飲みニケーションを否定はできない平成生まれ【#心の柔軟体操】

久しぶりに、舌に痺れが回るまで飲んだ。量を飲んだわけではないが、突発的な案件の対応で遅くなり空腹極まっていたし、喉の乾きをアルコールで癒やしてしまった。

足の裏のアーチ、えっと、そうだ、土踏まずがこそばゆい。単語が出ないってことは、まあまあ酔っ払っている。

帰巣本能が強いので、外にいる間は意識がはっきりしている。が、帰宅した瞬間、芯を失ったかごとく溶けてしまう。

飲みニケーションは時代錯誤と思われている。参加できない人がいる場で仕事の話が進んでしまうのは良くない。

男性の育児家事参加が進んでいるとはいえ、妊娠出産育児で飲み会不参加がつづいた暁に、業務に支障が出たら、心、折れるだろうなぁ。

業務の延長戦になっている飲み会に否定的な意見は概ね理解できるし、合理的でクールな私は大賛成だ。ビジネスランチで良いんじゃないかと思ってしまう。

付き合いたくもない飲み会に、自分の時間を割きたくないという本音も、わからないでもない。生々しいけど、尊敬ゼロの相手から延々と説教を聞くのは、しんどい。

一方で、自己表現が得意ではない人を切り捨てかねないなとも思う。自分も相手も鎧を外して、やっと話せる人もいるだろう。

その人を、自己表現が拙いとか努力が足りないとかそうやって断じられるほど、コミュニケーションが得意な自信はないし、相手の歴史も知らない。

それもまた、個性じゃないかな?長所だけが個性ではない。

普段ならうまくやれていても、なにか重なってしまって、「ちょっと飲みに行こうよ」が必要になる時も多分ある。

仕事と自分の距離にもよるかもしれないけれど。私は仕事とかたく抱きしめ合いながら生きていきたいと思っているから、大先輩の歩みは気になって仕方ないし、お腹や心の中も知ってみたいと思う。

それを日の高いうちから、先輩!教えてください!と言えるほどの親しみやすさを持ち合わせていない。し、それはちょっと無粋だな。

お酒の席なら素朴な疑問を聞けることもある。初歩の初歩すぎて聞くに憚られる話も、ぺろっと聞いちゃったりとか。

でもそれって結局、参加不参加で業務遂行に差がついてしまうことなのかな。

 答えが出ないまま、最寄り駅を知らせるアナウンスが流れた。

日付:2019年8月28日(水)、執筆時間:約20分、状況:地下鉄で酔いも回ったところで、音楽:シャッフルしてしまった

振り返り:とりこぼされていくところにフォーカスしたいと日頃から思っていて、何かを断罪せずに解きほぐすってことを大切にしたいなあと思っているが、酔ってて情景描写がめちゃくちゃだ。寝る。

毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。#心の柔軟体操 と名付けてみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?