東京一人暮らし。
わたしが東京にでてきたのは大学入学のときだった。
夢と希望を胸に馳せ、新幹線に乗った。新幹線の車窓から富士山が見える頃、ふっと気づいたことがある。
それは、「もう二度と家族と一緒に、同じ家で暮らすことはないのか」ということ。
「もう二度と」というと大袈裟かもしれないし、望めばいくらでも実家に戻ることはできる。それに両親の老後の世話をするために実家に戻ることもあるかもしれない。
しかしある決意のもと、東京行きの新幹線に乗った当時のわたしにとってそれは「もう二度と」だったのだ。
家族大好き人間だったわたしにとって、それは一大事であり、そんな衝撃的事実を目の当たりにして、新幹線の車内で静かに涙した。
むしろその時点に至るまで、その事実に気づかなかったことこそが衝撃的事実だったのだが、どうしても叶えたいと思う「夢」がわたしをそうさせていたのだと思う。
わたしが東京に着いた翌日、母は入学式や引っ越しの手伝いのため東京にきた。1週間くらいの滞在の中、母は引っ越しの片付けをしたり、一人暮らしをする上でのアドバイスをくれた。
そして最終日、最寄りのJRの駅で母を見送った。手を振り母が歩き出してから、堪えていた涙が一気にあふれてきた。
それは、大失恋のような悲しさがあった。
今でも実家に帰ると時々、母とこのときの話をする。あのとき、母も泣いていたとことも、話してくれた。
そんなときは決まって、涙があふれてくるし、今でもこの話を書きながら、泣いている。
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勘違いしていただきたくないのが、これはマザコンの話ではなく、東京で生きていくための原動力の話であるということ。
あの日から今日まで、東京で見えない何かと戦っている。