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[コラム] ラーム氏の語る、ばいやんの強さとは

サッカー・ドイツ代表の名誉キャプテンであり、かつてドイツ代表やばいやんで活躍したラーム氏が LinkedIn に寄稿した記事を紹介します。

—— 以下翻訳 (記事全文)

ばいやんがチャンピオンズリーグのタイトルを獲得した、熱狂的なあの夜。息子と共に、テレビの前で私は大変歓喜していた。この異様なシーズンの中、トレブル達成という形で幕を閉じたことに対し、私はこの上ない喜びを感じている。

みんなおめでとう!見事な戦いぶりだった。

あれから14日間が経った今、あの時に起こった出来事を振り返りたいと思う。

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これまで私は、何故ばいやんがここまで圧倒的な強さを誇るのか、そして、どのような決断がその礎となったのかを熟考してきた。その主たる要因を簡潔に言えば、ハンジ・フリック監督が、僅かな変更とともに、このチーム内に効果的なヒエラルキーを築いたという点に尽きるだろう。この考え方は、導入当初からその効力を発揮し、試合を重ねる毎により強固なものとなっていった。

では、ヒエラルキーを築くとは、一体どういうことだろうか。フリック監督は、信頼のおける実力者たちをチームの軸に据えた。その筆頭がGKマヌエル・ノイアーだ。彼の前にはジェローム・ボアテングと、その横に、長年ばいやんを支え続け自信に溢れるダヴィド・アラバ。前線では、トーマス・ミュラー。トップには、過去最高のパフォーマンスで得点を量産するロベルト・レバンドフスキが軒を連ねる。

こうした軸となる選手たちが、試合に決定的な影響を与え、チームを形づくり、主導的な役割を果たす。そして、更にそれを支えるのが、次世代のばいやんを担う、若く野心的な選手たち、ヨシュア・キミッヒとレオン・ゴレツカだ。この2人はモチベーションや野心に溢れ、前途有望な選手だと言える。

加えて、個人技で大仕事をやってのける、才能豊かなサイドの選手たちもいた。バルセロナ戦で見事な単独突破を見せたアルフォンソ・デイヴィスや、リヨン戦で重要なゴールを決めたセルジュ・ニャブリは、記憶に新しいところだろう。

これら選手たちには皆、適正なポジションや、果たすべき役割がある。それをフリック監督はしっかりと認識したうえで起用していた。

更なる要因として、ばいやんはかつてないほど、優れた交代選手たちに恵まれていたことが挙げられる。忘れてはならないのが、ばいやんはクラブ史上最高レベルの投資を行い、リュカ・エルナンデスやコランタン・トリッソ、ハビ・マルティネスを獲得してきたことだ。彼らは、ばいやんのこの圧倒的な強さに大きく貢献した。必要な時に起用できるからというだけではない。彼らは、スタメン争いにおける、トレーニングでの競争レベルを極めて高くまで押し上げることに繋がるからだ。そして選手たちは集中する。つまり、スタメンを勝ち取る選手というのは国際レベルで戦うのに必要な力があることが証明されるのだ。

ハンジ・フリック監督はこれを熟知し、完璧に遂行するとともに、所属する選手たち全員と心の通ったコミュニケーションを取った。それも、とりわけ、重要な試合で出番のない選手たちに対しては尚更だった。彼のこうしたチームへの姿勢は称賛に値する。これはまさに、経験と知恵の成せる業だ。ハンジは、ばいやんでの仕事術をきっちりとわきまえている。


ばいやんは欧州でも異質なクラブと言える。クラブ首脳陣は、40年間にも渡るスポーツの専門知識を持つ。それも、年々蓄積され、そしてアップデートされ続ける知識だ。加えて、経営面での競争力や、その時々の情勢を見極めうまく立ち回る術を心得ている。ドイツでは、何十年にも渡り、ばいやんがあらゆる基準であり続けてきた。たとえ低迷し、他のチームに栄光を明け渡すシーズンがあったとしてもだ。

