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アフターAI時代の「編集者」という職業
「ジェネリック◯◯」。
この言葉を最近よく耳にする。医薬品の世界から飛び出し、Z世代の若者たちの間で急速に広がったスラングだ。先日、私はこの「ジェネリック◯◯」現象についてTBSラジオPodcast番組「東京ビジネスハブ」でMCの野村高文さんと語り合った。
収録後、番組を聴いてくれたリスナーの方々から興味深い感想が届いた(太字は筆者)。
「『プチプラ』は今は『ジェネリック化粧品』らしい。ネーミングで印象が変わる好例」
「プチプラよりも『ジェネリック〇〇』の方が印象がよく流行りやすいという話めっちゃ面白かった。アメリカと中国でもそれぞれの言語で同じような流行があるってのも興味深い」
これらのコメントは、重要な気づきを含んでいる。
「ジェネリック◯◯」という言葉の流行には、消費文化の変容や世代間の価値観の違い、グローバルなトレンドの同時多発性など、様々な社会現象が凝縮されているのだ。
そして、このような「ミーム」的な言葉の背後にある文脈を読み解き、整理し、伝えることこそ、編集者という職業の本質的な価値ではないだろうか。
特にAIが日々進化する現代において、編集者の役割は変わりつつある。しかし、消えゆく職業ではなく、むしろその重要性は増しているように思う。
今回は、「ジェネリック◯◯」という言葉の流行を糸口に、AIと共存する時代における編集者の役割について考えてみたい。
「ジェネリック◯◯」現象とは何か
「ジェネリック◯◯」とは、元々は医薬品業界で使われていた言葉だ。特許が切れた後に同じ成分・効能の薬を別会社が安く作ったものを「ジェネリック医薬品」と呼ぶ。それが若者の間で「代替品」を指すスラングとして広がった。
ディスカウントストア「ドン・キホーテ」が展開する「ジェネリックフレグランス」は、この流行の好例だ。高級ブランドの香水に近い香りを2200円程度で提供し、SNSで話題となって2023年秋の発売から約5万本を販売した。
また、料理研究家リュウジさんによる「ジェネリック一蘭」というラーメンのレシピは、YouTube動画で50万回以上再生され、本家一蘭からお礼の手紙まで届いたという。
Z世代の若者たちにとって、「オリジナルのルイ・ヴィトンやシャネルが欲しい」から「ジェネリック・ルイヴィトンで十分」という価値観の変化が起きている。これは単に節約志向というだけでなく、「賢い消費者としての自己アピール」という側面もある。
そして興味深いことに、この現象は日本だけでなく、世界的なトレンドになっている。アメリカでは「dupe(デュープ)」または「dupes(デュプス)」。
中国では「平替(ピンティー)」という言葉が流行中だ。
いずれも「複製する」という意味から派生した言葉で、オリジナル商品にとても似た他社の商品を指す。
言葉の奥にある「文脈」を読み解くのが編集
この「ジェネリック◯◯」という言葉の興味深い点は、「コピー商品」や「偽物」といった従来のネガティブな印象を払拭し、むしろポジティブな意味合いを持たせている点だ。
かつて「パチモン」や「偽物」と呼ばれていたものは恥ずかしいものだった。しかし「ジェネリック◯◯」と呼ぶことで、「賢い消費者だよね」というポジティブなニュアンスに変わった。この微妙な言葉のニュアンスの変化が、消費行動にも影響を与えている。
アメリカではある双子のTikToker(ティクトッカー)が、ルルレモンのレギンスとそのデュープ商品をそれぞれ着て比較する動画が人気を博した。ルルレモンのレギンスが100ドルするのに対し、Amazonで売られているデュープ品は28.99ドルだ。レビューには「ルルレモンのデュープと聞いて買ったけど、ルルレモンより良いと思う」といったコメントもある。
日本でも「無印良品」が、若者の間では「少し価格が高い」と受け取られるようになり、300円ショップの「Standard Products」が「ジェネリック無印良品」と呼ばれるようになった。
