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私が届けたいもの。

タイトルの下に「1年前」の文字が並ぶのこの場所を、私は捨てる事ができないのだ。

結論から言うと、
私は退職をせず、なんなら同じ会社で昇進し、日々忙しく過ごしている。

悩みは尽きない、相変わらず疲れやすいし落ち込む事も多い。

だけど、あの頃と違って今は"生きるために"そして、"大切な人を守るために" そんな事をいつも、いつのまにか、頭の隅っこで考えている。

◼︎あの頃と変わった事

ここでは"私目線"の記事を綴っていた。

もちろんこれまで書いて来た事は全て、嘘偽りのない私の身の回りの出来事だけど、上司の気分に振り回され、憤りを感じていたのは、もちろん私だけではなかった。


●先輩の退職

この1年で1番衝撃だったのは、上司と1番密接な関係にあった先輩が"独立"を理由に半ば強引に退職した事だ。

旧知の仲とあって、あんなに信頼し合っていた(ように見えた)2人の関係は、拗れるところの限界まで拗れ、修復はもはや不可能なところまで来てしまっていた。

きっかけとなった出来事はいくつかあったが、
先輩としてもこれ以上"自分のやりたいこと"と"上司の求める会社像"のギャップや、そこから産まれるジレンマに耐えきれなかった…というのが本音だろう。

彼女はこれまで、社内1を誇るコミュニケーション能力と器の大きさで様々な場面を乗り切って来た。

いつもおおらかで優しく、明るい空気をまとい、何故か本音で何もかもを語りたくなる、そんな人だった。

私とは真逆。
この人は、他人の些細な行動に苛立ったり、況してや悪態をついたりするような人間ではないーーーーーー

そう思っていたが、言葉、行動、目つき、まるでこれまでの全てが嘘であったかのように、これまで溜まりに溜まっていた鬱憤を晴らし、嵐のように何もかもを置き去りにして行った。

きっと、以前から口に出さずも不満を抱き、口に出さずも彼女なりの理想のカタチを思い描き、その夢が現実味を帯び、このタイミングが最も満を持していたのだろう。

奇しくもその頃、上司も同じく、これまで側で献身的に支えてくれていたはずの彼女への不満が爆発したおりだった。

裏切りとも取れる彼女の行動を、許すはずもなく。

もちろん私は、ほどなくこの2人の板挟みに遭うのだった。

年が明けても相変わらず不機嫌だった上司は、全てのトラブルを、彼女が原因であったかのように。

年明けから何か反抗的に見えていた彼女は、全ての不満が上司起因であったかのように。

それぞれ、怒り由来の高熱をこれでもかとぶつけてくる。

そして、どちらにも共感できる部分と、できない部分があった。

上司は「子供や家庭を優先できるように休日に関しては最大限譲歩して来たし給与面でも優遇してきたが、それを逆手に他スタッフに負担をかけすぎだ」

一方の先輩は「あまりにもスタッフを雑に扱いすぎる」

……正直な話、何を今更・・・とも思った。


これまで、家庭や子供を理由に、忙しい土日ですら休日を自由に手にして来た人間の皺寄せと、人としての尊厳を踏み躙るような言葉や扱い。

その両方を一手に引き受け続け、それを理由に退職を決意した私の気持ちは置き去りだった。

むしろ、私が退職したかった理由の99.9%をしめる要因がその2つだ。

"あなたは自分の理由や事情ばかり優先しすぎだ"
"あなたは人を雑に扱い、傷つけている"

今目の前であなたたちがこれでもか!と私に吐き出すその不平不満。

私だってあなたたちに言ってやりたかった。


だけど、だからと言って、それを率直に告げてしまえば、少なからずあなたたちは傷つくのではないかと思った。

傷つけないよう、自分が辛いからと言って他人の生活を邪魔しないよう、同じようなやり方で尊厳を踏み躙らないよう。

人として、わたしは口をつぐんだ。
傷ついても、たとえ心を病んでも、絶対に私自身の手で他人を傷つけたくなかったから。

卑怯で、この世で最もドス黒い綺麗事かも知れない。
人によってはそう思うだろう。

それでも、これだけは"本当の事"だからこそ、言ってはいけないと黙っていた。

そもそもの人員不足も手伝って、
これから自分の身に何が起こるのかもある程度把握した上で、私は2人のすれ違いを、心の距離は適度に保ちつつ他人事のように眺めていた。

一方で、まるで当たり前かのように認められていた先輩の休暇や、いつも怯えていた上司の暴言は、やはり誰にとっても不満や軋轢の火種となり得たのだ、と妙に安心したものだ。

