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Co-musubi保護者の声

オンラインで家庭をつなぎ、日常が「Wonder」であふれるような創造的な学びのプログラムデザインで、親子に並走し続けてきたCo-musubiは、2021年9月で6年目に入りました。
いつも応援下さる皆様、本当にありがとうございます。

節目ということで、「Co-musubiとはどんな学びだろう?」「どんな価値を感じているんだろう?」「どんな保護者におすすめですか?」をテーマに、Co-musubi保護者の皆さんと、振り返りの座談会を行いました。
ぜひごらんください。


「Co-musubiとはどんな学び場ですか?」

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小学6年生の息子に訊いてみたら、
「学校は赤ペンで答え合わせ、すぐに答えを教える。なぜか?を追求しない。どこをどう間違えたのかを自分で確認したいのに「だめだ」と言われる。学校にいるうちに宿題をしたいのにそれもだめ。個人の自由がない。Co-musubiは答えを教えてくれないけれど、自分で考える時間がある。少数で話し合えて何を言っても受け入れてくれる。
と話していました。


大人も子どもと共に学ぶのが特徴的。
探究学習というと、流行りのテーマや大人が教えたいものなどを事前に設定して、今の社会にフィットする子どもを創りたいような戦略が見えてしまうときがある。
Co-musubiは、少数だからこそ、個々の成長曲線を見計らって、その月や週でプロジェクトを組み直していて、実在する子どもベースで創っている。
どこかの誰かの探究ではなく、いま目の前にいる子どもたちに近いプロジェクトだなと思う。
一つ一つのかけらがつながって、カルチべートされる貴重な場だと思っています。


息子は、オンラインの画面を通して、学校以外の自分の居場所の一つと思っていそう。
「これ井上さんに話したい。」「井上さんは話をわかってくれる。」と言っていたのを思い出して、そうだねありがたいねと話したんだけれど、深く深く寄り添ってくれているのを、子どもの方が私以上に感じ取っていたんだなぁと気づいて、涙が止まらなくなっちゃいました。


学校は、指導要領で正解や方向性を目指す設計。
Co-musubiは、多様性がスタンダード。
その時その時の意見で、学びが生き物のように変わっていくのが初めての経験だった。誰の意見も認められる土壌がある。
しかし、大人の自分がそれに気づくのに時間がかかった。
良さそうだと直感していたが、親の自分に染み付いたものを落とし、理解していくまでに時間がかかった。
大人の学びほぐしにすごく価値がある。親自身も生きやすくなった。
中学受験の学校選択にも影響した。
家族にとって学校では味わえない脳や心を使っている。
StudyではなくLearning


我が家は、Co−musubiに視野を広げてもらったな、世界の解像度を少し上げてもらったな、と思っています。
生きていく上で教養が自分を豊かにしてくれるということ、学ぶこと本来のあり方、知ることで見える世界が変わる体験、それらを皆が体現していたことに刺激を受けました。
自分を豊かにしてくれることって他にもたくさんあって、仕事だったり自然だったりお料理だったり音楽だったりして、それぞれに気づかせてくれた恩人がいるのだけれど、Co−musubiでは、そういう各分野を横断して、自分を豊かにする営み/他人との思いやりの循環の大切さを哲学として受け取り、楽になれたような気がします。


「Co-musubiは、誰のどんな課題を解決していますか?」

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我が子は、もともとは周りを見て合わせる子で、Co-musubiがなかったら周りの色に染まり、自分らしさの大切さに気づいていなかったかもしれない。
ある時学校で、友人と違っても自分の意見を言った時に、先生に褒められて、発言力と自己効力感が増した。「自分は自分でいいんだ」ということを学んだ。Co-musubiに参加することで、生活の色合いが変わったと思う。



Co-musubiがなかったら、親の方針が学力偏重になっていた気がする。
どんな人生を歩んでほしいのかを、親が選択肢を持って考えられるようになった。
今では、学力だけがすべてではないと思えるようになった。
学力偏重主義のままだったら、親子関係が上下だったかもしれない。
自分の人生経験に基づき考え、子どもに常に結果を求めていたかも知れない。
それに対し、息子は生きづらさを感じたかも知れないが、その内面にも気づけなかったかも知れない。
そもそも、私とは違う人間なんだと気づくことができた。
本当に、自分と子どもの人生を切り分けることができた。

我が子を理解してくれている人がいるから、子どものことを自分が理解できなくても大丈夫、と思える。



以前は、学校の面談で「発言が少ない」と指摘されていた。
いまでは、段々と自分の発言ができるようになったり、他の発表や意見を、「すごいな〜、」と認めることができるようになった。
Co-musubiのみんなのことをよく褒めていて、自分以外の人のいいところを認めて褒められるようになった。



Co-musubiで、どうしたら人に伝えることができるかを経験し、発表する仕方を学んだ。
自分の意見を持ち、多方面から物事を見て話せるようになった。
親子でいろいろな記事を探し、その裏を考え対話できるようになった。
親の意見をきかず、自分でわかっているからと決め、自分でガツガツ行けるようになった。


「これまでの学びとこれからの学びと」

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Co-musubiは、親の自分にとっても知らないことがいっぱいあって、まずは自分の成長になる。活かしていけば成長するんだと実感できる。
子どもと一緒に学べ、世の中のニュースの見方も変わった。



社会に出て勉強と教養の違いに気づいた
自分は、偏差値社会で生きてきたことに「これで良かったのかな?」と疑問を感じている。大学で学んだことを活かせたり、極めていない負い目を感じている。かつて、ドイツのフランクフルトで出会った若い人に、「何を学んだの?何を今学んでいるの?」と質問されて恥ずかしい気持ちになったことがある。
我が子には、大人になっても自分でも学べる人になってほしいと思う。


かつて優等生だった人たちと今の社会はアンマッチになってきている。

ここから先、生きていくのにもっと大事な力がある。

正解がない。自分で考えて生きる。極めていく人。

Co-musubiは、その土壌を作っている。


「どんな子どもたちに必要だと思いますか?」

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すべての子どもにその機会があったらいいんじゃないだろうか。
勉強の習慣以外にも、哲学的なことや学校で習う一歩二歩入ったところで考える要素があったらいい。世の中にみんなにとってのこんな学びの場があったら、社会は色々変わると思う。



本質的なものがここにある。
Co-musubiのような学びがスタンダードになればいいけれど、物理的に難しい。
Co-musubi単体で見ると、提供できたら有り難い子は、学校では、探究心があるのに枠にはめられて煙たがられたり、少し自信をなくしているお子さんがこういう場に来ると輝くのではないか。

公立の学校には限界がある。
35人の教室で一人の教師がひとりひとりの輝きを見るには、そもそも限界がある。
学校では難しい分、手厚く見る機会としてこういう場があれば有り難い。
親が我が子の本当のところに気づいていない場合も多く、学校でできないから自分はだめなんだと思い込んでしまう子どもも多い。
もっと救える場が広がったらいいなと思う。




みんなに合う学び場ではないかもしれない。
けれど、息子にとっての井上さんは、ヘレン・ケラーにとってのサリバン先生みたいだよねって、他の方が仰っていた。
そんな師に会えるのって、一生に1人いるかいないかだよねって。
Co-musubiがなかったら、私は息子を理解できず距離を置いてたかもしれない。


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Co-musubiの学びのプロセスと目的


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