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物分りの良い大人になった先と、書くということ【#心の柔軟体操】

毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。#心の柔軟体操 と名付けてみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。

物分りの良い大人になる、ということを考えていた。私の好きなバンドは「体でもなく心でもなく頷くことを覚えた」と歌う。自分の信念とか信条とか、そんなところとは別次元で現実を飲み込む。それを繰り返していると、心が凪になる感覚を覚えるようになる。

この状態を知ってから、精神衛生はとてもクリーンになったし、消耗しなくなったけれど、それで良いのかと思ったりもする。地下鉄で子連れに冷たい視線が注がれるとか、通りすがりのおじさんに全力で突き飛ばされるとか、その度に心がぎゅっと痛くなる私には必要な処世術なのだろうが。

いざという時に血が通っていない心はちゃんと動いてくれるのだろうか。鳩尾の冷え冷えとした塊をじっと眺めた。

心を絞って削って書いたと思しき文章を読んでしまってから、ずっと考え込んでいる。その文章の巧みさは抜きとしても、私にはこんな熱量のある文章もう書けないかもしれない。

踏み込んだことを書くのを躊躇っている節もある。書けば誰かを必ず傷つける。それを引き受けられない自分の弱さなのか。何に足首を掴まれているのか、自分が一番分かっているけれど。

これを書いたあとに、わざとじゃなくてぶつかってしまったおっさんにぶつかり返されて萎えた。やはり切り替えの効く心を求めてしまうな!大人は都合がよい。

日付:2019年8月21日(水)、執筆時間:約20分、場所:地下鉄のなか、音楽:FoZZtone『カントリークラブ』

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