ーーーーまさか、それが対岸で爆発する事になるとは夢にも思わなかったけれど。


こうして、必然的に私の勤務時間や日数は増えたものの、この退職騒ぎをキッカケに、上司からの圧力や八つ当たりは嘘のようになくなった。

それに伴うように、私の心の傷も徐々に癒え始めた。

社内の雰囲気は柔らかくなり、
上司は私だけでなく、他スタッフへの配慮も見せるようになった。

人は、簡単に変わらない。
ーーー私が退職を告げても、何一つ変わらなかった。

▲私が退職を決意してからの出来事を綴った記事


今も時々、あの時の、あの客の暴言や、上司からの叱責の言葉が心に暗い影を落とす日もある。

あまりに鮮明に思い出しすぎて、いっとき息をするのも忘れるほど痛みに集中してしまうアノ現象も、相変わらず無くならない。

刺さった棘は抜けていない。
まだ確実に私の中にある。

ただ、目の前にいる上司が"変わろう"としている。

それが私には手に取るようにわかる。

変われるか否かは私の問題ではない。
ただ、変わろうと努力を重ねている事、私に対して最大限に気遣いを見せてくれていること。

今は、上司からそれを感じる事ができる。

もしかすると上司も、
実はパートスタッフや先輩の、よく言えば自由、悪く言ってしまえば身勝手なシフト提出を快く受け入れてはいなかったのかもしれない。

これまでも、そう思う節がなかったわけではない。

それぞれの家庭や個人の事情に最大限配慮して来た。
そうして溜まった鬱憤を、"上司"であるからこそ誰にも告げる事ができなかったのでは。

この人とて人間だ。

そしてこの人とて、自分の時間を犠牲にして戦って来た1人である。

ただし、"信じられるか"は別の話だ。
元来私は、人を信じるのは得意でない。


ーーーーーそれでも、一旦自分の退職意思は心の引き出しに鍵をかけ、「いつでもやめてやる」という名のラベルを貼って、大事にしまっておくことにした。

もしかすると、ここまで来たからこそ、一度壊れかけた"人と人"としての信頼を、結び直す事ができるのではないかと思うから。

できなければ、心の引き出しの鍵を開けて、全員の前に突き出すまでだ。


●お客様との関係の変化と感謝

退職が頭をもたげ、死が頭をもたげていた頃、
"どうしても合わない"と思うお客様が何人もいた。

その中でも、とんでもない暴言を遠慮なく吐き散らかし、深く傷つく原因となった数名は、それぞれになんらかの事情で関わる事がなくなった。

不出来な私を温かく見守り、文句ひとつ言わずに相変わらず利用してくださった温かい方々とは、最初こそ距離があったものの、最近では気楽に接する事ができるようになった。

1番驚いたのは、
"どうしても合わない"はずだった数名の中に、逆に信頼を得る事ができたお客様がいる事だ。

きっと本人の中で、私の技術はまだ及第点には及ばないのだろうが、これは私の中で大きな自信となった。

お陰であまり気負うことなく店頭に立つ事ができるようになり、今や私に協力的ですらある良い常連さんだ。

この変化はおそらく、
上司の私への態度が軟化したこと、上司が私に信頼を置いていることをお客様側が感じ取っていることがプラスに作用した結果だと考えている。

"引き寄せの法則"よろしく、個人だけでなく会社や組織も、中身が変われば外からやってくるものの色も変わるのだろうか。

あんなに会うのが嫌で嫌でたまらなかった人と、心のやり取りができる日がくるなんて。

天地がひっくり返ってもあり得ないと思っていた光景が、いま、目の前にあるなんて。

この時間を心地よく思うとは。

喜んで欲しいと願うとは。

あの頃を思えばこそ、異次元にでも飛ばされたかのようなこの不思議な好転は、技術者としての自信だけでなく、人としての尊厳を取り戻すキッカケとなった。


最近よく思う。

あの頃、自分の事だけに必死だった。
雨のように浴びせられ、矢のように突き刺さる暴言の嵐から自分を守る事。

傷つき、疲れ果てた重い体と心に前を向かせて、現場に立つ事。

目の前に並んだお客様をこなすこと。

とてもじゃないけど、他人に何かを分け与えたり、気を配ったり、況してやありがたいと感謝するような余裕などなかった。

このままずっと暗闇が続くのだと思った。
できれば逃げ出したかったし、逃げるべきだと思って行動も起こした。

でも。結局、退職しなかった。
なぜかスムーズに退職、とはならなかったし、なぜか、いつのまにか、辞めようと思わなくなった。

