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「5歳の母のおうちリベラルアーツ」シリーズはじめます。

未就学児や低学年児の保護者の方からのお問い合わせやご相談を頂く機会が増えてまいりました。
そこで「5歳の母のおうちリベラルアーツシリーズ」をはじめます。
ライターは、5歳のお子様の母である田渕由記さんです。

私がライターに挑戦する理由

はじめまして。田渕由記と申します。プライベートでは、5歳の娘の母として毎日子育て奮闘中です。
今回、ライターとして「書いて伝える」挑戦をはじめます。
けれども実は、言語化し伝えるということに対して非常に苦手意識があります。
大学在学時には、卒業論文発表の席で、担当教授から「評価に値する調査内容だったものが、残念な発表になってしまった。」と落胆の表情で告げられてしまった経験持ちです。

そんなトホホ経験の後も、社会人としても保護者としても、その不得意な「書いて伝える」場面からは逃げられず、それどころか言語化し伝える重要性を痛感する日々です。

どんな場面でも、他者と気持ちよく協働するためには、自分の考えや気持ちが相手に伝わりやすい言葉を選ぶことで、交渉も対話もうまくいく場合が多いと考えています。

頭の中で思いをめぐらせていても、その力は上達しない。
それは身にしみてわかっています。

だからこそ、この場で子育てにおいて自分が学んだこと、考えたこと、そして気持ちを書いて伝えることに挑戦しつつ、 同じ年頃のお子さま子育て中の皆さんにもシェアできたらと願っています。

Co-musubi を知ったきっかけ


私はいま、新しい教育の動きにとても興味があり、あるオルタナティブスクールのクラウドファウンディングに参加しました。
そのサポーターグループの自己紹介欄で、オンライの学びの場である Co-musubi (一般社団法人ダイアローグ・ラーニング)と、その創業者である井上さんのことを知りました。

Co-musubi は、リベラルアーツからそのエッセンスを抽出し、学びのテーマ設定やプログラムデザインされているそうです。



私は、正解がない(自分たちで都度ベストorベターな答えを出す必要のある)社会において、Co-musubiでの学びは重要になってくると考えています。

なぜなら、相手の主張を聴き対話する中で相手を理解すること、そして自分の主張も大切にしながら建設的な学びや議論する経験を積むことができるからです。
正直なところ、私自身がその学びに参加したいほどです。

私自身、30歳を過ぎ仕事で参加したプロジェクトの中で、ヨーロッパ出身のメンバーたちの言語力、思考力に圧倒された経験があります。
本人にとって耳が痛いような意見でも
「Thank you for your suggestion!」
とさらり返したり(意見と人格をきちんと分けて理解できているからこそ!)、空気を読んで折衷案で妥協するわけでもない。

感情に流されず、データを用いつつ議論を交わし、よりよいプロジェクトに昇華させていくそんな彼らが新鮮で、眩しく憧れのように見ていました。

また彼らとのやり取りを通じて、自分が無意識に設定した枠の中で物事を考えていたと気付き、ハッとする瞬間が何度もありました。

彼らに近づきたくてリサーチする過程で、欧米ではリベラールアーツやランゲージアーツなどの教育を受けて育っていることを知りました。
知識として学ぶことで、メール対応など時間をかければなんとかなりましたが、即レスが必要な議論の場では、彼らとの力や経験の差を痛感させられました。
その自分の経験を通じ、子どもの頃からリベラルアーツ教育を受けることは本当に重要だと思ったのです。

思い切ってコンタクトしたきっかけ


ある時、探究学習の未来をテーマとした井上さんと議員の方の対談に参加しました。
その中で、現在と未来の日本の教育をよりよくするために動いているお話を伺い、「子どもが5歳だから今はまだCo-musubiには参加できないと、ぼーっと待っているのは違うな、私もなにか活動したい!」と強く感じ、以前から興味のあった井上さんの活動へ「参画をしたい」と、完全に勢いで問い合わせフォームの送信ボタンを押しました。

