わたしは本音と建て前の区別がつかない
昔から本音と建前の区別がつかなかった。それにやっと気がついたのはここ1~2年くらいのことでした。昨年の緊急事態宣言以降、メディアによって作られた"自粛ムード"がどこまで本気なのか私はわかりません。本音と建て前はどちらなのかな?と何と答えればもめなくて済むかと悩むことがある。
私は、自分が家族が感染しないように趣味もストップし最低限の外出にして、食品以外はほとんど通販をつかっていました。冗談抜きで本当に昨年一年の大半を自宅で過ごした。外に出たのは、生活用品の購入と出社日くらいでした。
だけど、そんな私はある人たちに笑われました。「自粛してどうなるの?」と鼻で笑われました。趣味の1つのあるコミュニティでは神経質なくらい気を使われている方と、そうではない方がいました。気をつかわれない方たちにあまり良くない言葉を投げかけられました。関係する方もこのnoteを見られているのでそのままを記載しませんが、バカバカしいという話です。
しかし、それ自体はなんらおかしいことはありません。どこにだって一定数そういった考え方の人もいればもめごともあると思います。ここで言いたいのは、他の人に見せる顔と私に見せる顔が"違う"人たちのことです。おそらく私に見せる顔がその人の本質に近いのかもしれない。
文藝春秋の記事で、川上麻衣子さんの経験が書かれていました。そこには自分が感染したときに濃厚接触者にあたる方が感染して意識不明になるほどの重篤な状態になったことが書かれていました。
川上さんもそうであったように、実感するというのはなかなか難しいことなのではないかなと思いました。自分が経験したことのないことを想定して行動するって難しい。実感がなくても行動をしている人、人前ではそのようにふるまっている人とか、イロイロいるんじゃないかなぁ……と。
そこで冒頭のお話に戻ります。私は本音と建前がよくわかりません。白黒はっきりさせたい性格なのもそうですけれど、どうして『建て前』が必要なのでしょうか。本当は思ってもいないのに別のことを言うのは何故?そして人によって態度を変えるのも何故?本音を言うと差支えがある相手だから隠すのでしょうか。
ある飲食店では周囲に合わせて営業自粛をしていました。しかし『閉店』の看板の裏側で、常連は利用していて売上もたっていました。もちろん通常営業の時よりも減っているでしょう。それって閉店というのかな……という疑問。私も知ったように、隠していても噂は回る。しかもその噂の出どころは利用者。自分が特別扱いをされれば自慢したくなるのもわかる。(それが店主の首絞めることになるんだけど)で、もちろんお金を支払って食事をしているので営業していることになる。事実は知りませんが、協力金の申請はしていたらしい。
黙っていればわからない、バレなければ問題ないということなのだろうか。
こんなことが許されたら私は不公平だと思ったのだ。自粛をして何日も店を閉めたために本当に収入がないお店がいる一方、こそこそっと営業して収入を得て(もしこれで協力金を申請していたらと思うとちょっと……)
なんのために営業自粛をしている人たちがいるのだろう。
なにかのきっかけでそんな話をしたときに、私はあるコミュニティで大変な批判をくらった。常連だから許されるそうで、お店は閉めているので営業にはならない。そしてもらえるものはもらうのは当然だと。
それはそうかもしれないが、もらうものをもらうのはルールを守った上なのではないか。
矛盾はいろんなところに転がっている。私もときには矛盾した行動をとることはある。
矛盾とであうたびに、もやもやとした気持ちをどうすればいいのか泣きたくなってくる。