これは皮肉なことに、かつて「無印良品」自体が日本の1980年代バブル期に高級ブランド品へのアンチテーゼとして生まれたことを考えると、非常に興味深い現象だ。
このような「ジェネリック◯◯」現象を分析するとき、編集者は単なる言葉の流行を超えて、その背後にある社会変化を読み取ろうとする。
たとえば、「ジェネリック◯◯」が流行する背景には、ショート動画の浸透がある。「高級品の◯◯と、同クオリティーなのに安い」という動画コンテンツは、YouTubeショートやTikTokなどで人気を集めている。企業が店頭で「高級品と同じです」とうたうことはできないが、消費者発信のSNSなら別だ。
また、化粧品業界では「成分指名買い」という現象も指摘されている。特定の成分(レチノールやナイアシンアミドなど)の有無で商品を選ぶ消費行動だ。これは美容系インフルエンサーの発信から広まったと言われており、「ジェネリック◯◯」と同じく、専門知識を持つインフルエンサーが消費者の購買決定に大きな影響を与えている例だ。
良品計画の「無印良品」コスメが急にブレイクした背景にも、SNSの影響がある。「ナイアシンアミド配合で2000円以下なんてコスパ最強」とSNSでバズったことがきっかけだった。情報に詳しくなった消費者は成分名に敏感に反応し、同成分配合の他ブランドとの価格を瞬時に比較するようになった。
編集者はこうした現象を単に「面白い流行り言葉」として捉えるのではなく、消費者心理の変化、インフルエンサー経済の成長、グローバルな情報伝播のスピード、そして資本主義の成熟に伴う消費者の価値観の変化など、多角的な視点・多様な文脈から読み解く。
生成AIと編集者—「具体・現象」と「抽象・本質」の間
生成AIの発展により、テキスト生成は驚くほど高度になった。ChatGPTなどの大規模言語モデル(LLM)は、人間と遜色ないレベルで自然な文章を作成できる。では、編集者の役割は失われつつあるのだろうか?
私はそうは思わない。むしろ、編集者の本質的な価値は増しているのではないだろうか。なぜなら、AIと人間の言語理解の方法には根本的な違いがあるからだ。
AIの大規模言語モデルは、膨大なテキストデータを学習し、単語やフレーズの意味、文法規則、文脈などを統計的に把握することで、人間のような文章を生成することができる。しかし、これは真の「理解」と呼べるものなのだろうか?
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言語学の観点から見ると、言語は「具体・現象」と「抽象・本質」の往復運動の中に存在する。人間は具体的な経験や現象から抽象的な概念を形成し、それを言語化する。また、言語を通じて抽象的な概念を共有し、それを具体的な状況に適用する。
この「具体・現象」と「抽象・本質」の往復運動において、編集者の役割は極めて重要だ。編集者は、具体的な社会現象(例えば「ジェネリック◯◯」の流行)から、抽象的な意味(消費者心理の変化、情報社会の変容など)を読み取り、それを再び具体的な形(記事、書籍、ポッドキャストなど)で表現する。
生成AIがテキストデータから統計的に学習するのに対し、編集者は実社会の文脈や人間の感情、文化的背景を踏まえて言葉を紡ぐ。この差は、特に新しい言葉や概念が生まれる瞬間に顕著になる。
「ミーム」を理解する力
「ジェネリック◯◯」のような流行り言葉は、一種の「ミーム」と言える。ミームとは、生物学者リチャード・ドーキンスが提唱した概念で、文化的情報の単位を指す。言葉、メロディ、ファッション、ジェスチャーなど、模倣によって人から人へと伝わる情報のことだ。
「ジェネリック◯◯」というミームが広がる背景には、単なる言葉遊び以上の社会的・文化的要因がある。例えば、物価高の中での賢い消費の模索、ハイブランドへの価値観の変化、インフルエンサー文化の台頭、グローバルな情報伝播の加速などだ。
こうしたミームの背後にある文化的背景や社会的文脈を理解するのは、人間の編集者が得意とする領域だ。なぜなら、それには実社会での経験や人間関係、文化的感性などが必要だからだ。
