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"JR琵琶湖線 運転見合わせ"〜あの雪の夜の話〜


"運転見合わせ中"

2023年1月24日 午後21:00過ぎ。
山科駅改札口付近で呆然と電光掲示板を眺める人々の群れ。

電話で状況を伝えるサラリーマン風の男性。
職員に運行状況を尋ねる若者。
「いつ動く、とは言えない」と困り顔の職員たち。

改札の向こうでは、雪風を凌ぐべく通路壁側に立ち、じっと運転再開を待つ乗客たち。

騒ぎ立てるものこそいなかったが、駅舎は騒然としていた。

●あの日の私。

その日の午前中は、
数日前からTVでしつこく流れていた"最強寒波到来"を感じさせないほど穏やかで、いつもの通り自転車で駅へ向かう事ができた。

念のため、厚底のレインシューズにリュックには折りたたみ傘を忍ばせて・・・

デスクワークに没頭していた15:00すぎ。
お客様が雪をかぶって来店してはじめて窓の外を見ると、京都市内では珍しく大粒の雪が風に流され、ビルの窓に斜めに叩きつけられていた。

「うわ。」思わず声が出た。

雪はそれからも、降ったりやんだりを繰り返し、みるみるうちに京都市内を真っ白に覆い尽くした。

次々と入る"予約キャンセル"の電話。

18:00頃、上司から状況確認と「できるだけ早く退勤するよう」連絡が入り、20:00の予約までにできるだけの閉店作業を済ませる事にした。

彼も大雪のため仕事にならず、定時より前に帰宅する旨連絡があった。

電車は動いているだろうか・・・

「帰れるか?」彼からのLINEに『多分大丈夫。』と返答したものの、不安は募る。

20:00。
時間になってもお客様が来ないため連絡すると、「キャンセルを忘れていた」と返答が。

"それが早くわかっていれば帰っていたのに!"

多少の苛立ちを覚えながら急いで閉店し、店を飛び出した。


「京都まで迎えに行く」と彼からのLINEに、
山科駅までなら地下鉄で行けるだろうから山科駅まで来てほしいと言う事と、電車の運行情報がつかめない事を伝えながら雪を踏みしめ、歩く。

レインシューズを履いて来たのは正解だった。

10cm弱、積もっていただろうか?

