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東海道53次の旅 三重県桑名〜日永追分2022.09.19(3日目/3日間)

9月19日は3日間の東海道の旅の最終日です。
台風14号が接近中で、最悪日本列島縦断の可能性もあったこの3連休。最初の2日間に関しては「あれ? 台風いなくなった?」という感じで、風もなく雨もほとんどなく、暑かったけれど計画通りの旅が進みました。しかし、いよいよ9月19日は台風が九州から山陰地方に向かう状況となって、さすがに朝から強い風と、時折激しい雨が繰り返すいかにも台風接近を思わせる天候となりました。関西本線は夕方から、新幹線も西の方は計画運休が発表されていて、帰りの足も気になります。まあ行けるところまで行くけれど、時間と情報に気を付けながら、旅を続けます。

まずは七里の渡しの三重側の船着き場である桑名まで、名古屋から近鉄電車で移動します。名古屋は大きな川が多くて、木曽川~長良川~揖斐川と電車は渡っていきます。桑名はちょうど長良川と揖斐川が合流する辺りにありますが、七里の渡し跡からはその合流地点を見ることができます。


近鉄桑名駅からまずは、桑名の元船着き場を目指す。
あまりにも有名な「七里の渡し」
手前が揖斐川、右上に見える堰のあるのは長良川。
長良川に造られた堰
中洲の先が揖斐川と長良川の分岐点。向こう側を流れるのが長良川。
ここを船で渡ってくるのは難儀だったろうと思う。
この辺りが船着き場だったようだ。
桑名には運河のように水路が多い。


まずは桑名を出ると、四日市を目指します。途中からJR関西本線と、近鉄名古屋線の間のエリアを進んでゆきます。国道1号線もあるけれど、旧東海道もその近くを古い街並みを残しながら続いています。

実は今回3日目の目論見としては、亀山宿辺りまで行ければと思っていましたが、桑名~亀山は軽く40キロを超えそうな距離があることと、時間とともに雨足も強くなってきたこともあり、なんとか四日市までは行って、適当なところで終わりにしようと思いながら先へ進みました。四日市だとJRと近鉄の二つのルートがあるので、この辺までにしておく方が帰り道も心配がないかなと言うところです。


国道1号線を行く。もう少しで400キロ。


近鉄朝日駅駅の前を通過。
四日市市の中心を過ぎてしばらく進むと、日永一里塚跡に到着。
実は、江戸(日本橋)からちょうど百里目の一里塚でした。400キロです。
一里塚の少し先に、日永追分。左が伊勢への道、右が京への道の分かれ道。
お伊勢参りも盛んだった江戸時代は、交通の要所だったのでしょうね。
四日市あすなろう鉄道の追分駅前を通る東海道。ここが今回のゴール。
あすなろう鉄道は、小さな車両が可愛らしい。
追分から四日市までこの電車で移動。写真は四日市駅。
さあ、次回は鈴鹿を超えて滋賀県へ。


結局、今回の旅のゴールは日永追分(ヒナガオイワケ)駅となりました。追分とは街道が二股になっている場所を言いますが、この日永にある追分はお伊勢参りの伊勢参宮道と東海道の分かれ道なのです。江戸の市民にとって、お伊勢参りは人気の娯楽だったと聞きます。旅人も多かったでしょうから、この追分は交通の要所ということになります。この追分のすぐ近くに「四日市あすなろう鉄道」の追分駅があるので、ここをゴールとしました。最終日の走行距離は23.7キロでした。これで3日間のトータルは108キロになりました。その後、四日市満天の湯でお風呂に入り、そこで打ち上げも済ませました。

ところで、この追分に着く少し手前にあった日永一里塚。実はここが日本橋から数えてちょうど百里目の一里塚なのです。百里だから4キロ換算で400キロになります。なんだか大きな区切りを超えられた気がします。日本橋から京都までが500キロとして、残り100キロですね。ようやく先が見えてきた気がします。次回は11月4周目の週末に決まりました。追分からいよいよ鈴鹿峠を越えて滋賀県まで行く予定です。そうすれば京都までは目と鼻の先。ゴールが見えてきました。

さてここまで進んだ東海道の旅ですが、あちこちの区間でラン友さんが参加してくれています。静岡県では三島市在住(当時)のYさんに、静岡市在住のAさん。そして愛知県では三重の伊賀在住のUさん、そして四日市市在住のLさんにFさん。特にFさんは四日市市内で雨中ランの最中に偶然遭遇し(Lさんのご友人)、その後追分までご一緒いただきました。
ゲストの皆さんありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

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