年齢を尋ねる習慣を脱却すると人間関係はドンドンよくなる
コロナによる既存の固定観念や窮屈な価値観が変化していく中で、
日本人がよくする質問である
「あなた何歳ですか?」という習慣が実は、
相手と自分の価値共創の可能性を狭めていることをお伝えします。
その習慣をアンラーン(学習棄却)していきながら、視座を高めていくことで、自分の心に素直な生活習慣が生まれていくことをお話したいと思います。
【目次】
1)日本人が『年齢』という外的評価が好きな背景
2)年齢を尋ねると何が起こるか?
3)対等な関係性が相互理解を生み出す
4)年齢を執拗に気に掛ける人の特徴
5)年齢以外にも様々な比較のイメージ画像が自分を苦しめる?
1)日本人が『年齢』という外的評価が好きな背景
そもそも、私たちはなぜ年齢をよく尋ねるのでしょうか。
欧米の人が日本人によく疑問に思う内容です。
欧米だと、結婚とか公的な手続きの場合位しか、年齢を話題に出さないと
よく言われることからも、日本の年齢に対してのこだわりは大変強いものなのです。
これは様々な理由が考えられますが、一つは戦後における評価主義が大きく関係していると小生は考えます。
第二次世界大戦以降、日本を復興させようと多くの企業が業績を伸ばし、日本の経済を急成長させました。
焼け野原の日本が急成長する姿に、当時のアメリカは驚愕すると共に危機感を覚えたという逸話があります。
日本人は逆境に強い、集団で物事を押し進める結束力があるという特性があり、戦後の昭和時代は、大学と企業との連携が大変強く結びついたものでした。
同じ出身校で企業を支えられれば、企業の大切にしている技術やマインドをいち早く生産性につなげることができるため、企業と大学との関係が深まっていたのが、この時代。官僚なら国立、民間企業なら私立などと言われていたのも、その由縁になります。
そのため、大学内の先輩・後輩、会社内での上司・部下の関係性もヒエラルキー(階級構造)として、上下関係の中で下のものを育て上げる、終身雇用・定年まで昇進という形で目標を示しながら、外的要因のモチベーションを生み出し続けるという考えが生まれました。
年齢による上下関係が、組織の中での存在承認に繋がるということを学習してしまっているのです。その名残で、日本人は年齢を尋ねることが習慣化されているという小生の見解です。
昔の映画でいうと、「男はつらいよ」の寅さんがどこにも属せずに自由きままな人生を謳歌したのは、当時の社会の生産性ばかりを追い求めた労働環境に対してのアンチテーゼなのだと考えます。
2)年齢を尋ねると何が起こるか?
ですが、時代は平成から令和へと移り変わり、価値観や多様性も広がっていき、無論終身雇用の考えも急速に薄れていきました。
昭和時代の経済を下支えしていたヒエラルキーによる押しつけ、圧力のライフスタイルでは、人生の幸せが掴みづらくなってしまっているのです。
年齢はレベルではなくて、一つのラベル(ラベリング)なのです。
そればかりに執着をしてしまうと、相手に対して、年齢の上下だけで物事を捉えてしまったり、意識をせずとも相手に横柄な態度や圧力的な言葉をかけてしまいがちになるのです。
年齢が低いと言われてしまう方も、そのことを平然と取り払える人間性や経験があれば問題はないのですが、
「年齢が低いから自分は何も知らない」「まだまだ未熟ものなんだ」
と卑下をしてしまうことで、自分に対して勇気を挫いてしまい、
劣等コンプレックスを抱き、自尊心を損なってしまう可能性があるのです。
その反面、年齢の上下関係はあるケースでは良いこともあったりするのです。
それは年齢が親子くらいに離れている関係において生まれます。
20代なら50代、30代なら60代、40代なら70代という形で
親子世代の関係において、年齢が双方における親・子の相互関係に結びつく時に、上から下には、相手を支えたい、応援したい、下から上には、安心できる、頼りになる、のような良い関係性が生まれることもあるのです。
これは、日本人特有の面倒を見てあげる、指導を仰ぐという師弟関係に類似することができると思います。
ただ、これもあまりに過度になると過干渉になり、これだけ愛情を欠けた若者がなんで自分の言うことを効かないんだとフラストレーションを生み出す要因にもなりうるのでその点留意されることが大切だと思います。