実際の面談の場で、私が「活動へ参画したい」と告げると、井上さんは私のバックボーンを聞くこともなく、
「ありがとうございます。」と受け入れて?くれ、逆に私のほうがびっくりしてしまいました。
それを井上さんに伝えると
「何か困ったことが起きたら対応すればいいから。」
とニコニコされていて、トラブルに対応する力がないから先回りする性格の私は度肝を抜かれました。


井上さんとのお話からの学び


この面談の中で3つ、印象的だったことを書いてみたいと思います。

マズローの欲求段階説を子育てにあてはめて考えてみる

マズローの欲求段階説自体は聞いたことはありましたが、子育てにあてはめて考えたことはありませんでした。
幼少期の子育てでは、まずマズローの欲求段階説の中の「欠乏欲求」(生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認欲求)を満たす関わりを意識してみる。すると、時期が来れば子どもは成長欲求の段階に移行し精神的な自立(自己実現を目指す)をするのだそうです。

Co-musubiのスライドより



子どもに「何の習い事をさせるか」「友達と遊ばせよう」と外部的なWhatを優先し考えるより、我が子が見てほしいものをタイミングを逃さず見て、我が子をよく観察して、承認欲求を満たすことに力を注いでみよう、と思いました。
承認欲求を満たす言葉やタイミングについては、自分の語彙の少なさを補うために、 ダナ・サスキンド.3000万語の格差――赤ちゃんの脳をつくる、親と保育者の話しかけ』を再読し、自分でも使えるようにしようと決めました。



観察する力を養う

小さい頃からいろんなものをいろんな角度から観察する経験を重ねることによって、観察(ものの見方)の型が自然と養われてくるそうです。
(例えば、ただ葉っぱを葉っぱと認識するだけではなく、触ったり、裏をめくったり、匂いを嗅いだり、他の葉っぱとの違いを比べたりすることができます。)

今は先行きが不透明で、将来の予測が困難な時代と言われてます。
でも、この観察する力が養われてくると、一見複雑に見えるものでも、単純なものの組み合わせでただ複雑に見えていただけだと気づき、糸口が見えるかもしれません。

また佐宗邦威著書『模倣と創造』にも、

「構造がわかると、ちょっとずつ組み換えて、段々新しい発想ができるようになってきて、ついには独自の考え方をつくるまでに成長していくのです。「まねる」ときに大切なのは小さな違いまで観察すること(省略)」
「模倣と創造」(p029)

とありました。

つまり、観察する力は創造する力にもつながっていると考えられます。

先回りしてリスクを回避する方法では、変化のスピードにおいつけず疲弊することが多い時代になりました。

これからは、発生した事象に対応する方法を創造する力がより重要になってくるからこそ、子どもと一緒に、親の私もさまざまな角度から「よくみること」を意識し、観察ができるようになりたいです。


依存せず助け合う

私はいままで「人に迷惑をかけるべきではない」と思い込んで生きてきました。
けれど、そもそも人によって迷惑の定義も違うので、結局は「誰にとってなにが迷惑なのか」がよくわからいのが現状です。

その曖昧な言葉が自分の中で肥大した結果、私は「自分のことは自分でする」という行動をとってきました。
そんな感じなので、人に頼るのも、人から頼られるのにも慣れておらず、頼られると漠然と不安になるし、本当は引き受けたくないリクエストをうまく断ることもできずにいます。

でも、子育ては助け合いがあったほうがきっといいと感じています。
Co-musubiでは、
It takes a village to raise a child.ひとりの子どもを育てるには、村じゅうみんなの力と知恵が必要だ。」
このアフリカの古いことわざを大切にしているそうです。

井上さんが理想とされる「依存せず助け合う」関係に憧れつつ、このプロボノ活動を通じて私も成長したいと思っています。

みなさま、これからどうぞよろしくお願いいたします。

ライター |  田渕由記


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