私の決意なんて、そんなもので、結局また私は、ダラダラと流されて生きるのだろうか?と自問自答を繰り返した事もあった。

ーーーーーでもたぶん、それは違って。

あの時、例え、この場所から逃げ出せていたとしても、この場所で負ったこの傷を癒す事はできなかっただろう。

自己肯定感の回復なきまま、別の道を選んでいても、きっとこの傷が壁となって再び立ち塞がっただろう。

具体的には想像もできないし、したくもない。

例えば新しく選んだ場所で、とてもうまく行っていたとしても、ふと、"あの時"の亡霊を背後に感じる瞬間に、そんな夜に、ずっと苦しみ続けたかもしれない。

続いていくはずだった暗闇を、自分の手で振り払い、立ち直り、不信を信頼に変え、未来を明るいものに変える事ができた。

私に不信感を抱く顧客から、圧倒的信頼を得られた!とは思っていない。

ただ、明らかに状況を好転させる事ができた。
これは紛れもない事実として今ここにある。


いずれこの場を去るにせよ、どちらにせよ、これはきっと、必ず踏むべき"過程"だったのだ。


私と接する事や、私に担当される事が嫌だっただろうに、諦めずに顧客であり続けてくれたお客様に、いま心から感謝している。

決してキラキラした物語ではなかった。

傷つけられ、負ければどこかから仲間が手を差し伸べてくれ、抱き合って涙を流す、とか、そんな感動のストーリーではなかった。

あの頃は確かに、少なくとも会社には、どこにも味方はいなかった。

「いつか信頼を得る事ができたら。」
「笑い合えたら。」

そんなわずかな期待も、この暗闇の前では無力でしかなかった。

それでも、同じ場所にあり続ける私を、それぞれがどう見ていたのかはわからない。

わからないけど、どこか呆れつつ、諦めつつ、受け入れようと少しずつ心を開いてくれたお客様。

見守ってくれたお客様。

今は、守ってくれるお客様。

感謝を忘れずに、大切にしたいと心から思う。

苦手だった相手に、こんな温かい感情を抱く時が来るなんて。


●昇進と不安

実力を買われた、とか、認められた、とか、そういう事ではない。

技術も、その他雑務に関する出来も、
以前よりは「少しはマシ」だと言う程度のちっぽけな成長だ。

先ほどは大袈裟に書いたけど、心の成長だって相変わらずで、わたしは崩れやすく脆い。

大きくは変わっておらず、どちらかと言えば「1番長いから」という一点で、なし崩し的に・・・と言った感じで、昇進する事になった。

給与面以外では何も変わっていない。

先輩が抜けた分の、私にできる範囲での「穴埋め」を行うだけだ。

実感もない。意気込みも特にない。
ーーーーーない、と言うよりは、持たないよう気をつけている。

無理な意気込みは自分を壊す。

上司が「今のままでいい」と言うのだから、今はその言葉に甘えて自分にできる事を淡々とこなすつもりだ。



昇進してからはまだ数ヶ月。



今何より恐れているのは、新たな出会い、だ。

繁忙期に伴い、上司は人員の確保に動き出している。

すでに数人はパートスタッフが決まり、これから、新しい出会いが増える。

どんな人たちなのか、どんな技術を持っていて、それがどう作用するのか。

そもそも、性格上合うのか合わないのか。

例え昇進したと言っても、相手が自分を"上司だ"と認めるかどうかも、相手次第だ。

相手からの否定の意図や雰囲気を感じ取ったなら…どう接するべきなのか。


こう考えた時、
私は結局、気負ってしまっているし、「上手くやらなければ」と自分を抑えようとしている事にも気づく。

勤務時間帯や勤務地が異なる場合が多く、蓋を開けてみればあまり関わりを持たずに繁忙期が終わるような気も、しないではない。

私には、私にできることしかできないのだから、そんな自分が楽に働けるように上手く動いてもらえばいい。

お互いに存在は認識しつつ、適度な距離を保つ事だ。

無理に近寄ったり、無理やり輪の中に入れようなんて思わないことだ。

あくまで相手も独立したフリーランス、個人事業主であるという事を忘れずに、自分や、弊社独特の秩序の枠に納めようと躍起にならないことだ。


…忘れてはいけない。

私のことは、上司と言うよりは、みんながスムーズに仕事ができるようサポートする裏方だと思って頂こう。


この点に関しても、
どうしてもうまくやれなければ、自分は身を引くつもりだ。

