『都合のいい女』とは
私は自他共に認める『都合のいい女』である。
厳密にいうと、都合のいい女「だった」かもしれないし、私の現在の尽くしっぷりから言えば今も都合のいい女かもしれない。
私はかつてこの『都合のいい女』に誇りを持ち、どクズちんぽマンに尽くしまくっていた過去がある。
私の人生の中でのどクズちんぽマンと言えば、過去記事の『しゃぶらせ屋さん』のことを差すのだが、その記事にも書き綴った通り私は5年程の時間をこの男に費やした。
初めの2年程に至っては、目も当てられないほどの仕上がりをした都合のいい女で、前述の通り、都合がいいことに誇りを持って生きていたくらいだった。
その頃の私のモットーはと言えば
「都合は悪いより良い方がいいよね」
である。
「好きな人に尽くすことこそ私の正義!彼の欲は私が満たす!都合のいい女サイコー!」
このような具合の、アッパー系女だった。
彼に会うとなれば彼の好きな差し入れを用意し、頼まれてもいないのに先回りして彼の居心地のいい環境づくりに努めた。
結果としてはその先回り思考が役立つことはなく、ただただちんぽを舐め回すだけの性のパシリに成り下がってしまったわけだが。
今でこそ「尽くす」ことをもったいぶるようになった私だが、ここに至るようになるまでには相当な時間を要したと振り返って気付く。
まずそもそも「尽くす」ことのなにがダメだったのか。
私は「尽くす=女としての能力が高い」と思い込み、ありとあらゆる努力を惜しまずに来た。
いつでも披露できるように料理を頑張ってみたり、お酒の席ではグラスが空きそうな瞬間を見逃さないようにしてみたり、そこにちんぽが差し出されれば合点承知とばかりに口に含んでみたり。
もちろんananのセックス特集は欠かさずに読んでいた。
そのおかげもあってか「いい奥さんになりそうだよね」との評価をいただくこともあった。
誰も奥さんにはしてくれなかったが。
この「尽くす=女としての能力が高い」は、あながち間違いではないと今でも思っている。
がしかし、実際には「尽くす=都合のいい女としての能力が高い」だったのだ。
人は当たり前にあるものへの有難みを失ってしまいやすい。
それは私も然り、誰にだって起こりうることだと思う。
そして、ことクズちんぽマンを始めとする世の中の頭からちんぽが生えたような、下半身中心で生きているような男性方においては、尽くす女こそ当たり前になりやすい存在なのである。
最初こそ「ありがとう」という言葉を使えど、それは次第に「もっと先っぽ辺りよろしく」という言葉に変換されていくのだ。
そうなってしまうと女性側は
「もっと尽くせばもっと感動してもらえて私を褒めてくれるかもしれない」
「尽くすことが足りないから満足出来ないのかもしれない」
と、まるで蟻地獄のような深みにハマってしまい負のループから抜け出せなくなってしまう。
なんということだろうか。
女性が「もっといい女になろう」と、向上心を出せば出すほど、男性はクズになってしまうのだ。
では一体どうしたらいいのだろうか。
この答えに気づいたのは、つい最近のことだった。
ある日、私は苛立っていた。
なにが理由と言うこともなく、きっとホルモンバランスのせいだろう。
私はイライラが態度に出やすく、かといって言葉にするのが非常に苦手なのである。
些細なことがきっかけで彼と喧嘩をした。
普段はどちらからともなく謝ればそれで解決するのだが、この喧嘩はそうもいかなかった。
長らく続く不穏な空気の中、彼は
「何が嫌だったのか、言ってくれなければこちらは改善のしようがない」
と言った。
私は意を決して
「あの時のあの言い方が嫌だった」
と彼に伝えた。
すると
「そうだよね、そんな気はしてた。それは本当にごめん。でも、これからはちゃんと言って?そしたら直す努力するから」
と言い、自分もキツイい方をしてしまったかもしれないと再度謝ってくれた。
それからと言うもの、私はなにか相手にして欲しいこと、直してほしいことがあるときは少しづつではあるが意見できるようになった。
「今日は洗いものして欲しい、肩が凝ったからマッサージして欲しい、私の好きなところを3つ言いたまえ」
といった具合に。
するとどうだろう。察してもらえるのを待っているときよりもものすごく気分がいい。
特に好きなところを言ってもらうなんてことは、オードリーの漫才の「ヘヘヘへ」と二人で笑い合うあのシーンすら彷彿とさせる。
この話から何が言いたいかというと
『頼まれてから尽くす方がありがたみが生まれやすい』
ということだ。
もちろん、誰かが誰かを思いやり、頼まれずとも力になろうという姿勢はとても尊いものである。
それに対し感謝出来ない人間よりは、いつでも感謝出来る人間の方がいいに決まっている。
しかし、それは頼まれてからでも全く遅くはないのだ。
つまり「先回り不要」ということになる。
これまでは先回りをしてしまったがばかりに
「頼んでないけどいいものもらっちゃったラッキー」
ということになり、それは尽くす側が望んだような
「頼んでないのにくれるの!?最高!ありがとう好き!」
とはならないのである。
ラッキーばかりを与えられると、人間は都合のいいことにそれが当たり前に与えられる権利だと勘違いをする。
そうして知らず知らずのうちに「都合のいい女」が完成するのだ。
『大好きな彼の笑顔には10,000円払う価値がある』
『あの人のちんぽが拝めるなら二番手なんてなんのその』
『都合のいい女最高イェーイ!!』
という方は、ぜひそのままアッパー系を楽しんでいただくのがおすすめである。
しかし、多くの場合が
「私って一体彼のなんなの?」
「いつになったら昼下がりのデートが出来るの?」
「クズちんぽマンは滅びろ」
と思われているだろう。
そんな方は「都合のいい女でいる限り、本命昇格の可能性はものごっつ薄いんだゾ」というのを胸に刻んでいただきたい。
「そうは言ってもすぐには手放せないんです…」
と言った声が聞こえてきそうなので、そんな方々に向けてもおすすめの方法を用意しておいた。
それは思う存分「セックス最高」と喜びに浸ることだ。
自分までクズになってしまえばこっちのもんである。
ちなみに、その後襲ってくる虚無感に関しては一切保証はしない。
さて、自分の経験から相当な熱量でこの記事を書き上げたが、まだまだ言いたいことはたくさんある。
次回、この「都合がいい女とは」の続編については「都合がいい女を抜け出す方法」に進化させて書き上げたいと思う。
先に言い訳しておくが、あくまで私の経験則に基づいた結論になるので「うるせぇ黙れババァ」となる可能性も否めない。
それでも多くの「都合のいい女」そして、「都合のいい女を卒業したい人々」に届けばいいなと願っている。