「あざとさ」の何が悪いの?

最近、「あざとくて何が悪いの?」にハマって見ている。

私はよく「あざとい」と言われることがあるため、どのあたりがそう見えるのかを知りたいなと思い見始めたが、自分がやっている・やりたいと思う言動がかなり当てはまっていたので、納得いきました(笑)

それでも私は、「あざとい」自分が好きだし、今後もあざとさを高めていきたいと思う。だって、あざとくて幸せになる人は居ても、困る人っていないもの。

※今日のテーマは、「あざとい方が幸せになれるから、みんなあざとくなって人を喜ばせようよ!」というものなので、嫌な人はスルー推奨です笑

この番組が売れた背景を推察すると、あざとさ、というものは、とかく世の中から疎まれがち(疎まれる理由は後述)なものの、どこかで人々は、自分に対して「あざとさ」が発揮されれば嬉しいもので、それを疑似体験できるからだと感じている。

もちろん、田中みな実はじめ、出演者の人の「あざとい」演技が勉強になるのもあると思う笑。

とにかく美形だから様になるし、見とれてしまう、こんな綺麗な人に、こんなに自尊心をくすぐられる行動をしたら、そりゃ嬉しいし、天にも昇る気持ちになるだろうなと思う。

他にも、この番組で紹介される「あざとさ」は嫌味だったり、「他の人を蹴落とす」、というよりも、「私はこんなにあなたのことを思っていますよ」というサインを伝えるものとして機能している面も、人気を呼ぶ理由と考える。不幸になる人が誰もいないような番組になっているのだ。

冒頭の、「あざとさが疎まれる理由」を自分なりに考える前に「あざとさ」を定義しようと思う。

私の中での定義は、「①相手が喜ぶ・好む行為を」「②相手が好むとわかった上で」「③意図的に」「④でもそ知らぬふりをしながら」言動を選べること、です。つまり「相手の喜びために言動を変えられる人」なのだ。凄い。

※念のため、「あざとい」の意味を検索してみたら、思ったよりもどぎつい意味であった。(笑)

こう考えると、あざとくされた相手は喜ぶし、その結果あざとい人も喜ばれて、嬉しい人しかいないわけである。

しかし、それでは気に食わない人がいる。誰か?そう、「あざとい行為ができない人(私はしないだけ、と思い込んでいる人も含む)」である。

出来ない人は、
「あいつは相手に媚びている・計算高い」
「そんな表面上の行動に惑わされて、喜ぶ方がどうかしてる」
といった風に、あざとさゆえにもてはやされる人、を嫌うが、冷静に考えてほしい。

世の中の幸せを増やしている、相手への思いやり・ホスピタリティがあるのはどちらの人だろうか?断然あざとい人である。

出来ない人は、結局、「人を喜ばせるための知識・人間理解」、「人を喜ばせるためにプライドを捨てる勇気」、「自分が人を幸せにできる、という自信」が無い人なのだと思う。

そんな人からしたら、人を喜ばせているあざとい人たちは、まあ気に食わないだろう笑。かといって、嫉妬したところで、あざとい人たちは、好かれたい人からは好かれているからなんのダメージもないわけだけれど。

だから、明日からも私はあざとく耳障りのことを言っていきたいと思う。もちろん人が喜ぶのが嬉しいのもある。それと同時に、後々耳障りの良くないことを言わなければならない「優しさ」を発揮した際に、受け止めてもらえるかどうかの分水嶺となるからです。

※優しさの定義は、今日、別の記事で書いてみました。要は、「人を喜ばせるために自分を捨てられること」と私は思っています。

でも、相手の反応のためにあざとさを追求すると、人の顔色で人生が左右され易いので、それを重視しすぎるのも禁物だな、とも思っています(笑)

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