ばいやんが8季連続でドイツ王者となったことは、これ自体が偉業であるだけでなく、世界のサッカーシーンに影響を及ぼす変革であるとも言える。他のどのドイツのクラブとも一線を画し、ばいやんは、このデジタル化やグローバルネットワークの進む現代において、世界的なスポーツブランドとしての地位を確立した。これほどまでに世界的なブランドとしての地位を持ったクラブは少ない。スペインではレアル・マドリードとバルセロナ。プレミアリーグでは4つ、もしくは5つのクラブ。イタリアやフランスはそれぞれの主要都市クラブ、ユベントスとパリ・サンジェルマンといったところだろう。

国際舞台での栄光の裏には、10年もしくは20年前には想像し得なかった程までに、増加の一途を辿るばいやんの予算がある。サッカー界に突如、デジタル化の波が押し寄せることとなった。そして、ビッグクラブがその分け前を手にする現状がある。まさに、GoogleやAmazon、Facebook、Appleが、それぞれの業界で事実上の支配をしているのと同様に、サッカー界における世界的なブランドは、彼らがその座を支配している。例えば、フライブルクやアウグスブルクといったクラブの予算と、ばいやんの予算とを比較すれば、意味するところは一目瞭然だろう。そして、その差は年々拡大している。クラブによって、その規模がさほど変わらないところもあれば、その一方で、急激な成長を遂げ続けるところある。ばいやんは、まさにこの時代の勝者だ。そして、そこで得た利益を賢く運用する。今後数年に渡り、ばいやんの圧倒的な強さに陰りは見えないだろう。


さて、これから、決勝で顔合わせした両チームを比較してみたいと思う。ともにリーグ覇者であり、このデジタル化における成功者であるという点で共通している。ただ、両者には異なる点もある。それは、クラブ経営が伝統に根差したものか、それとも、オーナーを持つ商業主義的なものか、という違いだけではない。

ばいやんは、その歴史を紐解いても、これまでドイツらしさの象徴であり続け、そして今でも、その魅力を表す存在だ。各時代をときめく自国のベストプレーヤーたちが集うクラブである。選手、そしてファンにおいても、ドイツのアイデンティティを形成していると言えるだろう。

一方のパリ・サンジェルマンは、また別の特徴を持つクラブだ。チームのアイデンティティは、所属するスター選手たちによって形成される。クラブのファンが求めるのは、自国というよりむしろ世界的な選手だ。例えるなら、ハリウッド映画や世界的なポップスターを志向するそれと同じとも言える。そして、クラブオーナーは、積極的な投資戦略の下、徹底して利益を追求する。それも、イングランドやイタリアのクラブオーナーたちと同じように。

PSGのような世界的なクラブを指揮するのがいかに大変なことかは、容易に想像できる。クラブオーナーたちはスター選手をピッチで観たいと考えている。彼らは、監督よりも選手たちが試合により大きな影響をもたらすと信じているのだ。そしてその選手たちも、自身の置かれた立場や、輝きというのを自負している。

私利私欲は、チームの利害に悪影響を及ぼすことになるだろう。監督として疑いの余地のない、マドリードのジネディーヌ・ジダンのような人物でさえ、監督は、槍玉に上げられるのか、それとも、妥当な選択の代わりにオーナーやスター選手に忖度した選手起用をするかを迫られる。これが、どれほど難易度の高いことかは、こうしたトップクラブを指揮する実力を持つ監督が、ごく限られていることからも窺える。そして当然、このことは、彼らを消耗させることに繋がる。

一般的に、トッププレーヤーを指揮する仕事の難しさは、徐々に増している。監督を請け負えば、たちまちその結果だけで彼らの技量は測られる。監督自身の思想を基にチームを醸成させる時間的な猶予を与えられることなど殆どない。リバプールのユルゲン・クロップ監督は極めて例外だと言える。例えば、レアル・マドリードやマンチェスター・ユナイテッド、更にはPSGの監督が、チームをまとめ上げ、新たなチームスタイルを確立するのに、それほど長い猶予を与えられるとは考え難い。監督は成果を残すか、さもなくば交代だ。


PSGが決勝の舞台へと駒を進め、ばいやんと顔合わせしたという結果は、リスボンでの新たな大会方式の賜物であると言っても過言ではない。ワールドカップや欧州選手権の決勝トーナメントと類似した今回の大会方式は、必要性から生まれ、この異例な状況下で開催するにあたり、大変プロフェッショナルな方法だということを示した。UEFAは、新型コロナウイルスの感染者数が比較的少ない国、そして、優れたスタジアムを3つも構える都市リスボンを開催地として選択するに至った。

