容姿をつかった笑いは受け入れられなくなっている
デブ ブス ハゲ チビ と言われて嬉しい人いる?芸人だって、いじりの中には人間関係あってのことだとかいうくらいで、どんな人だってあまり嬉しくない。私も嬉しくない。
たまたまフジテレビのMrサンデーという番組を見ていたら、大人のいじめについて議論されていた。大阪府で問題になった教師のいじめ問題。無理やり激辛カレーを食べさせたあの件。
そのなかであった流れとしてはこう。
無理やり激辛カレーを食べさせている動画を見て、爆笑問題の太田さんは「ふざけているんだな」と思ったそうです。テロップに"いじめ"と書かれていてはじめて"いじめ"なんだと分かったという。そこから、いじめといじりの違いについての話になった。
太田さんは、お笑いはいじめのような部分があるという話をした。容姿であったり、特徴などを誇張したり揶揄したりするような笑いがあるからで、そういった笑いの中で育ってきたと話していた。ドリフだって同じだよねと。実際に、太田さんは相方をチビと言うこともある。
たしかに、昔ある芸人さんから伺ったことがある。その芸人さんは好きで笑いをとっていたわけではないという。
小学生の頃に壮絶ないじめを経験したときに、どうしたらいじめられないのか、どうしたら被害が少なくなるのかということを考え行きついた先が笑いだった。
嫌なことを笑いにし、自分から笑いを取るポジションにいき必死でいじめから逃れようとしたという。いわば命をかけた結果、生まれたものが笑いであると。
太田さんの笑いの中で育ってきたという話に対して橋下さんは真逆のことを話されていた。今は容姿で笑いを取るような時代では無いと。公共の電波で言うことではないと。
橋下さんはよく昨今の風潮というか、時代の流れを汲み取られているなと感じた。上から目線になってしまうが、テレビでもそうだしテレビ関係者がそういうことは絶対にない。むしろいまの風潮を批判される方が多い。
あるテレビ制作関係者の方は宴席で、なんでもコンプライアンスと言われてしまい何も作れないとボヤいていた。
時代は変わる。
容姿を揶揄したり誇張するような笑いに不快な気持ちになる人は少なくない。
私もあまり好きではない。
***
あるミュージカルの話をする。あるミュージカルの中でストーリーにある演者の容姿を揶揄した笑いや当時問題になった事件などをもじった内容が含まれていた。
私も一緒に見た友人も不快感があった。見終わった後にその笑いが本当に必要なのか?どこが面白いと思ったのだろうか?などと、小一時間それについて議論をした。
容姿の笑いについて。これは演者が芸人だったからか、人間ではないものに例えたり、その人に触れられて気持ち悪いみたいな表現があった。ストーリー上の必要性はなく、狙って"笑いの要素"入れたという印象をもった。
百歩譲って演者同士の間でのことならまだ我慢ができるだろう。問題は被害者のいる事件をもじったこと。被害者加害者、双方間違いなく笑えない。むしろ言葉のナイフを突き刺している。他人を生贄にした笑いの何が面白いのか。
しばしば日本とアメリカで比べられることが多いので聞いたことがあるかもしれないが、アメリカでそのような笑いは認められていない。テレビ以外の場所ではどうなのかは分からないが。
もう一つの話題については、個人を特定してしまう内容なのでここには書かないことにします。
https://www.huffingtonpost.jp/suzuki-rena/laugh-tvprogram_a_23349826/
私はそれを直接その監督に話した。どうも歯切れが悪い。何が問題なのか分かっていない様子だった。当然、監督は「おもしろい」と思って演出をしたわけなので、笑えないといった意味は分からなかったと思う。だって長年そのようなネタも使いながらコンテンツを作ってきた方なのだから。
ゲネプロ、公演と3回ほど見たが、容姿を弄るくだりは多少の変化はあったものの変わっていなかった。当然、それらの台詞のとき、その時だけストーリーが途切れるような空気があった。
それから数ヶ月が経った頃、監督はこう愚痴をこぼしていた。沢山の非難批判があったこと、笑いをわかってもらえないことなど。昔はそれが当たり前だったのに、今はそれが認められず息苦しくなったように思うといった、内容だった。
***
テレビを昔から作っている方と、最近の方とでは感覚に差があるように思う。
こんなことを呟いたら番組中にコメントが紹介されていた。ちょうどその画面を写真に撮られていた方がいたのでコレ。
テレビの方はの一文はカットされていた。そりゃそうだ。
念のためフォローするが、ここで言いたかったのはテレビ批判ではない。
テレビ番組の制作には見えない部分にとても気を使われていたり、綿密に計算されていたりして本当に奥が深いと思うことが沢山ある。だけど、従来のやり方やヒットした法則を一斉に真似たりする風潮があって正直飽き飽きしている。
あれもだめ、これもダメではテレビで放送するものがなくなる
という意見がある。
それは変化を拒んだ考え方だと私は思う。
時代が変われば物事の見方や考え方も変わっていくのは至極当然のことだ。コンプライアンスだといって次々と制約が増えていっても、その制約の中から新しく生み出すことが0→1なのではないか。これまでテレビは0→1を作って今の形になったのだから、これからも生み出していくことは可能じゃないかなって思う。
(とはいえ、私は0→1をすることができないし、どちらかといえば1を膨らましていくタイプだと思う。)
***
本題に戻るが、私も橋下氏が話されていたように養子などで笑いを取る時代ではないと思うし、公共の電波で言うことではないなと思う。
そういった笑いに対してNOをつきつけるような、笑いがあってもいいんじゃないのかなと。
この記事で、たかまつななさんは、それを笑いに昇華できるのが日本であるし、それに対して"おいしい"と思う人もいるので一律に線を引くのもおかいしいというようなことを話されています。
笑いに変えてかわせば角が立たないだろうし、それが大人だとされるようなところがあると思う。私は芸能界がどんなところか知らないが、田舎の会社でもそういうところは確かにある。それが出来て、気にならない人はそれでよいと思う。でももし不愉快な気持ちになったらそのことを伝えない限りは延々につづくだろうなぁと思う。
たかまつさんが言う通り、ユーモアに変えてプラスに変えている人もいる。私の同僚には自分のハゲをネタにすることでお客様と和やかに会話をし、関係性を築いていると誇りを持っている人もいる。だが、そもそも論だが容姿を笑いとすることにその笑いがおかしいとは思わないのだろうか。
ハゲ デブ チビ ブス。
何が面白いのだろうか。今は美人とされている顔も、価値観や時代が変われはブスと呼ばれるのでは。
なぜ批判の声が上回るのか。それは視聴者が求めるニーズではないから、笑いに昇華できていないから批判の声が上がるのではないか。もし、それがおいしいと思うならそれを続ければ良いと思うが、求めるものとは違う笑いはどんどん見られなくなっていくのだろうなと思う。