引き出しにしまった「いつでもやめてやる」は、ここでも"心のお守り"に。


●結婚生活と旦那の変化

大っぴらに触れなかったけど、
10年あまりを共に過ごした"彼"と入籍を果たした。

これも昇進と同じく、何か大きな決め手があったわけでも、「2人の愛は永遠だと確信したから」とかそんなロマンティックな理由があるわけでもなかった。

彼の方は、義家からのプレッシャーと、自分の転職を機に隣県へついて来てくれた(と思っている)私に対して"けじめ"を付けたい気持ちがあったようだ。

対する私や実家の母は、「しなくても、いいよ。してもいいけど。」…というスタンス。


周囲は、長年の交際にも関わらず、いつまでも"カタチ"を取らない彼に対して、私をいかにも健気であるかのように思ってくれていたが、本人は特に待っていたつもりはないし、支えてきた、なんて言えるほど何か捧げたつもりもない。

このまま平行線かもしれないな、と思っていた矢先だった。


付き合いが始まった日すら曖昧。
特に記念日を祝い合うこともなかったので、入籍日も特にこだわったわけではなく、彼も私も縁のある数字を基準に、あっさりと選んだ。

市役所へは義父の運転で赴き、婚姻届受理と手続きのその後は義家に立ち寄り、改めて挨拶をした。

彼は不在。
日勤中だったが、新しい苗字が記された保険証の写真を送るとご満悦だった。


何もかもこだわらず、淡々とあっさり終わらせるべきだと思った。

報告も、親族とごく親しい友人、社内の人間のみに知らせ、SNSその他に公開する事はなかった。

多分私は、"結婚"というカタチを取る事で、
これまでカタチ無くとも築いてこられた自分たちの関係が変わってしまう事が怖かったのだと思う。

できるだけ波風を立てず、"いつも通り"でいたかった。

SNS嫌いで、そういった発信ツールを持たず、
大袈裟にはしゃいだり、大袈裟に感動したり、サプライズや非日常的なイベント事が苦手な彼も、同じく親族や近しい友人にのみ報告にとどめ、過去含め交友のあったほとんどの人間が、知らないだろうと思う。

彼もまた、自分が幸せである事、幸せになる事を素直に受け入れるのが難しい事情を心の隅に抱えている。

心中は嬉しくてたまらなかったとしても、それを態度や顔に出すことなどほとんどないだろう。

きっと記念日も気付かぬうちに通り過ぎて行くだろう。

それが私たち新しい夫婦だ。


「絶対に再婚はあり得ない」と豪語していた彼が、「結婚」を口にしただけでも充分なキセキだった。

彼なりの覚悟と決断。

これまでも周囲には、まるで友達のような関係であるかのように映っていただろうけど、実は過保護で、限りなく優しい彼。

結婚後はますます過保護になり、ますます優しくなった。

この街に引っ越してくるまでは、興味もなかっただろう夕焼けの美しさ、緩やかな時間の流れ、温かい家族がもたらす小さくても確かな"幸せ"。

その有り難さや感動を幾分か素直に伝えてくれるようにもなった。

これまで長く、彼の心の底に沈んでいた何か重たいものや黒いものが、少しずつ消えているのを感じる。


結婚してからわずかの間に、
体調不良や生活に関わるピンチを迎え、今も2人、現実と向き合っている最中ではあるけれど、不思議と救いの手が差し伸べられ始め、周囲のサポートの元、確実に良い方向に向かっている。

ーーーーー死ぬことばかり考えていたはずなのに、私は今、どうやってこの幸せを守り抜くか、大切な人を守るために立ちはだかる壁をどう乗り越えるか、気付けばいつも考えているのだ。

今この瞬間でさえも。


◼︎これからの私が届けたいもの

退職しなかったことも、
会社での風向きが変わったことも、結婚するはずのなかった私たちが家族になったことも、振り返ればこの1年はキセキの連続だった。

時間はかかっても、同じ場所から動けなくても、動けなかった事を後悔したり、動けない自分を責める事があっても、思い通りにならなくても。

意志を持って起こした行動や、自らの心に従った行動には、未来を変えるチカラがある。

一見無駄に過ごしたような時間や、ダラダラと流されてたどり着いただけであるかのように見える灰色の景色、落ち込み、自分を責めた日々も、そこで諦める事さえ無ければ、全ての過程はちゃんと幸せに繋がっている。

寄り道も、たまには逸れてしまった道や、途切れてしまった道も、幸せを願う事さえやめなければ、いずれ必ず在るべき場所へ辿り着ける、人生はきっと、そんなふうになっているのだ。

