海に行ける自由【#心の柔軟体操】
仕事で海の近くまで行った。眼前に広がるほどではないけど、普段の職場よりは遥かに近づいた。
目的地に向かって歩いていると、風にのった潮を感じた。微かだったけれど、確かに海の香りだった。
昨日、今日は暑さと湿度による息苦しさが和らいだ日だった。このままずっと歩いて歩いて、海に行きたいなぁと思ってしまった。
本当に嫌なことがあって、学校に行きたくなかった時、遅刻してでも行けというのが我が家の文化だった。
「サボり癖がつくから」というのが、親の口癖だった気がする。多分、我が家が特殊なわけではないと思う。
サボり癖がついて何が悪いのだろう。サボった結果は、本人が引き受ければ良いじゃないか。
私の考え方が、冷たいのだろうか。
いじめなどがあるとしたら、サボることでの不利益は何らかの形で解消されなきゃいけない。そもそも構造に問題がある。いじめられている方が休まなきゃいけないのがおかしい。
サボっちゃいけない、がこれまでの私をとても苦しめてきた。サボってもいい、と思えるようになってから、実行するしないは別として、気が楽になった。
体面とか、社会的立ち位置とか、信用とかも大事なお年頃だけど、ちゃんと明日も生きることの方が遥かに遥かに大事だって、そう思わない?
結局、海には行かなかった。目を閉じると、波がさざめく海とまろやかな空が広がっていた。
日付:2019年8月26日(月)、執筆時間:約15分、場所:電車内、音楽:ハナレグミ「深呼吸」など
振り返り:明らかに頭のコンディションが芳しくなかったので、さくっと書いてみた。
毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。#心の柔軟体操 と名付けてみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。