ジェネリック●●/記憶の空白地帯【#心の柔軟体操】
(今日は2本立て)
野暮用で、地元に戻った。慣れ親しんだ街の何が良いって、買い物しやすいことだ。欲しいものと、売ってそうな場所が頭の中で気持ちよく寄り添う。
夏の峠はこえた。待ち遠しい秋に向けて、仕事でも使えそうな柔らかいグレーのリブカーディガンを買った。
セールで2000円くらい?安いなぁ。ま、すぐにピリングが出来たり、解れたりするんでしょうけれど。
百貨店に入る。定価では手が出ないような、でも「ここからここまで全部ください!」と言いたくなるブランドに立ち寄る。
いつ見ても、何もかもがほしいなぁ。
陳列棚に、既視感。
さっき買ったのとまるでそっくりな、でもそっくりじゃないカーディガン。手触りが上質で、直感的に長くお付き合いできそうな感じ。
私が買ったのは、ジェネリック。なんて。ちょっと可笑しくて、ふふふと声が出た。
世の中は、ジェネリックで溢れている。例えば、コンビニの、ジェネリックタピオカとか。
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今日から新学期。世間では、学校に行きたくない、もしくは行けない子に向けてのメッセージを発しようと、創意工夫がなされている。
自分の時は、どうだったかな、と思い出す前に、胸の中に墨汁が広がる。舌の根まで真っ黒になるようで、首に手を当てる。
中学生の私は、こんがらがった人間関係が、巻き込まれたくないヒエラルキーが、意地悪な同級生が嫌で嫌で。遅刻欠席はしょっちゅうだった。
「信任を得ているから」なんて言って、生徒会活動だけは欠かさず参加した。なかば、意地のようなものだ。
スーパーの袋を持ち替えて、鍵を取り出し、マンションの階段に足をかけたとき、ふと、気になってしまった。
あんなに休んで遅刻して、どうやって勉強をキャッチアップしていたのか?全くもって思い出せない。そこまでカツカツな学校じゃなかったから、基本的には学年上位だったけれど(数学は別)。
もし勉強に大きく支障が出ていたら、本当に居た堪れなくて辛かっただろうな。忘れてしまったけど、中学生の私はきっと休んだ分を死ぬ気で取り戻していたんだろうな。
いじめなどで、学校に行かなかったり、行けなくなったりした人は、少し先の自分が「記憶の空白地帯」を埋めることになる。埋まらないかもしれない。
いじめていた方は学校を休むことなく、勉強も滞りなかっただろうけれど。大層、楽なことで。
だから、就職活動でSPIを使って足切りする企業には、なるほどねと思う。
なるほど、ね。
沸騰して溢れそうな鍋。慌てて火を消す。
火を入れすぎて分離した豆乳鍋は、それでもちゃんと美味しかった。どこかで帳尻は合うと信じたい。
日付:2019年9月2日(月)、執筆時間:約30分(手直し10分)、場所:自宅、音楽:シャッフルしちゃった
振り返り:あなたを傷つける人の期待になんて応えちゃだめだよ。そんな人、あなたが死のうが何しようが、ケロッと忘れて、のうのうと生きていくんだから。生き延びた中学生の私を抱きしめたい。偉かったね。
毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。#心の柔軟体操 と名付けてみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。
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