ノーマルタイヤでふらふらと走行する車。
ヒールやスニーカーで慣れない雪道を横断する若者たち…ビニール袋を両足に履いて雪道を凌ぐ強者もいた。

追い討ちをかけるように雪は絶え間なく降り注いでいる。

道は、特に混んでいないように見えた。

Twitterや乗り換えアプリで調べるも、
遅延や一時運転見合わせの状況は、相変わらずイマイチ掴めない。

20:00頃から順次運転を見合わせているらしいが、
琵琶湖線は"止まっている"と言う人もいれば"一時的に停車している"と言う人もいる。

無事に地下鉄に乗り込み山科駅に到着すると、構内は人で溢れかえっていた。

●混乱のJR山科駅

▲午後21:14撮影の山科駅改札付近の様子

真っ先に電光掲示板に目を向けて落胆した。

"運転見合わせ中"
山科駅改札口付近で呆然と電光掲示板を眺める人々の群れ。

電話で状況を伝えるサラリーマン風の男性。
職員に運行状況を尋ねる若者。
「いつ動く、とは言えない」と困り顔の職員たち。

改札の向こうでは、雪風を凌ぐべく通路壁側に立ち、じっと運転再開を待つ乗客たち。

諦め顔で喫煙所に向かう男女。

いつからいたのだろう。
屋根に雪を積らせ、今にも埋もれそうな車が、ロータリーで誰かの帰りを待っている。

騒ぎ立てるものこそいなかったが、駅舎は騒然としていた。

運行情報のモニターには"止まっている区間"を示す赤線が琵琶湖線だけでなく周辺の路線にまで伸びていた。

全てに運転見合わせ、もしくは遅延が示されている。

不安がよぎる。

彼は雪道の運転には慣れており、
わが家の車は去年、念のためスタッドレスに履き替えさせてある。

それでも私は心配だった。

滋賀〜京都へは山を超えなければならないが、他の車も備えが万全とは言い切れない。

立ち往生による渋滞に巻き込まれれば動けなくなるだろうし、事故に巻き込まれる可能性もある。

電車が動いているのなら、せめて大津あたりで合流するよう提案しようと考えていたのだ。

だめか・・・
京阪京津線は動いているようだが、この分だと狭いホーム・4両ほどしかない車両に大勢の人が押しかけ満員だろう。

そして京阪とて、停車しないと言う保証はない。

どうするべきか思案していると、携帯が鳴り始めた。

●大渋滞発生と満員の京阪京津線

着信を見て驚くと共に、妙な安心感を覚えた。
相手は"お義父さん"だ。

彼と共に大津を出て、こちらに向かっているのだとわかった。

義父も雪道での運転には慣れており、私たちより数年先に移住しているため、大津市内の抜け道にも詳しい。

一気に心強さが増した。

「1号線が大渋滞で全く動けない。
高速を使おうとしたが通行止めでUターンした!
なんとか滋賀方面へ近づいて来れないか!?」

『わかりました!京津線が動いているのでとりあえず浜大津を目指します!』

意を決して満員のホームから京阪京津線へ乗り込んだ。

予想以上の満員だった。
4両編成の車内に、隙間もなくぎゅうぎゅうに詰め込まれ、更に入口付近から強い力で圧をかけられる。

手に持っていたリュックの肩紐が後ろの人と座席の間に挟まり、お互い謝りながら何とか引き抜いた。

皆、不測の事態に巻き込まれたお互いへの労いの気持ちからなのか車内に意外にも殺伐とした空気はなかった。

この大雪の中でも電車は力強く、
そこそこのスピードで大雪の中を駆け抜けて行く。

途中、立ち往生しているのであろうJRの車両が見えた。

隣を走る道路では、車の列がのろのろと動いている。

揺れに巻き込まれないよう踏ん張り、びわ湖浜大津駅では逆の力に吐き出されるようホームに降りた。

人の群れは全く動く気配がない。
出口へ向かおうと足掻くも、人の壁が立ちはだかり歩く事もままならなかった。

『着きました!びわ湖浜大津です!』義父にLINEを入れると、すぐに着信があった。

「まだ渋滞にはまって警察署までも来れていない。
その先へ行く電車はないのか?」

するとそこへタイミングよく滑り込んでくる石山坂本線の車両。これ幸いと乗り込み

ーーーーーーいや、もはや人混みに流され"乗せられた"と言う方が正しかったかも知れないーーーーー

満員の車内で警察署付近の駅を検索し、「京阪膳所で降ります」と連絡を入れた。


●京阪膳所駅にて

気持ちはボロボロ。
髪もボサボサでコートは雪まみれ。

隣接するJR膳所駅のホームには、立ち往生と見られる車両が停車し、出発を待っていた。

▲出発を待つJR琵琶湖線車両


ふらふらで京阪膳所駅に降り立つと、ものの数秒で彼の運転する車がロータリーへ滑り込んできた。

「良いタイミングやった!」そう言って平然と運転する彼と「大変だったな」優しく声をかけてくれる義父。

もう大丈夫だ・・・どんなに安心しただろう。

22:08。
この頃には既に大津市内の渋滞もほとんどなくなり、いかに大津市内が渋滞していたかを興奮気味に語る義父と彼の話を聞きながら、無事に帰宅する事ができたのだった。

●私が帰宅できたのは"たまたま"だった

彼は当初、
1人で京都へ向けて出発するつもりで義実家へ出向き、車を使うべく義父母に声をかけて駐車場へ向かった。

車に積もった雪をはらっていると、後ろから義父がスノーブラシを持って追いかけて来て、同乗してくれたと言う。

息子である彼の事はもちろん、私の事も"家族,として心配してくれたのだろう。

優しさが嬉しかった。


コートを脱いでひと段落した後、
改めてTwitterを開き、情報収集を始め、たくさんの人々が車内に閉じ込められている事を知った。

電車が止まったのは、やはり20:00頃らしい。

一方、国道1号線、京都〜滋賀間に位置する逢坂山付近では、トラックが立ち往生し渋滞が発生していた。

もし、20:00に来店予定だったあのお客様が、あらかじめキャンセルの連絡をくれていたら、私は19:00頃、微弱ながら動いている琵琶湖線電車に乗り込み、立ち往生に巻き込まれていたかも知れない。

彼の方も、それより早く迎えに出ていたら、逢坂山で渋滞に巻き込まれ、義父と共に車内で立ち往生していたかもしれない。

私が何事もなく、無事に家に辿りつけたのは"たまたま"だった。


Twitterに次々と流れて行く、車内からの悲痛な声。

中には立ったまま何時間も車内にいた人や、体調を崩す人もいるらしい。

「トイレに行きたい」と言う声も上がった。

携帯のバッテリーが切れ、連絡のつかない子供や妻・夫心配し、「降ろしてあげてほしい」「ゆっくりでも最寄駅まで動かせないのか」と言う家族の声。

"最強寒波"がもたらしたあの雪の夜、車内で一夜を過ごすこととなった人たちは、どれほどの不安や恐怖を感じながら朝を迎えたのだろう・・・

帰る術を無くした人たちは、あの後、どうしたのだろう。


一夜明け、テレビでは一斉に"JR運転見合わせ・車内閉じ込め"が報じられた。

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