えちごくびきのウルトラマラソン(100k)への参加と、スタート前にやらかしてしまった、とんでもない失態の顛末
2010年10月に初参加した「えちごくびきのウルトラマラソン」。
今年10月9日に参加してきました。実に12年ぶりです。
2010年の時は13時間18分でゴール。これは私の過去の100キロのウルトラマラソンで最も早くゴール出来たベストタイムになります。5つの峠を越えるこのコースは制限時間が13時間半であることも併せて、なかなか私に取っては手強い大会と言えます。
コロナ禍の3年間のブランクを経て、果たしてこの大会で完走が出来るのか?
強い危機感のなかで、8月以降は月間300キロ走破を目標に掲げ、完走を目指してきました。果たして「えちごくびきの」で、どのくらい走れるのか? 私の現在地を知る上でも、とても楽しみでした。
ところがです。
そのスタートラインに立つ以前に、とんでもない失態をやらかすこととなりました。恥をしのんで、これからその話をします。
大失態の顛末
私のスタート時間は4時30分。
ウェーブスタートの一番早い組です。
ホテルのある上越妙高駅前からは、会場行のシャトルバスが3時30分に出る。
だから余裕を持って2時にタイマーをセットする。
夜中の0時過ぎに一度目が覚めて、時間を確認してからまた眠りにつく。
そして次に目覚めたときに、時計に目をやって、心臓が止まりそうになった。
時計が示す時間は、4時30分。
え~~~~!
もうパニックです。
4時30分は、私のスタート時間。
頭の中には絶望感。
ここを目標にして練習してきて、スタートラインに立てない!
いったい私は遠い「えちご」まで交通費も使って何しに来たんだろう。
一緒に来たみんなが走っている間、私は今日どこでどう過ごせばいいのか?
100キロを走り切ったら祝杯を上げて、翌日は観光して帰るという幸せなプランはもろくも崩れ落ちたのです。
そんな時、同じ100キロに参加する友人KからグループLINEで「もうすぐスタート。思ったより寒くない」との書き込みが届く。彼はウェーブスタートの2組目で5時ちょうどのスタートなのだ。
そうだ、彼はまだ私がここにいることを知らないのだ。とりあえず、事態を知らせようと思い、私はまだホテルの部屋にいることを伝える。
「ウェーブスタートの最終組で間に合わないかな?」とKから返信。
「いや、でももう会場までの足がないし」と折り返す。
「シャトルバスに間に合わない?」とK。
その時に、やっと冷静に頭の思考回路が働いた。
そうだ、私は自分の本来のスタート時間に合わせた3時半のバスのことしか頭になかったけれど、考えてみれば30分ごとのウェーブスタートだから、それぞれの時間に合わせてバスは出ているはずだ。
駅前広場の見える窓のカーテンを開ける。
眼下には待機する数台のバスが。
時計を見ると4時40分。
間に合うかもしれない。
弾けるように体が動き出す。
10分で走れる準備を整えて部屋を飛び出す。
エレベータを降りて、バス乗り場までダッシュ。
4時55分に、なんとかバスに乗り込むことに成功した。
バスの出発時間は5時10分だった。会場到着は5時30分。バスの中から夜明けの空に映るえちごの風景が、なんとも美しかったのが記憶に残る。
バスを降りて受付へ駆けつけ事情を話すと、5時30分の組はもう間に合わないので、次の6時の最終組でスタートするように指示があった。そうか、4時半のスタートが6時なのか。90分遅れのスタートだ。ウェーブスタートだけど、関門も最終のゴールタイムも変動はしないのだ。つまりゴールするまでに14時間与えられていたはずが、12時間半しか無いということになってしまうのだ。もちろん途中の関門も1時間半遅くなるわけではないのです。これは厳しい。
しかし、一度は感じた絶望感を思えば、こうしてともかく「えちご」のスタートラインには立てるのだから、ほっとした救われたような気持の方が強かった。必死で走ろうと思った。
スタートしてからのこと
90分遅れのスタートだから、当然関門がきつくなる。
ゴールがどうとかよりもまずは関門を一つずつクリアして、行けるところまで頑張ろうと思った。
元々のレースプランは、平坦なところが多い最初の15キロはキロ7分で行こうと考えていた。しかしそんな事は言っていられない。スタートから6分30秒で進む。私のとってウルトラマラソンのペースとしてはかなりハイペースだ。しかしこの状況では最初から全力でゆくしかないのだ。
この時の私の心境は、寝坊した後悔よりも、今走れていることの喜びの方が勝っていました。かなりテンションも高くなっていたと思います。
しかし、この最終組でスタートするランナーたちは、元々12時間半でゴールする設定でいた人達だ。このえちごのコースを12時間半以内と言うのは、相当な走力である。当然のこと、スタートして1キロも進まないうちに私は置き去りにされる。
スタート直後から単独走である。そして私のすぐ後ろにはスタッフの乗る車と、救護車の2台がピッタリとついてくるのだ。つまりスタートからずっと、ダントツの最終ランナーとして走ることになったのだ。
えちごくびきのは地域を挙げて大会を盛り上げていて、主要なエイドステーションでは20人から30人もの地元のボランティアスタッフがランナーを出迎えてくれるのだ。そこへ大きく遅れた、いや私としてはけっこう頑張ったペースなのだが、結果的には一人大きく遅れて走り込んで来た私を、盛大な拍手で出迎えてくれるのだ。まるでゴールシーンのようだ。
いや、これはありがたいのだけど、そもそも「実は寝坊したもんで」なんて言えないし、なんとも複雑な気持ちでエイドに到着して、そしてまた大きな拍手と激励を背中に受けて出発すると言う、なんとも不思議な光景となりました。
