「失敗」ではなく「ひどい目に合った」と考える
ひょんなことから書籍編集をされている方とお話する機会を得た。
自分でも思うのだが、私は職歴・恋愛遍歴が波乱万丈だ。
社会に出て10年程の間に姉歯耐震偽装事件やリーマンショック、東北3.11の影響を受けて4度も転職。仕事に不満も無く、楽しかったが会社が無くなってしまっては仕方がない。
恋愛も結婚も相手がいての事なので、浮気やハラスメントなど自分ではどうにもならない原因で終わる事がある。
「結婚したい、でも、最期に一緒にいたいのは別の人だから(私が)60歳になったら離婚してほしい」
そんな衝撃的なプロポーズをされた人もそうはいないだろう。(これはもう悪夢でしかない)
3時間程お話をさせていただく中で、聞かれたこと(主に職歴・恋愛遍歴)をありのままを伝えた。
「結婚したくないわけではないが、結婚すること自体に失敗した」
「大きく見れば同じ業界でも専門が微妙に違うことで、『コレが専門です』と言えるキャリアを積むことに失敗した」
すると、話をする中で【失敗】という単語がとても気になったようで、、、
起こりえた結果は残念かもしれないけれど、自分は何も悪くないよね?
「結婚に【失敗】した」「専門のキャリアを積むことに【失敗】した」と言うのはおかしいよ。
と言われたのだ。
【失敗】というのは自虐的な言葉で、言うたびに自分を傷つける。
自分ではどうにもならない結果に【失敗】という言葉は使ってはいけない。
だって、会社の倒産は社会情勢の問題であって自分の問題じゃないよね?
浮気やハラスメント、その非常識なプロポーズも相手の人間性の問題だから自分が悪いわけじゃないよね?
それは、【失敗】じゃなくて【ひどい目に合った】だと思うよ。
なるほど、と思った。
「ハラスメントを受けるような何か、浮気をされるような何かがあったんじゃないの?」
「会社選びが悪いんじゃないの?」
そう言われる事はあっても
「ひどい目に合ったね」
そう言われたのは初めてだった。
ひどい目にあった、と言えば笑って話せる。
うん。これからは【失敗】じゃなく【ひどい目にあった】と話そう。
失敗と言ってしまうと、そこで行動が止まってしまうけれど、ひどい目にあったと言えば自分のせいではないから次へ進める
そういう気持ちを大切にしているのだそう。
見習いたいフリーランスメンタル、私にも出来るだろうか?
小さく起業を試みる私は、家を建てようとする人のモヤモヤを解消するきっかけを見つけるサービスを始めようとしている。
していた?
再開する?
何が最適かわからないけれど、コロナが始まる少し前に1度やっていた。
時間の確保が仕事と育児とある中、うまく回らずにフェードアウトしてしまった経緯がある。
想定される「自分に出来ること」をして、後は「自分ではどうにもならない結果」が良いものであれば喜び、イマイチであれば、失敗ではなくこのやり方は駄目なんだなと学びを得て次に活かす。
そんなメンタルの切り替えを学んだ気がした。