3)対等な関係性が相互理解を生み出す
逆に年齢を意識しないとどうなるか。
そこには同じ目線で相手を理解し、相手の価値観や信念に関心を持ちながら、相互で対等に思考や感情をキャッチボールしていける相互信頼の姿勢が生まれていきます。
年を重ねることは人生における経験や知識をたくさん積み重ねていきますが、反面新しいことを素直に学ぶ、習得するという姿勢は経験が邪魔して衰えていくもの傾向が強くあるのだと思います。
年齢の若い人は、年配者にはない自由な発想力や吸収力、アウトプット力を持ち合わせているのです。
これは決して、年配者を蔑ろにするという考えではありません。
人生経験が豊富な方々の存在は大変貴重なものでありますし、そこから得られる知識や知恵や、自分たちの生活や仕事を豊かに切り開くきっかけに繋がります。
ですので、年配者を敬いながらも、年齢の概念をできるだけ平たくしていくことで、相互に持ち合わせているものをお互いに協和させていくことができ、そのことで、双方がより成長しあえるのです。
だから、年齢を尋ねてくる方の中でも、このようなフラットな視座をお持ちの方だなと感じられた方は、小生は大切にやりとりさせていただくようにしています。
反面、執拗に年齢を尋ねてきたり、そのことで癇癪を起こす方も少なからずおります。そのような方とは、なるべくお付き合いを避けるように心がけているのです。
4)年齢を執拗に気に掛ける人の特徴
以上のように年齢は日本人の社会背景や歴史から来る特徴なので、
致し方ないと考えていますが、小生は大変避けたい考え方なので、
会議や居酒屋で年齢を尋ねられても「ご想像にお任せいたします」と回答するようにしています。
それで良好な関係になればいいのですが、
時々、癇癪や激怒する人が少なからずいらっしゃるのですね。
どうしてそこまで相手の年齢に執着するのだろうと、その方々の傾向を自分なりに分析してみると、
やはり先ほどの小生の解釈にある通り、昭和の時代、年功序列でずっと頑張ってきて、自分のアイデンティティを失いかけ、外的な承認欲求で価値観が埋められている人に多い傾向があるようです。
・代々事業を承継して二代目、三代目などの経営者
・資産をたくさんお持ちで大企業や官僚系で組織の中にがんじがらめになっている人
・学術的な機関の中で、上下関係ばかりに固執してしまっている人
きっと、その方々も自分の価値観が外的な要因や組織による軋轢にて狭まってしまっていることにどこかしら苦しんでいるのだと思います。
その現れが、年齢で人を差別したり、相手に優位になれる条件を探そうとして、年齢を持ち出す傾向があるのだと思います。
この方々の特徴は、優越コンプレックスです。
自分は相手には能力でかなわないから、年齢という数値で相手に権威を示そう、大きく見せよう、とすることが過度になりすぎて、内面にある人間性や自己アイデンティティを失ってしまっているのです。
その方々が少しずつ、自分らしく他者と接することができるようになると、
仕事や私生活での人との関わりも、より肩の力を抜いて、柔軟性や想像性を広げた生き方をデザインしていけるものと考えるのです。
5)年齢以外にも様々な比較のイメージ画像が自分を苦しめる?
人生100年時代到来において、セカンドライフ、余生を過ごすという考えは急速に薄れていくことと考えます。
その中で、既存の枠に締め付けられた思考や習慣は、自分の生き様の選択肢を狭め、自己効力感を弱めてしまうのだと思うのです。
世代を超えてみんなが明るい社会を共創していく上で、お互いが外的な評価に囚われず、フラットに相手を理解・共感していく姿勢こそが、
次世代に向けた日本のありかたを受け継いでいく環境を生み出すのだと思います。
ですから、
・社名
・出身校
・経歴や肩書き
・親の仕事や先祖の身分
を前面に出して承認欲求を求めるのではなく、先ほどお伝えした通り、一つのラベルとお捉えになっていただき、それらを元にして、連想ゲームやレゴブロックのように積み重ねていくストーリーを協働して楽しんでいくことで、自分と他者で育まれる関係性という価値が、豊かな想像性を元に、創造されていくのだと考えています。