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生成AIは、すでに広く記述されたミームについては分析できるかもしれない。しかし、新たに生まれたミームや、まだテキストデータとして十分に記録されていないミームについては、その真の意味や背景を理解することが難しい。
例えば、「ジェネリック◯◯」という言葉が単に「安価な代替品」という意味だけでなく、「賢い消費者としての自己アピール」や「従来のブランド価値への挑戦」といった複雑な意味合いを持つことを理解するには、Z世代の価値観や消費行動、SNS文化などへの理解が必要だ。
編集者は、このようなミームの重層的な意味を読み解き、整理し、伝える役割を担っている。これは単なるテキスト生成ではなく、文化的通訳者としての役割だ。
アフターAI時代、「編集」という仕事の再定義
AIと編集者は対立関係ではなく、むしろ補完関係にあると考えるべきだろう。AIは膨大なデータ処理や基本的な文章生成を効率化し、編集者はその上に文化的・社会的な文脈を加え、人間味のある視点を提供する。
例えば「ジェネリック◯◯」のようなトレンドを分析するとき、AIはSNS上の言及数や関連ワードの抽出などを行い、編集者はそのデータを基に文化的背景や消費者心理を読み解く。これはちょうど、AIがミクロな「具体・現象」を処理し、編集者がマクロな「抽象・本質」を捉えるという分業関係と言える。
実際、多くの出版社やメディア企業では、AIでの校正などを活用しながらも、編集プロセスの中核は人間の編集者が担っている。これは、AIがまだ「理解」できない領域—文化的ニュアンス、時代感覚、読者との共感—が存在するからだ。
また、編集者の役割は単にコンテンツを作ることだけではない。どのような内容を、どのタイミングで、どのような形で届けるかという「キュレーション」の機能も重要だ。SNSやインターネットの発達により情報過多となった現代では、この機能はますます価値を増している。
AI時代の編集者には、どのような能力が求められるのだろうか。
文化的感受性: 「ジェネリック◯◯」のような新しい言葉や概念の背後にある文化的背景を感じ取る力。
社会現象の分析力: 表面的な流行の奥にある社会構造の変化や消費者心理を読み解く力。
メタ認知能力: 自分自身の思考プロセスを客観的に見つめ、自らの価値観やバイアスを認識する力。
AIリテラシー: AIの得意・不得意を理解し、適切に活用する能力。
共感力: 読者やオーディエンスの感情や関心に共感し、それに応える内容を提供する力。
これらの能力は、AIが短期間で獲得することが難しいものだ。特に、文化的感受性や共感力は、人間の経験や感情に根ざしたものであり、単なる言語処理能力を超えた社会的洞察力である。AIが完全に模倣することは困難だろう。
アフターAI時代には、「編集」という仕事の定義そのものが変わるかもしれない。従来の校正や文章整形といった作業的側面はAIに任せ、編集者はより創造的・分析的な役割に特化していくだろう。
結論:消えゆく「ジェネリック編集者」
「ジェネリック◯◯」という言葉の流行から見えてくるのは、言葉が持つ力と、それを理解し伝える編集者の役割の重要性だ。
言葉は単なるコミュニケーションの道具ではなく、新しい概念や価値観を生み出し、社会を変える力を持っている。「ジェネリック◯◯」は単なるスラングではなく、消費社会の変容や世代間の価値観の違い、グローバルなトレンドの同時多発性など、様々な社会現象を映し出す鏡なのだ。
そして、このような言葉の背後にある文脈を読み解き、整理し、伝えることこそ、編集者という職業の本質的な価値だ。AIが発達しても、この能力は容易に代替されないだろう。
ただ文章が上手いだけの、著者とのコミュニケーションが円滑なだけの編集者は、生成AIを使いこなす「ジェネリック編集者」に代替されて、やがて消えゆく。
私たち編集者自身が誰よりも先に「文化的・社会的な文脈」を理解し、感性を磨き続けなくてはならない。それこそが、アフターAI時代においても価値を持ち続ける編集者の在り方なのではないだろうか。