さて6分30秒で走りながら、このままゴールまで行けたら余裕で完走だなあなんて思ったけれど、そんな訳も無く、10キロを過ぎたあたりから徐々に足は重くなり始める。それでも粘って15キロ地点では平均6分36秒でした。
15キロ少し手前から、目立たないけれど、緩い登りが度々登場するようになって、ペースの維持がきつくなってきます。それでも15キロ過ぎたあたりで、先行するランナーを一人抜くことが出来て、最終ランナーのポジションから抜けられます。正直ほっとしたし、嬉しかったです。それからはポツポツとペースダウンした先行ランナーを抜くシーンが増えてきます。これが新たなモチベーションになりました。
30キロ地点の平均ラップを確認すると、7分をちょっと切るぐらいでした。私の走力としては上出来です。
第一関門 牧区総合事務所(36.8km)をクリアします。まずひとつ通過。
ここまでは緩く長い登りが続きましたが、なんとか歩かずに頑張りました。しかしこの先はすぐに1つ目の峠に差し掛かります。かなりの傾斜です。もう走れません。ひたすら歩き、峠からは一気に駆け下ります。
下りたらすぐに2つ目の峠が待っています。この2つ目の峠を下ったところに第二関門 海洋センター(47.4km)があります。第二関門はどうしても超えたいと思いました。ここを超えれば100kmのうち半分以上は進めたことになるのです。
登り坂を早足で歩きながら「12年前の時はこんなにきつかったかなあ? 少しは走れてたような気がするけれど」などと思いながら進みます。
峠の少し手前に42.195キロの表示がありました。時計を見るとスタートしてから5時間20分を指していました。峠の登りを歩く分、どうしても時間を食います。
第二関門 海洋センターは15分の余裕で通過できました。ここで5分ほど休憩して先を急ぎます。しかし疲労度は高くなってきていて、平地でももう今までのようには走れません。この時点で次の関門時間とそこまでの距離を確認すると、もうほとんど厳しい。65キロの関門で終わるのかな? そんなことが頭をよぎり始めます。
55キロエイドで受けた地元の中学生たちの声援と、突然の時間切れ回収
川沿いの緩い坂道を下っていくと、川の向こう岸に55キロの大島のエイドステーションが見えてきます。エイドへは少し先の橋を渡って左回りでUターンする様に入るのだが、ちょうど対岸のエイドの見えている方角から、はっきりと大きな声で激励の声援が聞こえてきます。
川の向こうのエイドまではかなりの距離があって、100~200mくらいはあるだろうか。その距離を超えて何度も声援が聞こえてくるのだ。橋を渡りそのエイドに辿り着いてみると、その声援の主は6~7人のジャージを着た地元の中学生達だったことがわかりました。なんだかとても嬉しい気持ちになりました。近ずいて「ありがとう、力になったよ」と声を掛けたその瞬間に、うるっと来て涙が出そうになりました。るとても心に響く暖かい声援でした。
エイドや沿道で受ける暖かい拍手や声援こそが、この大会の魅力なのだと改めて思いました。
さて、そこから4つ目の峠を越えて下り坂を進んで行るときのこと。もう60キロのエイドが近いかなと思った頃でした。突然にスタッフの車が目の前で停車して、もう関門時間だから車に乗ってくださいと言われます。
65キロでは関門アウトは覚悟をしていたけれど、まだその関門時間にはまだなっていなかったので、「え?」と思ったけれど、どう考えてもその時間に関門には辿り着けないことも確かなので、回収されるのも仕方ないかなと思いました。
ちょうどGPSの距離は60.2キロを示していました。
私のえちごくびきのはこうして突然の終了を迎えました。
予定通りにスタート出来ていれば、次の関門を余裕でクリアして85キロくらいまでは行けたのかな。しかし、足の疲労度を冷静に考えると、時間内ゴールは厳しかったと思います。あの絶望的な状況からよくここまでと言う気持ちと、「やっぱりりここで終わるのは寂しいなあ」と言う思いが半々でした。
12年前よりも、明らかに峠はきつかったです。これはその12年間で走力がそれだけ落ちたことを意味するものでしょう。しかしコロナ禍で落ち込んだ走力が、少しは戻ってきていることも確認できました。これで終わりではないので、落ち込まずに前へ進みたいと思います。
次のウルトラの予定と、寝坊の原因
次に100キロを走るのは1月15日の「TOKYOウルトラマラソン」です。江戸川の土手を走るフラットなコースなので、ここでは必ず完走出来るように練習したいと思います。そして2年後には、またこの「えちごくびきの」に来て今度はしっかり完走したいと思います。
ところで、朝予定の時間に起きられなかった原因ですが。
2時にアイフォンのアラームをセットしたつもりでした。止めてまた寝てしまわないように、2:00から5分刻みで5本セットしました。いやしたつもりだったのですが。
セットされていたのは14:00からになっていたのです。2時に起きるのに、14時にセットしてしまったのです。私はタイマーが鳴っても気が付かずに起きられなかった事はありません。しかし、14:00のセットでは2時には鳴りません。 考えられないようなミスが発生したのです。その時私の頭の中でどんな思考が働いていたのでしょうか。たぶん今回のことは一生忘れられない苦い記憶となることでしょう。次はしっかり対策を考えたいと思います。
しかし、ウェーブスタートだったのおかげで、この越後に60kmとは言え、足跡を残すことが出来て本当に本当に良かったです。打ち上げしながらそう思いました。
LINEで「まだ間に合う」と知らせてくれた友人Kには、本当に感謝です。