そうすれば、この先のどんな経験も、より良い人生のための糧であると腑に落ちる。


どう活かすべきか、どう改善すべきか、その場で答えは見つからずとも、ただ幸せだけを道標に歩みを進めれば、その先に、答えが必ず待っているのだから。

今じゃないだけだ。

今、わからないだけ。

必要なときには必ず、きちんと答えを得る事ができる。

私はもう、闇の中にわざわざ足を踏み入れる事なく、前を向いて歩いていけるだろう。


コロナ禍で転職を余儀なくされてからはもうかなり経つ。

希死念慮が頭を離れず、
毎日が絶望や死と隣り合わせかのような日々、限界を迎え、転職を宣言してからが2年。

思い返せば、先輩の退職騒ぎですらもう半年以上前の話だ。

時間薬とはよくいったもの。

あの頃の記憶も、心の傷跡も、確実に薄れつつある。

今でも、
多少の暴言や理不尽なクレームに腹は立てるし相変わらず落ち込む事もあるが、心の深い部分にまで傷が到達する前に、上手く一線を引いて向き合えるようになった。

根っこの部分では変わっていない。

傷つきやすい子供のような自分は今日もここにいる。

だけど、自らの欲求や感情に任せ、必要以上に他人を貶めることや傷つけることによって乾いた器を満たそうとするような人間に、自分の大切な心を明け渡す事は2度とないだろう。

決して抜ける事はなく、時の流れを待つ以外に癒す術のないその毒が、今やっと、感謝や温かい幸せによって希釈され、消えゆこうとしている。

今後は、無防備にその棘を受け止める事も2度とない。

じわじわと溶け広がり、ドロドロと奥底まで浸透し、ともすれば生きる力をも奪いかねないあの毒棘を。


●優しい言葉を

何度も「もういいかな?」と考えた。

プライベート用、愚痴垢、仕事用・・・公私に渡りたくさんのSNSを使い分けているうちに、仕事用のアカウントで発信したい言葉と、プライベート用のアカウントで発信したい言葉が同じ物になる時がある。

そんな時はきっと、公私を分ける必要もなく、全てにおいてバランスよく心を保てているのだろうけど、では、プライベート用のアカウントは果たして必要なのか?と自問自答が始まる。

そうして何度も、完全プライベートを称するこのnoteや、cona名義のSNSアカウントを消してしまおうか?と思案に暮れる。

考える事をやめ、数ヶ月経つころにふとのぞきに来ると、これまで自分が苦しんでいた事や考えていた事、幸せだった日の事が細やかに綴られ、お気に入りの写真が、お気に入りのフィルターでコーティングされてきちんとギャラリーに並んでいて。

やっぱりここは、例え更新せずとも私の人生に在ってほしいのだ。

そう気づく。そして、消すのをやめるのだ。

美しい日本語や感動を誘う文章と出会った時も、ふと戻ってきたくなる。

あんな風には描けなくても、この場所に、今の自分の気持ちを綴りたいと思うのだ。

ここには、
今読んでも心臓を握りつぶされたかのような痛みを伴う記事もあるし、今の自分とかけ離れた理想や夢が語られていて気恥ずかしい、厨二じみた記事もある。

下手くそな写真や、どうしてこのアングルだったのかわからない写真を、大切に飾ってあったりもする。

そんな私個人の移り行く様を、誰にも知られなくてもいいし、知ってくれたらそれでもいい、贅沢を言えば、同じような闇に直面し、生きる力を失くしてしまった"誰か"の心に、何らかの反応をもたらす事ができていればなお嬉しい。


これからも、
くだらない事やくだること、時には出かけた場所や見た景色、感じたことや学んだこと、気づいたこと、不思議に思ったことや、他の人にとって何でもないことでも、まるで宝物を見つけたように大袈裟に、ここには時々綴りたいと思う。

インスタグラムのギャラリーにも、引き続き、好きな時に好きな順番で、好きな言葉で、気が向いたら、投稿を続けようと思う。

ただし、これからは、できるだけ優しい言葉で。

この記事を読んで、希望を見出して欲しいとは言えないし、そんな事が出来るとは思わない。

「何言ってんだこいつ。これなら私の人生の方がマシ」とか、そんなんでいい。

それぞれの気持ちで共感・反応・反抗…しながら、その間は一瞬でも、辛いことを忘れていただけたら。

暇つぶしで良いのだ。

そう言えば、そろそろ、鍵をかけていた記事たちも放出していい頃かもしれない。

それらは決して優しい言葉ではないけど、あの日、あの時の私が、まちがいなく心から感じた全てだから。


生きるためにもがいた証でもあるから。

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