グッバイ宣言とすゑひろがりず
あいもかわらずすゑひろがりずが好きだ。5月30日に公開された「グッバイ宣言」のカバー動画が心に迫る。ボーカロイドが歌う原曲に、すゑひろがりずが和風変換を施し、南條が高らかに歌い上げる。
ステイホームの時流を思わせる原曲。すゑひろがりずの手にかかれば「引きこもり 絶対ジャスティス 俺の私だけの 折の中で」との歌詞は「ご隠居 あっぱれ見事 我の妾のみの 簾の内にて」に変換される。私には、「あつまれどうぶつの森」を実況していた頃のすゑひろがりず、特に「に島のなんぜう」が想起された。第1章の、おしゃれで献身的な「に島のなんぜう」。三島が操作する「上様」を甘やかしつつも、やいのやいのとかけ合いを繰り広げながら、2人のキャラクターが架空の島を走り回る様がどうにも牧歌的で、いま見返してもやはり楽しい。「城に籠りて 奮い立つ」、自粛期間中のすゑひろがりずの過ごし方が「あっぱれ見事」であったことは誰の目にも疑いようがなく、そのあたりが、生き急ぐようなスピードで流れる「グッバイ宣言」の旋律と重なり、なんとも深く響くのだ。
念のため、誤解無きように書き添えておきたいのは、私はあくまで「に島のなんぜう」はSwitchの中の虚構の世界の住人として捉えているということだ。語弊なく伝えられるかどうか不安ではあるが、すゑひろがりず南條とイコールのものではないと思っている。ボーカロイドが発する歌声と、サンプリング元の声優のものとが決して同一視されないように、ちょうどそんな関係性に近いのではないかと感じているところだ。
ABCテレビ「やすとものいたって真剣です」、『すゑひろがりずの「東海道五十三次ドライブ旅」』で見られるように、すゑひろがりずの魅力が、和風変換と小鼓の音にとどまらないことは、最近ではテレビでも周知されるようになってきた。「伝統芸能風」が時折おざなりになる感じ、素のトーク部分のおもしろさもファンならとうに知っている。
そこへ来ての、和のカラーを全力で覆いかぶせた「グッバイ宣言」。この度それを歌い上げているのは、間違いなく南條庄助その人なのだけれども、息継ぎも高音も物ともしないボーカロイドと対比するかのような、生身の人間の肉声が耳に残る。威勢よく始める「ひぃふぅ」。この声はおそらく、機械にはまだ出せない。
和風変換マシンでもなく、かといって素の振る舞いの範疇にもない。幾重にも層をなす、この妙がすゑひろがりず。これを解き明かすには、まだまだ再生が足りないようだ。
あとがき
「祝おう」が転じて、「いよぉーっ」。「よーよーよー 時は熟せり」のところが好きです。替え歌と言ってしまえばそうなのかもしれませんが、どことなく大人の流儀を感じる「おさらば宣言」の和風変換、ずーっと聞けてしまいます。
さて、すゑひろがりず南條さん、本日6月3日お誕生日です。昨年も同じタイミングで記事を投稿しているのですが、そこから1年経ったのだなあと思うと感慨深い。現在、結成10周年のツアー「諸国漫遊記」の最中でいらっしゃいます。全国8か所公演、8月8日の千穐楽まで無事に迎えられることをお祈りしています。
5月25日の横浜スタジアムでのセレモニアルピッチ、すごく胸に迫るものがありました。著名人の始球式なんて至るところで日々行われているものだから、朝のニュースなんかでその様子を目にしても、ありふれたものになってしまっていて、感情が動くことはそう多くない。すゑひろがりずの始球式は、南條さんが大事に臨んでおられることがずっと伝わってきて、ひとの夢がかなうところ、そんな表現でいいのかどうか分かりませんが、見ているこちらの気持ちも動きました。
「私みたいな素人が一発で真ん中いけるような甘い競技ではないので」[4]。悔しい思いのすぐ後にこういうことがいえるのは、重ねられてきたお人柄だろうなあと。スポーツの世界がつくる、一番きれいな部分をみた気がします。
出典
[1] YouTube「グッバイ宣言 / FloweR」(2020.4.13)
[2] YouTube「グッバイ宣言 /すゑひろがりず【和風変換して歌ってみた】」(2021.5.30)
[3] YouTube「【あつまれどうぶつの森】#23 すゑひろがりず、2人揃いました【狂言風ゲーム実況】【あつ森】」(2020.4.24)
[4] YouTube「【神回】初セレモニアルピッチ(始球式)の裏側に完全密着!【大公開】」(2021.5.29)
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