サッカーがこのパンデミックの真っ只中で再開されたことに対し、批判的な質問を浴びせる人々がいるのは私も把握している。しかし、少なくとも私は、少人数であっても人が集い、こうしてまたサッカーを観ることができたというのは、素晴らしいことだと思っている。今回は無観客試合という形であったが、今後また観客は戻ってくるだろう。

多くの人々が、一発勝負ですぐに勝敗の決する昨季の大会方式に魅力を感じている。だが私は、従来の大会方式のほうが、より参加チームの実力を反映していると考えている。

昨季の大会方式は、その瞬間の強さを反映する。大会の特徴というのは常に変化するものだ。昨シーズンのハイライトは、世界最高のクラブが激突し、それも1週間ですぐに結果が出るものだった。

私が思うに、シーズンで幾度か訪れる負担の大きい時期に打ち勝てば、そのチームの強さが証明されることになる。国内のリーグ戦とカップ戦、それに国際的なカップ戦の重なる時期だ。この観点から考えれば、従来のチャンピオンズリーグの大会方式は、チームの質をより濃く反映していると言える。また、私は、シーズンのハイライトが年間を通して分散し、1週間に集中するといったことがないのは、良いことだと考えている。

しかし当然、リスボンでは、ピッチ上の一瞬一瞬はより激しいものとなった。パリ・サンジェルマンは、準々決勝アタランタ・ベルガモ戦でよもや敗退の危機に陥ったが、大逆転劇で一転、選手たちは、リスボンでのこの偉大なタイトル獲得への望みが現実味を帯びることとなった。この大会方式の中で、彼らは、チーム一丸となったのだ。そして、その勢いは加速し、遂には目標へあと僅かのところまで辿り着いた。


ばいやんのチャンピオンズリーグ制覇は、彼らの時代の幕開けとなるのだろうか。

国内で言えば、更なるタイトル獲得は十分あり得るだろう。国際タイトルは、依然、6つか7つのクラブに獲得可能性があるように思う。今後数年に渡り、欧州のサッカーシーンを席巻するような飛び抜けたチームがあるとは思えない。

むしろ、かつて旋風を巻き起こしたレアル・マドリードやバルセロナのようなチームでさえ、今やチームの改革を強いられている。レアルの主力選手たちは年齢を重ね、バルセロナの志向したティキ・タカはもはや昔の話だ。ティキ・タカのスタイルは、傑出した選手であるシャビやイニエスタがクラブを去って以降、うまく機能していない。これはまた、リオネル・メッシが、複雑なバルサの型にフィットし、かつてキャリア最高の輝きを見せていた頃の活躍を、もはや見せられていない理由であるとも言える。彼がもし別のチームへ加入したとしても、当時の輝きを再び取り戻せるとは思えない。

そして勿論、ばいやんがこのタイトルを争うクラブの一角であることに、疑いの余地はない。


リスボンで残念だったのが、観客の不在だ。本来、ファンとともにスポーツを盛り上げる、歓喜や熱狂に欠けていた。そして、スタジアム内に湧き上がる感情や、物事の現実味にも欠いていた。スタジアムの中で味わえるものは、試合の一員だという気持ちや、一体感、それに感情の共有だ。そして、選手たちを生で観戦することや、彼らの現実をその目で確かめること、彼らの肉体、直感、そして人間味というのは、画面上では本物に酷似したビジュアルを持つFIFAの選手たちのそれとは、また違う。

想像してみてほしい。リスボンで、8チームのファンたちが集まり、入り混じり、一堂に会して思いを共有すれば、いったい、どれほどの祭典となっていただろうかを。スポーツの祭典、国境なき祭典、そして私たちの誰もが参加したいと思うような、ヨーロッパの祭典となっていたことだろう。祝福や熱狂、歓喜が渦巻いていたはずだ。新たなトレブルのキャプテンであるマヌエル・ノイアーが、リスボンの空へと向かってビッグイヤーを高々と掲げた、あの瞬間に。

▼元記事
(ドイツ語) https://de.linkedin.com/pulse/die-dominanz-des-fc-bayern-und-ihre-gr%C3%BCnde-philipp-lahm
(英語) https://www.linkedin.com/pulse/dominance-fc-bayern-explained-philipp-lahm


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