父から連絡あり
滅多に来ない父親からのメールが、今日来た。
大変珍しいので、歳が歳だし、そうなのか、と思い。
連絡が来ないのは、自分が着信拒否をしているからである。
メールは拒否していない。メール自体来たのは数年振り。
内容は、自分はもう80になる。足を骨折して半年経つ。体も弱って来た。
最近、今年を越せるか、という思いがたまによぎる。
お前がなぜ連絡を拒否するのか、未だに分からない。
教えてくれないか。
父親と連絡を取らなくなってかなり経つ。
ほとんど思い出せないが、おそらく20年はそうした状態である。
両親とはあまり連絡を取らない。詳しくは、連絡は来るが、自分が返事しない。母親とはたまにやり取りする。
なぜ拒否(無視)するのか。理由はかなり根が深く、幼少まで遡る。
少し道を間違って、年が経つほどに大きく本筋から逸れていった、が理由になる。
兄弟からの僻み、抑圧。父親の母への怒鳴り。厭世的な中学期、 希死念慮に苛まれる高校期、思考を止めた大学期。
しかし周りからは分からなかったと思う。特に大学は反動で一気に逆に振ったせいか(そう努力したので)、かなり楽しそうな写真がたくさん残っている(実際楽しかった)
自分が辛い時に、親は分かると思っていた。分かるべきと思っていた。だが何もしなかった。
誰も頼れないと思った。自分で何とかするしかない。社会に出てから、そういった意味で連絡は取らなくなった。なのに、自分が心配になったから連絡して来るとは何事か。今まで何もしなかったではないか。
確かに正月など、たまには家に帰る事もある。
時々「会ってもいいか」「そこまで意地を張るのも人間的にどうか」と思い、会うが、その時は別の自分が対応する。
根の自分は全く許していないが、表面の自分がたまに親に会うので、相手はなぜベースの私がこんなに長期に拒否しているかが分からない。
丁度10年前、この拒否は決定的となった。随分久しぶりに、両親と連絡を取り、彼らは私の家を訪ねた。
当時私が飼っていた愛犬を、父親が散歩に連れて行った。
そして事故が起きた。
愛犬の頭を車が轢いた。私は家にいて、携帯が鳴るので出ると、父が「こっちに来てくれ」と言う。
行くと轢いた運転手と、父が愛犬を見下ろしながら「あー…」とか何とか言っている。
私は怒鳴っていた。何してんねん!早く医者呼べ!はよ!!
動物病院や!何してんねん!!
全く動かない2人に、そっちの方に驚きながら、私は携帯で病院を探し、電話した。その運転手の車に全員乗せて、病院まで電話を繋ぎながら走らせた。愛犬を車に乗せる時に体を持ち上げたが、頭がぐにゃりとへこんだ。頭が割れていた。
病院に着いて中に駆け込む。医者が診察台に愛犬を横たえる。が、もう診るまでもないといった表情で、もう駄目です、と言った。医者は私に、どうしますか?手術しますか?間違いなく無理だと思いますが。
私はしばらく黙った後で、逝かせてあげてください。と言った。
医者は聞こえなかったようで、え?!何ですか?と聞いてくる。他にも急患がいるのでせわしない様子だった。私は再度同じ事を言った。
待合室で私はずっと泣いていた。轢いた運転手はどうしたらいいか分からない様子だった。父は黙っていた。
彼の車で家に帰り、父は運転手と何やら話して、帰していた。
家で私はずっと愛犬の遺体を、跪いて見下げながら、名前を呼んでいた。
何やら両親は私に声を掛けていたが、その言葉に私は気性を荒げ、帰れよ!どうするんだ、死んだぞ!と叫んだ。両親は無言で出ていった。
数日間まともに仕事ができなかった。翌日から予定していた彼女との台湾旅行も、とても行ける状態じゃないと言ってキャンセルした。
事故だから仕方がない、という話ではない。原因は曲がり角で急に車が来たからというのはあるが、父も犬にリードを付けていなかったからだ。
確かに私はリードを付けないで散歩する事がよくあった。しかしそれは慣れているからだ。父はそれを真似したと言った。事故直後にそう言った。
事故の直後に、お前の真似をしたからと言った。
許せないのはそれだけではない。もし人間が轢かれたら、何が何でも助けようとするだろう。救急車はすぐに呼ぶだろう。
父は仕事ができる人で、手際がいい人間である。兄が生まれた時はすでに死にかけていて、手術できる病院を、車をぶっ飛ばして数件探し彼を救った。阪神大震災の時は、母親にタンスが倒れて来た所をぎりぎりで引っ張って助け、発生から数秒で家族を全員家の外に連れ出した。
その彼が、私の犬が轢かれてすぐ諦めたのが、本当に許せなかった。私にとっては家族でも、彼にとっては人間以下だったのだろう。
少し頭が冷静になって来た頃、私は父にメールを送った。
慰謝料200万払って下さい。決して値切ろうとしないで下さい。
その内半分は運転手に払わせて下さい。
別に私は金に困っていなかった。単純に、最も彼に打撃を与えるのは金だと思った。謝罪のメールは来たが、彼は結局払わなかった。
父は営業職で、相手と駆け引きするのが好きだった。この時も、払わずにうまくかわせると考えていたのだと思うと、本当に彼を記憶から消したいと思った。
少ししてから、私は家のドアロックの暗証番号を変えた。両親は番号を知っており、家に入れる状態だったが、もう会いたくないので変えた。4桁で0911、命日に。この日を覚えているなら開けられるはずだ、と恨みながら設定した。後日母親からメールが来た。番号変えたのね、怒りが伝わってくる。ごめんね。
私は父の携帯を着信拒否に設定した。
それから色んなイベントがあった。結婚、引越し、転職、離婚。
時々表面の自分が両親と会う事はあった。根は変わらずに。
自分の根は一生相手は分からないだろう。
なにせその彼から来た冒頭のメールには、なぜだか分からない、と書いているのだ。
すぐに返事はしない。するかを含めて後日決める。
保留とする。