TOPSのケーキとだし巻き卵〜後編〜
尖っていた時代もいつかは醸し、まろやかになる。これから残されていく私たちが今できること。親孝行なんてものは、出来ないのだ。
前編はこちら
親子のだし巻き卵
意を決して、2nd父の息子の店に行き、
だし巻き卵を持ち帰った。
寝ていることも多くなり、私が実家に戻ったのは21時になろうとしていた。
私が来るのを起きて待っていたようだ。
その日の夕方に今日、行ってくるから
とだけ母に連絡をしていた。
父の部屋に行き、いろいろ話した。
「行ってきたよ元気そうだったし、お料理もお店の雰囲気も良くて、とても立派だった。手際も良くて、いい職人になってるよ。何より美味しかった」
いや、本当は美味しかったかどうかはよくわからない、子ども頃に会って以来の再開で緊張と使命感のようなもので、味なんてわからなかった。
「それはよかった、実は何年か前に電話があったんだ。その時になんだか、会うことに躊躇してしまって。
そのまま、連絡が途絶えてしまて、、、、
ずっと心残りだったけど、扉を開けてくれたね。チャンスを貰えそうかな。」
父は嬉しそうに話した。
「うん、会えるよ。」
具体的にいつ会うという約束までは取り付けられなかったけれど、帰り際に彼が言った、いつでも、誰でも連れてきてという言葉に期待した。
「近いうちに行こうよ。連れて行くから。」
と言いながら、持ち帰っただし巻き卵を差し出した。
これ、作ってもらったからさ
「ありがとう、少し口に運んだ、あとはゆっくり美味しく食べる時に味わうよ」と言って箸を置いた。
抗がん剤の副反応で、味がよくわからないのだ。
2nd父も調理師をしていた、食べることも好きだったし、美味しいものもよく知っていた。前編にも書いたが、学生時代を東京で過ごしていたのもあり味付けもなんとなくスタイリッシュな気がした。
食を担っていた人にとって、味覚が鈍化する事は、どれほど辛いことだろうかと思う。
もっと、早くに行って、わだかまりを解いておけばよかったなと思っても後の祭りで、まだ生きているうちに活路を開いただけでも褒めてもらいたい。
そうでないと、後悔ばかりが募ってやってらんない。
こんなことが親孝行になるとは思わないし、もしかしたら父にとってもその息子にとっても迷惑なことなのかもしれない。
だけど、私がこの二人を会わせておかないと後々後悔すると思っていた。
それは、母も同じ気持ちだった。
会いたいけれど会えない思い
出来るだけ早いうちに会わせたい私は、焦っていた。
翌週は出張が立て込んで、その後も何かと予定が詰まっている。この日に行こうと計画を立て、2週間後の週末にお店に行く日を決めた。
しかし、数日前に母から電話があり。
「お父さん、行きたくないって言ってる」
と怪訝そうに言う。
「え??なんで?行きたいって言ってたでしょ」
私は、なんで急にそんなことを言い出すのかわからなかった。父は、息子に会わずにいたことが心残りだったと思っていたから。
「お母さんはどうしたいの?」と尋ねると
行って欲しいと言う。母によれば、弱っている姿を見せたくない。自分の勝手で息子とは、会わない選択をしたのだからと言っていると。。。
それはもう、本人がどうという問題ではない、父のことはどうでもいいとは言わないまでも、私にとっては残されていく母が後悔なく生きていくために最善の方法をとっていきたいのだ。
悪いがお母さんのために行ってもらうよ。
と強い使命感のようなものが湧いてきた。
残された母は、私に気を遣って実の息子と会えないままになった。と思いながら生きて欲しくない。そして、息子も会ってよければよかったという後悔をして欲しくない。
いいようのないミッションが私に課せられていた。
母が涙ながらに自分のために行って欲しいと説得し、嫌々だったかどうかはわからないけれど、父は自分の意思で行く事にしたようだ。
当日は元気だった時と同じ、NEW ERAのキャップにPATRICK EWINGのスニーカーを履いておしゃれをして待っていた。
父は60代とは思えない。ファッションにもこだわりがある。
行く気満々やん、、笑
拍子抜けした。
本物親子とニセもの親子の間
一緒にお店に行った。
あれ、扉が開かない、、、
今度は間違えてない。
引き戸を引いてみた。
鍵がかかってる。
あれ??
休みか??
なんだか、拒絶されるのを恐れて私は予約をしていなかった。
えぇ、どうしよう。早すぎたのかな??
