それらが、ちょっとずつちょっとずつ、相互に、網の目のように、何十にも重なり合って、私たちの団体は、24年ものあいだ繋がってこれたのではないかと思うのです。

無数の「名もなき貢献」たち。そこにいてくれる、ただそれだけで、誰かのチカラになっている。もしかしたらその別名は、わかりやすく言えば「愛」、あるいは、ただシンプルに「存在」ということなのかもしれない。

初期の頃、私の英語力の無さも相まって、スタッフが、「私の娘がね」「僕の息子がね」、とニコニコしながら「我が子」の話をする姿に、ずいぶん子沢山な人が多いんだなあ、とトンチンカンに感心していたけれど、10人前後ごとで暮らしている各ハウス(建物)のスタッフが、担当する子どもたちのことを、本当の娘や息子のように想って暮らしているためにそう呼んでいるのだ、と知った時には、心から衝撃を受けたものです。

そんな愛情の深さに、その生き方に、そのありように、私はこれまで触れたことのない世界観や人生観、感情や想い、という贈り物をもらった、と感じて、きっとそれになんとかお礼がしたくて、今も通い続けているような気もします。

意味とか、目的とか、理由とか、私が関わる背景を、言葉で説明しようとした瞬間に、少しずつ本当の気持ちとずれていってしまうような気がするから、全ては説明しきれないけれど、きっと、ただただ会いたい。

顔を見れば、それだけで涙がでる。声が聞ければ、それだけで胸がいっぱいになる。生きて、元気で、笑顔で、会えた! あなたがいてくれる、それだけで本当に嬉しい。私たちは今日も、そんなたくさんの「名もなき貢献」を贈りあって、受け取りあって、前に進めている、そんな風に思うのです。


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