父と店の前でごちゃごちゃ言い、
少し待ってからまた来る事にした。
もし、今日休みだったらさ、うちでご飯食べていけばいいよ。
お母さんにカツ丼でも作ってもらったらいい。
と父は言う。
なんでカツ丼??
あのね、もう私40代も後半で高校生じゃないんだからそんなに食べれないよ。
と言う。父とは、確か私が高校1年の途中から一緒に住むようになり、私は高校卒業と同時に家を出てしまったので実質3年くらいしか一緒に住んでいない。父にとっては私は高校生の時のままなのだろう。
「私、おばさんになったんだよ」と言い笑う。
その後、再びお店に向かった。
今度はやっていた。
少し遅れての開店だったようだ。
「入れますか?二人」と言うと
私の顔を見てその後ろに立つ父を見た。
「あっ、あれ?そういうこと??」
動揺しているように見えた。30数年振りの再会で彼もどう対応していいかわからなかったのだろう。ごめん!予約したら断られるのが怖かったんだ。言葉にしなかったけど汲み取ってくれ。
「厚かましいと思ったんだけど、ごめんな。元気にしてたか」
と本物親子の会話が始まった。
気まずい、、、気まずすぎる。。
気まずいのは私だけでなく、バイトに入っていた女の子も相当気まずかっただろう。
注文は??
「お父さん何飲む?」私が尋ねると
「あったかいお茶」
あ、そう。。。
父はお酒をよく飲む人だった。風邪を引いても365日飲んでいた。
病気になってからは、制限されたとか我慢していると言うわけでもなく飲みたくなくなったそうだ。温かいお茶を頼むあたりが、病人っぽさがあり、元気だった頃のギャップでグッと来た。
それでも私は、飲むけどね。飲まなきゃやってらんないよ。
「じゃあ私はビールで、お二人も何か飲んでください」と父の息子と気まずさで耐えきれないであろうバイトの女の子にも勧めた。
本当にこんなことに巻き込んでごめんよ。と言う気持ちも込めて、4人で乾杯した。
息子は烏龍茶だった。あ、父と飲み物を合わせてくれたのかなと思って遠慮しないでお酒飲んでくださいね。と言ったら
「こんな仕事をしているけど、僕お酒飲めないんです」
えーー嘘でしょ。
そういうのは遺伝しないんだ。。。。
と気の効いたことも言えない私はしょうもない話題しか出てこない。
飲む、食べるに徹するしかないけれど、あまり手の込んだ料理を頼んでしまうと厨房の広さとオペレーションを考え、仕込みがしてあってすぐに出てくる料理を頼むのがいいと察した。
仕事柄、メニューを見れば大体わかる。
自分が出来なかったことをしていて、立派だ
本当にすごい。頑張ってる。
と父は何度も言っていた。
終始彼は、父に対して敬語で話し、言葉選びにも距離を感じた。長い年月をかけたわだかまりは簡単には消えない。
なかなか会話も続かず、沈黙が続くことが何度もあった。
息子から、
今度再婚をするんだけど。
4歳年上で3人の女の子がいる人と結婚すると話してくれた。
それは、まさしく父と母と同じなのだ
母は4歳上で3人の連れ子、子どもたちはすでに手が離れるような年齢であるのも同じ。
「母に本当にそっくりだねと言われた」と笑う。
「僕もそうやって、娘たちと一緒に飲みに行ったりしたいし、こう言う関係になれたらいいなと思ってます」と言った。。
ビールは飲み干した私は、顔を上げられなかった。
「なれるよ」
と父は力強く言った。
父の体調もあり、あまり長い時間はいられない。なんとなく空気を読み、タクシーを呼ぶために、父を一人残し店を出た。
私のいない間に何を話したかはわからない。
ほんの短い間ではあったけれど、本物親子との時間が作ることが出来たと思う。
母も私も長年気にしていた、心の片隅にあったモヤモヤが晴れていた。
私の独りよがりの満足かもしれないし、大きなお世話だったかもしれない。1st父の時に出来なかったこと、亡くなってから悔やんでも遅いことを充分にわかっている。
1st父は一部だけを切り取れば、略奪された側で2nd父を恨んでいるかもしれない。だけど、もういない人のことだ。
今生きている人、残されていく人が生きていくためにも
わがままを通させてもらおうじゃないか
数日後、父は入院した。
無理させたかな。
でも、悪いが私は後悔してないよ。
親孝行に見せかけて、親不孝でごめん。
まだ、私の終活プロジェクトは続くから付き合ってもらいますからね。
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